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ひなまつり♪

2009年03月03日 | うんちく・小ネタ

今日は雛祭りですねー♪

雛祭り  フリー百科事典より

>日本の雛祭りはいつ頃から始まったのか判然としていないが、

その起源はいくつか存在している。

日本での起源は、流し雛の風習から

本来は祓い神事の人形であったと言われ、

「雛祭を過ぎて飾っていると嫁に行き遅れる」

という言葉もここからきている。

平安時代に既に平安貴族の子女の

雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。

その当時においても、

やはり小さな御所風の御殿「屋形」を

しつらえ飾ったものと考えられている。

しかし、それはどこまでも「遊びごと」であり、

決して儀式的なものではなく、そこに雛あそびの名称の由来がある。

これが江戸時代に女の子の

「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、

全国に広まり、飾られるようになった。

この「雛あそび」が「雛祭り」へと変わったのは

天正年間以降のことであり、

この時代から三月の節句の祓に

雛祭りを行うようになったと推測されている。

もっとも、この時代には飾り物としての

古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという

祭礼的意味合いが強くなり、

武家子女など身分の高い女性の

嫁入り道具の重要な家財のひとつに数えられていた。

その為、自然と華美になり、贅沢に流れるようになっていった。

江戸時代初期は形代の名残を残す立った形の

「立雛」や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、

これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。

その後時代が下ると人形は精巧さを増し、

十二単の装束を着せた「元禄雛」、

大型の「享保雛」などが作られたが、

これらは金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた豪勢なものだった。

この享保年間、人々の消費を規制するため

一時的に大型の雛人形が当時の幕府によって規制されたが、

この規制を逆手にとって、

「芥子雛」と呼ばれる数センチの大きさの精巧を極めた

雛人形が流行することになる。

江戸時代後期には「有職雛」とよばれる

宮中の雅びな装束を正確に再現したものが現れ、

さらに今日の雛人形につながる

「古今雛」が現れた。

この後、江戸末期から明治にかけて雛飾りは2人だけの内裏人形から、

嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや

小道具、御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていった

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我が家には大正生まれの祖母の

お雛様 お内裏様 そして

私が生まれたときに用意してくれた

7段か8段飾りのセットがありました。

毎年 母が飾ってくれていたのですが、

嫁いでしまった私が見に行くこともなかなか無くて・・・

昨年 寄付をしたのでした。

勝浦市で開催されているビック雛祭りに

我が家のお雛様たちが飾られているのです。

ただ・・・

どれが自分のかわかりません(・_・;

昨年は友達と見に行ったのでした^^

外国から来た友達なので、本当に楽しんでくれて

嬉しかったことを思い出します♪

ちなみに勝浦ビック雛祭りは今日までです・・・

http://www.city.katsuura.chiba.jp/event/hinamatsuri.html

来年は早めにご案内しなくちゃですね・・・

ごめんなさぁい(@・_・@)

( miya )

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