慈悲の心と少欲知足で生きる世界に幸あれ!

人類だけの地球ではないことを肝に命じて、少欲知足で
人生を生きている人は幸いなり。

分別のある人になりたいもの

2018年09月26日 | 私の真理
平日の昼間に買い物とかに出かけると、この国には若者が
いないのか?と思うくらい年をめした男女ばかりがいる。

サラリーマンをやっていたころは、平日にスーパー等に
買い物に行くことはなかったので、自分が知らなかった
だけだろうが、それにしてもビックリするくらいだ。

そして、それが欲の皮の突張たような顔をしているが、たぶん
見た目どおりだろうと思う。もちろん全員が、というわけでは
ないですが。
こころの在り方が、身体ににじみ出てくるからだが、歳を
重ねてきたら、分別のある人になりたいものだ。
最近よく聞く老人クレーマーなんかは分別のない者の
代表者みたいなものかな。


聖書と呼ばれる書物の、旧約聖書続編に収められている
「シラ書(集会の書)」と呼ばれる書の第25節に書いてある
ことが今も昔も変わらない真実かと。
内容は、以下の通り。

1わたしを大いに喜ばす三つのもの、
それは主にも人にも麗しい。
仲良く暮らしている兄弟、
友情で結ばれた隣人、
仲むつまじい夫婦。

2わたしの嫌いな三種類の人、
その生き方にはたまらなく嫌気がさす。
横柄に物乞いをする者、
うそつきの金持ち、
分別を失った、みだらな老人。

3若いときに知恵を身につけずに、
年老いてからどうやってそれを手に入れるのか。

4健全な判断は年輪を重ねた者に、
確かな勧告は長老にふさわしい。
5以下省略

旧約聖書なので2000年以上前に書かれたと思うが、その
ときでさえ、分別を失ったみだらな老人は嫌われていたのかと。

人というのは何千年経っても、その性質というのは変わらない
ものなのだろうか。

歳をとっても分別をしっかり保ち、世の役にたつ人になるようになりたい
ものだ。

尚、私が聖書を読むのは趣味みたいなもので、キリスト教徒というわけ
ではありません。どちらかというと仏教徒ですね。それも初期仏教と
言われるテーラワーダ仏教です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虹が出ていた

2018年09月08日 | 自然
毎日の散歩を欠かすことはない。

コースはほぼ固定されていて、自宅から目の前に広がる
田んぼの中の農道を往復している。

散歩の時間は決めていないが、だいたい朝方が多い。


今朝は8時過ぎに出かけた。

そして、5分くらい歩いて西の空を見たら虹が出ていた。



結構長い時間見えていたけど、そのうちに消えた。

今日はついている?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする