昨日の続きの話になりますが「常識」とは何ぞや
私はどちらかというと常識という物に捉われない家庭で育ってきたのだと思う。
良い意味で縛られずに生きてきた けれど 白い目で見られることもあったのだと思う。
斎藤一人さんの「常識以上の愛」というお話を聞いていて 納得した事は
「幸せになる方法」で 人との会話で例えば職に就いていない人との会話で
「きちんと働いた方がいいわよ。」と言うのは常識かも知れない。
でもその人には働いていない理由があるわけでそこで相手の気持ちになり
そんな当たり前の助言をする事で逆に傷付けてしまうかも知れないと察し
常識を超えた助言をする事が相手の心に灯りを灯す人になれる。
(幸せになる為には人の心に灯りを灯す人にならなければいけない)
昨日の話で言うと状況からしたら 私が家族(親族)の中で何気なく
「金髪~いいな~私も金髪にした~い」と言ったら
義理の母が後ろで聞いていて「なぬ??」と思われたのだと思うが
「金髪にする事は常識から外れている」のような意味で「年を考えなさい」と言われたように感じる
芸能人でもない年配の女が金髪なんてちょっと色眼鏡で見られてしまう?
私も色々な意味で金髪にする勇気はない。でも金髪にしたいと思っている人に対して
「やめなさい、人から変な目で見られる」と押し付ける事は良くないと思う。
特に私が義母に「金髪にしたいのですけどどう思いますか?」と相談したわけでもない
例えば若い人が金髪にしたら普通の就職ができなくなるとか そんなマイナス点は本人が
承知の上でやると思うし そこで例えば働き口がなかったり困る事があれば本人の学びになる
それを とやかく他人(家族でも)が言う必要はないのだと思うのです。
親が子供に言うのでも同じだという事です。(親が子供を守るというつもりでも)
「常識」という言葉で決めつけたり 評価したり 人に強要するような発言で
愛のない発言をする事は時に人を傷付けるばかりでなく 自分のマイナスにもなる
特に年配の方などは思い込みのような「こうあるべき」というような
様々な批判などをする方は多いと思うのですが 良くないという事です。
「こうあるべき」という考えは人に押し付けない。そういう考えは捨てる。
それが幸せになる方法の中で重要だそうです。無理に押し付けられた子が幸せになれない。
人は皆 自身で体験して学びながら生きていく なので助言(アドバイス)ならば
人の心に灯りを灯すような助言をしたいものです。
子供に対してでも助言はあくまでも助言であり決して強要するものではない。という事です。
~ 斎藤一人さん幸せになる方法~
から私なりにまとめた事 です。