C E L L O L O G U E +

ようこそ、チェロローグ + へ!
いつまでたっても初心者のモノローグ
音楽や身の回りを気ままに綴っています

『彼岸花』リマスター版を観て

2020年04月12日 | アート
 
| 雨夜の小津鑑賞

令和2年度最初の月も間もなく半分過ぎます。ため息がもれます。誰がこんな新年度を想像できたでしょうか。
今日の天気は鬱陶しい曇り空。頼まれなくても、自宅謹慎、蟄居、逼塞、弾き籠もりに御座候。夜は夜で雨となり、雨夜の三杯機嫌とお湯割り片手に小津映画を鑑賞と相成りました。

小津安二郎監督作品のデジタルリマスター版を見始めたものの直後に中断、1年ほど経った今ようやく『彼岸花』 を鑑賞しました。今は春ですが、映画の内容はオールシーズンタイプのようです。里見弴の小説には彼岸花が出てくるのですが。まあ、いいか(笑)。


| 亭主関白と娘の縁談

最初の小料理屋のシーンからいきなりたばこの煙がもくもくだったり、亭主が帰宅すれば上着を無造作に脱ぎ捨てたりの関白ぶりで、団塊の世代の私から見ても現代との違いに軽いショックを受けました。私たちの世代はノスタルジーとして受け止めることもできますが、そうでない世代もあるのではないでしょうか。「縁談」という言葉が生きていた時代の話です。それはともかく。


| 相変わらず旧友三人組

キャストは、平山(佐分利信)、河合(中村伸郎)、三上(笠智衆)の「旧友三人組」で、それぞれの父ー娘関係を平山とその娘、節子(有馬稲子)を中心に描いていきます。旧友たちのややぎこちない友情に、知り合いの老舗旅館の女将(浪花千栄子)とその娘(山本富士子)の交流が物語に花を添えます。

親や周囲が娘の結婚に反対し、娘が反発するものの、やがて親も折れていく、というほんのりとした話になるのですが、もうここで社会での親の立ち位置が、例えば戦前のそれとはかなり変化していることが分かります。敗戦から20年近く経ち、新しい思想が次世代の子供たちに芽生えはじめ、親はそれを突きつけられる構図が生まれています。


| 娘三人三様

河合の娘は冒頭の結婚式シーンの中の花嫁で、おそらく、無難な道を歩むことでしょう。平山の祝辞も型どおりで式は滞りなくお開きになります。三上の娘(久我)は男と出奔していて映画の中では茨の道を選択した女性です。平山は旧友のために一役買おうとします。その平山の娘はちょうど両者の中間でしょうか。封建的な立ち位置を引き摺っている父親と衝突しますが、周囲の協力を得て最終的に理解を得ます。これら三人の娘と父親の対比も見どころです。

最初に書いたように主役の平山は頑固で権威的な父親です。内心はともかく、彼の思想や世間体がそうはさせません。自分の思惑どおりの結婚をさせたい一心です。しかし、自由の時代はもうそこまで来ていました。正攻法がだめなら搦め手から、とやんわりと攻め立てられ、担がれて、やがて頑固おやじ平山は雪解けしていきます。平山を乗せた列車の疾走感!


| あの頃と今日この頃

それにしても、卒業後の濃い交流、小料理屋(居酒屋ではない)やバーに居場所があるなど昔の人は恵まれていたと言えます。今の状況からはなおさらでしょうか。おっと、三密は不可でしたね(笑)。
もっとも、平山は大会社の常務ですからゆとりがあるのも当たり前でしょう。コネや忖度がものを言う社会に生きているとも言えるでしょう。いや、それまでに成ったのです。それでも、内心の悩みや新しい時代への不適応を抱えながらも善良に静かに生きています。次の世代への望みと小さな諦念が浮かんできます。

あの頃はあの頃で複雑だったのだと思います。昔はのんびりしていた、はずがありません。いいことばかりではなく、現実には、ゴミだらけの町、労働問題、格差、差別、暴力がありました。子供心に大人になりたくないなと思ったことも幾度か。私たちのまわりはそんなものでした。
それでも、この映画の雰囲気、空気感に浸っていると心安らぐものがあります。能天気のようでいて奥が深い。今でも通じるその深さが現在も変わらないところが(あるいはそう感じる自分が)面白い。娘を送り出し、新しい生活を始め、父親は老けていくばかり。

『彼岸花』(デジタルリマスター版)2013年、118分、松竹.原作:里見弴、脚本:野田高梧、小津安二郎、音楽:斉藤高順、監督:小津安二郎.出演:佐分利信、田中絹代、有馬稲子、久我美子、浪花千栄子、山本富士子他.*オリジナルは、1958年公開.


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。