かりんとう日記

禁煙支援専門医の私的生活

その意味

2012年08月22日 | お医者さんの一言
担当していた患者さんが夜間に亡くなった。

献身的な家族の協力もあって、本人の希望通り、ぎりぎりまで在宅療養をしたあとに、1泊だけの入院で静かに逝けたのだから、良かったと思う。

ところが、翌朝、亡くなった時間を病歴サマリーに書こうとしてカルテを確認したが、どこにもその記載がなかった。

夜勤看護師に死亡診断をしたはずの当直医に確認をしてもらったところ、「なんて書けばいいんですか?」という答えだったというので、びっくり仰天してしまった。

彼は、医者になって確か5年目くらいのはずだが、患者さんの臨終に立ち会ったのは、どうも今回が初めてだったようであった。
研究者でも、画像診断などの検査系医師でも、皮膚科や眼科の医師でもなく、普通の臨床医なのに、である。


誰にだって、「初めての経験」というのはある。
仕事の面でも、そういうことをひとつひとつ経験して、成長していくのだということはわかっている。
けれど、ちょっと成長遅くないかい?


今の若い医師たちは、大学を卒業してからまず、初期研修という名の2年間を大学病院や教育病院ですごす。
この時点では昔と違って専門科を決めずに、3ヶ月ごとに色々な科をローテーションする。

厚生労働省はアメリカの医師教育制度をお手本にしているつもりらしいが、ひとつの科にいる時間が短いので、現実的には学生実習に毛が生えた程度のことしかできない。
言い方は悪いが、中身の伴わない、ただの「猿真似」にすぎない。

しかも、最近は、忙しかったり、つらかったりすると、すぐにやめてしまう医者が多いからという理由で、研修医の業務をずいぶんと減らしている病院も増えているらしい。


我々世代の医者は、採血や点滴はもちろん、自分の患者さんの検尿や検便、心電図検査などは、1年目は全部自分たちでやらされた。
先輩医師たちに、トイレ以外は金魚の糞のようにくっついて、夏休みが明ける頃までにはずいぶんと色々基本的なことを学ぶことができた。


特に、患者さんの臨終に関しては、多くの先輩医師たちから色々と教えてもらった気がする。

先輩医師が死亡診断をする場に、初めて同席したときのことは忘れられない。
ワタシは医者1年目、先輩は2年目だった。
病室には更に年上の医師もいたが、最後の儀式を任されたのは、ひとつ年上のS先生だった。

心電図モニターはフラットになり、明らかに心停止を示しているのに、わざわざ患者さんの胸に聴診器をあて、心音と呼吸音がしないことを確認する。
次に胸のポケットからペンライトを取り出し、両方の瞳孔の光反射がないことを確認する。
そして最後に、自分の腕時計をゆっくりと見て、厳かに家族に死亡時刻を告げ、頭を深くさげるのだ。


ナースステーションで死亡診断書を書きながら、「緊張したなあ」とS先生がつぶやいたので、どうしてですかと尋ねた。


「だって、自分がその患者さんの人生の終わりの時刻を決めるんだよ」


そう。
出産に立ち会えば、人生の始まりの時刻を決めるのも医師だし、終わりの時刻を決めるのも私たち医師の仕事なのだ。


最後の死亡診断には、そういう重い意味があるのだということを、当直をしているときに患者さんを見送ってくれた彼にも、ぜひ教えてあげたい。
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