日本に帰化した
スウェーデン人「庭師」 村雨 辰剛さん が
出演されていました。
19歳で英会話教師として来日。
日本の伝統文化に惹かれ、
造園業でのアルバイトから庭師を志すようになった。
彼の修行時代の様子を
他番組で特集したことがあって
彼については
少しの予備知識はありました。。
現在31歳。
異国の伝統文化に惹かれ
独特の職人の技を学ぶにあたり、
「親方」からは
褒めてもらったことは無い! と
いかにも
古い日本人の私たちならば
「職人気質」という言葉で
なんとなく想像がつく子弟の様子ですが、
外国人の彼にとっては
そこからが異文化理解の始まりであり、
「背中を見て覚えろ」といったような
ある意味の理不尽な修行を通して
彼が到達した思い!?とは
よく
褒められないとやる気が出ない とか
褒められたいために頑張る というのは 違うと思う
モチベーションというのは
自分自身の中から湧いてくるものであるから
褒められなくても
自分の中の思いは変わるものではない
云々、(聞き逃しがあるかも知れませんが。。)
感銘しました
日本では
「褒めて育てる」「褒めて伸ばす」といった
子育て論が好まれますが、
それは その言葉通りに「褒める」ことではない、
と 私は思います
言い換えれば、
「貶さない(けなさない)」ことが大切なのではないか
と 思うのです。。
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受験シーズンに何ですが。。。
勉強と学ぶことは 質を異にしている と
私は思います。。
学びには
観察するという姿勢が伴います!
いわゆる「親方の背中を見て」
「自分で気づいて」
「自分で行動に移す(自分で答えを模索する)」
という 自発性がある、と思うのです。
その結果については
時に厳しい指摘があったとしても
それは 単純に「貶す」こととは違って
そこからまた あらたな「学び」となって
「自己進化(自分で発見して行くこと)」に
通じて行くのではないでしょうか。。
とてもシンプル 且つ
無限大の向上が想像できます
比べて勉強というと
既に正解の出ている物事を
必要に応じて習得する作業のようなもので
どれだけ正解を知っているか? を競うだけの
偏差値教育などは・・・、
その時だけの評価でしかなく
その人自身の「学び」とは無関係のような気がするのです。
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こんな受験期に
水を差すような話ですけれど。。。
そうは言っても、
自分が目指す物事に付随する「受験」には
「勉強」したことの到達度で競い合うわけです!
まず、 入るためには
そういう手段を取らざるを得ない
けれど、
それは手段であって、
大学では学びが大切ではないでしょうか。。
4年間の猶予期間を謳歌するだけでは
何の「学び」も得られず
人としての成長も見られない・・・と思うわけです。
そこを履き違いをしている人は
子はもちろんですが、
親にも多い と 痛切に感じます!
モチベーション
(人が何かをする際の動機づけや目的意識)
モチベーションというのは
自分自身の中から湧いてくるものであるから
褒められなくても
自分の中の思いは変わるものではない
― スウェーデン人「庭師」 村雨 辰剛さん ―
これからの大学生の皆さんには
学びを大切にして欲しい・・と思うのです
美味しいお蕎麦 食べましたか?
むかし、息子がお世話になった保育所の先生が
「お母さんとしてやることも
子どもの生活の規律も
一日が終わったときに
なんとな~く できた というくらいで
ちょうどいいのよ」
言ってくれて。。
それ以来、
その日のこと、長期的な目標も
「大体において達成できた」と思うようになりました。
体調にも波があるし・・・、
無理はしない、
けれども 大体においては
きょうやるべきことはできた!
「大体においてできた」って考えると
モチベーションが保てるのかなぁ・・と👍
それと、
できなかった自分を許せる感じもします
次、頑張ろう の繰り返しでも
しっかりモチベーションは保てるような気がします
納得です
でもモチベーションを保つのは
難しいですね
自分に強くなければできないことかもしれません(^.^)