気ままに一筆

心に引っかかった居心地が悪い出来事や、心の隅で湧き上がってくる日本の風習への思いを感じるままにつぶやいています。

ACP: 認知症 30年後、2023年のクリスティーン

2025-03-06 18:47:01 | 日記
彼女がアルツハイマー病と診断された30年前は、一般的に発症して6~8年後には家族や友人の事も解らなくなり施設で死ぬと思われていたし、彼女自身の知識も同じであった。認知症患者のサポート協会へ訪ねても、患者の家族に対するサポートを中心に活動しており、患者に対するサポート活動はされていなかった。彼女は、自分自身に起こる脳機能の変化を冷静に自分の言葉で脳機能の衰えを『認知症は精神障害=空っぽの人格ではない』と認知症患者自身が、サポートを求める団体の設立にも参加した。求められて世界各地を廻り、30年間、理解を求め続けている。そして、 2023年『認知症本人発:希望のリレーホーラム』開催に招待弁士として7回目の日本訪問をしている。
6~8年で死に至ると言われ治らない病、日常生活が出来なくなる病と社会から置き去るような扱いを受けた認知病に、彼女は、「私は誰になるの」と不安と恐れを抱えながら、率直に自分の現状を身近な人達に伝え助けを求めた。彼女が発信したことが、タブーと顔をそむけていた病と共に歩めることに気付かせ、彼女が生きやすい環境を造る助けとなった。
 私がインターンとして実習でをさせて頂いた介護現場では、身近な親族が、入居する理由を、「歳だから」「介護の限界を感じた」「近所の人に迷惑をかける」と話しをする。入居者本人は、家族がそう言うからとそれ以上自分の意思を表さない。(入居した後に「ここは何処だ。帰る。」と興奮をし、やがて黙るを経て入居生活が始まる。)
介護する側は、入居者に「認知症」の発症を伝えない。身体の安全を守る環境を創りに専念し、マニュアル化された介護を行う事が、奇異な行動や脈絡のない発言に対しての思いやりであり最善だと思っている。座学での知識とはかけ離れた介護がそこにあった。
入居者は、「私はどうなるの」なんて聞かなくとも介護者が、先回りして色々ケアをしてくれる。やがて、マニュアル通りに認知症後期を迎える。そして、近親者は、他の家族と同じに看取ることが出来たと安心する。

クリスティーンは、現在70歳代である。認知症が改善されたわけでもないし行動も前より緩慢で、話しの脈絡が乱れる事もある。それを彼女は受け入れ、信頼するパートナーと、自宅で自分の時間を過ごし、自分の行きたい場所へ出かけている。日本の施設で過ごしている同年代の認知症の人からは、想像もつかない。私個人は、これが自分の病を認知症と知る事と、知らせられていない事の差なのかと考えている。
超高齢社会を迎える日本において、クリスティーンの存在は励みであり目標である。マニュアル化された介護する介護されるという力関係でなく、良きパートナーとして、お互いを思いやれる関係が必要なのである。
その一歩として、施設を決める前に、何故入らなければならないのか、当事者になった時、家族や近隣への忖度ではなく、真正面から受け止められる心の準備をする必要がある。
認知症は、誰にでも現れる可能性がある。クリスティーンは、特別な存在ではない。ただ、彼女は自分が自分であることをあきらめない人なのだ。






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ACP: 認知症 クリスティー... | トップ | ACP: おひとり様予備群 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事