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ふるさとは遠きにありて…

2024年10月18日 | その日その日
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と痛感しました。
用事があったついでに前から訪ねてみたかった場所に行ってきました。物心ついた頃から学生時代まで家族で過ごした大切な思い出の場所です。半世紀振りではないでしょうか。

私の家は、ヤマ(谷地にある小高い地形)の際に5、6軒が1列に並んでいたうちの1軒でした。その下は田んぼ。その向こうはまたヤマで松の木がヒョロヒョロと伸びていました。その中にコブシの大木があって、毎年春には白い花をつけていました。その根元には清水が湧いていて、よくサワガニを捕まえて遊んだものでした。

当時は都市化の最初期で、道路が広がったり、新しい道ができて、地面は掘り起こされ、赤土の上に住宅が立ち並ぶようになっていました。周辺の子供たちは集まって空き地や建築中の柱だけの住宅などをみつけては遊んでいました。『野菊とバイエル』と同じような状況です。そう言えば、大柄で陽気なⅯちゃんとは仲良しでしたが、間もなく引っ越してしまいました。元気でいるかな。


画像は記事内容とは関係ありません。

驚いたことに、歩き始めてすぐに懐かしい表札が目に入りました。Uさんの家でした。こちらには小柄な可愛い女の子がいました。しかし、もうすでに空き家になっているようでした。
次にⅯさんの家がありました。こちらは電話をお借りしていた家でした(そういう時代でした)。まだ住み続けているようでしたが、代は代わっているでしょう。そこから2、3軒先に我が家があったのですが、もうまったく判断がつかないほどに造作が変わっていました。


秋なのに真夏のような日差しに焼かれ歩いていくと、次々と変わり果てた風景に出くわし失望はさらに深くなるのでした。
トンボを取りに行ったヤマ、湧き水のあった場所、曲がって続く田んぼ。遠いところに来てしまったと思わせた草ぼうぼうの道。かつての姿を知っているだけにすべてに違和感を覚えました。
コブシの大木があった場所が分かりましたが、その姿はもうありませんでした。松の木も激減していました。

その時、来なければよかったとはっきりと思ったのでした。
そして、シューベルトの「菩提樹」を思い出しました。その歌詞は、懐かしい思い出はもう胸の中にしかないのだ、と語っているように思えます。
現実の風景は常に裏切るけれども、心象風景の中のふるさとは常に美しく懐かしい。そこが還る場所なのだよ、と言われたように思いました。



シューベルトの「冬の旅」(ヴィルヘルム・ミュラー詞、1827年作曲)から第5曲、「菩提樹(Der Lindenbaum)」を懐かしのフィッシャー=ディスカウで。

Dietrich Fischer Dieskau Der Lindenbaum Die Winterreise


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