土曜日はスロバキアにとっても、我が家にとっても大きな一日であった。スロバキアにとってというのは先日行われたスロバキア大統領の決選投票が行われたからだ(結果は後半に)。そして我が家にとってというのは、義父の弟一家がサクルカのお祝いに我が家へ来たのだ。こちらは主に私にとって大きな(慌ただしい)一日だった。
義父は二人兄弟で、弟がいる。その弟というのが以前オリンピックユニフォームで紹介した叔父だ(叔父に関する過去のブログは→こちら)。その叔父一家が総勢7人(+義両親)で来たものだから、私はもうテンテコマイだった。結婚前の夢・理想はホームパーティーをよく開く家庭だったが、そんな言葉は撤回したいくらいの気分だった。
生後2カ月と3歳の子供を抱えて9人のゲスト。更にスロバキアではお宅訪問する際、食べ物をお土産に持って行くのはタブー。食べるものも飲むものも迎える側が用意する(毎度ワンパターンなのだが、いつも皆日本人=寿司を期待してくるので、今回も以前紹介したことのある、アボカドのディップと巻き寿司、ケーキを用意)。なので当然、叔父一家だって食べるものは持って来ない。これがお菓子作りの苦手な私には結構な負担だ。日本のようにお菓子を持って行く習慣があれば良いのにとこれまで何度思ったことか。
来客予定は午後3時。朝6時半起床でも、サクルカの授乳、ネラの世話、朝食に昼食の支度、片付けをしているとなかなか来客準備にとりかかれず、巻き寿司の下準備だけはしたものの、午前中に焼いてしまいたかったケーキは午後になってしまった。それもネラが昼寝をしている間にと思ったが、こういうときに限って寝てはくれない。仕方がないのでマルツェルにネラを連れ出してもらった。そうして私が髪を振り乱して生地を混ぜているところへ義両親到着。義母はお菓子まで焼いて来てくれた。昼食の食器を洗う間もなくそのままになっているのを義母が洗ってくれ、義父が拭いてくれた。本当に有り難い助けだった。
それでも、楽しい叔父一家、話ははずみ、笑は絶えず、私たちの出演した「こんなところに日本人」も皆で見た。ネラは前回はマルツェルの従妹の子供(ネラと5週間違いの男の子)におもちゃを貸せず、力ずくでおもちゃを取られては泣いてばかりだったが、今回は貸せるようになり、そしてその男の子も言葉が遅く、前回は「ママ」以外ほとんど何も話せなかったのが、「貸して」と言えるようになり、二人仲良く並べた椅子をアイロン台に見たて、おもちゃのアイロンを「貸して」「どうぞ」と順番こにペーパーナプキンにアイロンがけする姿は小さなクリーニング店のようだった。
楽しいひと時ではあったが、彼らが帰った後はドッと疲れが出、気になる選挙の結果を見届けることなく就寝した。
ついでにもうひとつ、日曜日は午前2時に冬時間から夏時間に変更され(日本との時差は7時間)、1時間早く起きなければならなくなった。私たちは時計の針を1時間進めるだけで良いが、子供たちは違う。ネラもサクルカもまだ冬時間が身体から抜けきらないでいる。
さて、大統領選。結果はスロバキアの歴史に大きな変化をもたらした。ポプラド出身のアンドレイ・キスカ氏が現首相ロベルト・フィツォ氏を破り当選した。ビロード離婚(1993年)でスロバキアとチェコが分離独立して以来、ずっとスロバキアの大統領は共産党員であり、アンドレイ・キスカ氏は初の共産党とは無縁の大統領なのだ。
この勝利の意味することは大きく(実際そうなることを願いたい)、ひとつ例をあげるのなら、最高裁判所の判事だって共産党を背景に持つ人なのだ。今回の選挙はこういった人たちの危機でもあり、この2週間、国を挙げてキスカ氏に対する嫌がらせ(非難するビラを配ったり)、粗探し(離婚歴があるとかetc…)が為されたかのようだった。
そんな嫌がらせも撥ね退け、キスカ氏59.4パーセント、フィツォ氏40.6パーセントで当選した。(投票率は99パーセント)
(写真:Wikipediaより)
日本のニュースに登場することは少ないかもしれないが、こんなお顔の方だ。
日曜日はマルツェルと散歩で主は不在であったろうがキスカ邸前を通った。この一画はポプラドの街中近くだが、車通りが少なく、静かで風もなく、ベビーカーを押して歩くのにちょうど良い、私たちお気に入りの散歩コースなのだ。
さて、この新大統領率いるスロバキア、と言っても大半の権限は形式的なものだけだそうだからどこまでスロバキアに新しい風を入れることができるのか。旧共産主義国家のトップに共産党員以外の人物がついたというだけでまず意味のあることのように私には思える。
外国人である私にとっても今後のスロバキアはとても興味深く、期待は大きい。
今のように優秀な人材が国外に流出することのない国となりますように。
義父は二人兄弟で、弟がいる。その弟というのが以前オリンピックユニフォームで紹介した叔父だ(叔父に関する過去のブログは→こちら)。その叔父一家が総勢7人(+義両親)で来たものだから、私はもうテンテコマイだった。結婚前の夢・理想はホームパーティーをよく開く家庭だったが、そんな言葉は撤回したいくらいの気分だった。
生後2カ月と3歳の子供を抱えて9人のゲスト。更にスロバキアではお宅訪問する際、食べ物をお土産に持って行くのはタブー。食べるものも飲むものも迎える側が用意する(毎度ワンパターンなのだが、いつも皆日本人=寿司を期待してくるので、今回も以前紹介したことのある、アボカドのディップと巻き寿司、ケーキを用意)。なので当然、叔父一家だって食べるものは持って来ない。これがお菓子作りの苦手な私には結構な負担だ。日本のようにお菓子を持って行く習慣があれば良いのにとこれまで何度思ったことか。
来客予定は午後3時。朝6時半起床でも、サクルカの授乳、ネラの世話、朝食に昼食の支度、片付けをしているとなかなか来客準備にとりかかれず、巻き寿司の下準備だけはしたものの、午前中に焼いてしまいたかったケーキは午後になってしまった。それもネラが昼寝をしている間にと思ったが、こういうときに限って寝てはくれない。仕方がないのでマルツェルにネラを連れ出してもらった。そうして私が髪を振り乱して生地を混ぜているところへ義両親到着。義母はお菓子まで焼いて来てくれた。昼食の食器を洗う間もなくそのままになっているのを義母が洗ってくれ、義父が拭いてくれた。本当に有り難い助けだった。
それでも、楽しい叔父一家、話ははずみ、笑は絶えず、私たちの出演した「こんなところに日本人」も皆で見た。ネラは前回はマルツェルの従妹の子供(ネラと5週間違いの男の子)におもちゃを貸せず、力ずくでおもちゃを取られては泣いてばかりだったが、今回は貸せるようになり、そしてその男の子も言葉が遅く、前回は「ママ」以外ほとんど何も話せなかったのが、「貸して」と言えるようになり、二人仲良く並べた椅子をアイロン台に見たて、おもちゃのアイロンを「貸して」「どうぞ」と順番こにペーパーナプキンにアイロンがけする姿は小さなクリーニング店のようだった。
楽しいひと時ではあったが、彼らが帰った後はドッと疲れが出、気になる選挙の結果を見届けることなく就寝した。
ついでにもうひとつ、日曜日は午前2時に冬時間から夏時間に変更され(日本との時差は7時間)、1時間早く起きなければならなくなった。私たちは時計の針を1時間進めるだけで良いが、子供たちは違う。ネラもサクルカもまだ冬時間が身体から抜けきらないでいる。
さて、大統領選。結果はスロバキアの歴史に大きな変化をもたらした。ポプラド出身のアンドレイ・キスカ氏が現首相ロベルト・フィツォ氏を破り当選した。ビロード離婚(1993年)でスロバキアとチェコが分離独立して以来、ずっとスロバキアの大統領は共産党員であり、アンドレイ・キスカ氏は初の共産党とは無縁の大統領なのだ。
この勝利の意味することは大きく(実際そうなることを願いたい)、ひとつ例をあげるのなら、最高裁判所の判事だって共産党を背景に持つ人なのだ。今回の選挙はこういった人たちの危機でもあり、この2週間、国を挙げてキスカ氏に対する嫌がらせ(非難するビラを配ったり)、粗探し(離婚歴があるとかetc…)が為されたかのようだった。
そんな嫌がらせも撥ね退け、キスカ氏59.4パーセント、フィツォ氏40.6パーセントで当選した。(投票率は99パーセント)
(写真:Wikipediaより)
日本のニュースに登場することは少ないかもしれないが、こんなお顔の方だ。
日曜日はマルツェルと散歩で主は不在であったろうがキスカ邸前を通った。この一画はポプラドの街中近くだが、車通りが少なく、静かで風もなく、ベビーカーを押して歩くのにちょうど良い、私たちお気に入りの散歩コースなのだ。
さて、この新大統領率いるスロバキア、と言っても大半の権限は形式的なものだけだそうだからどこまでスロバキアに新しい風を入れることができるのか。旧共産主義国家のトップに共産党員以外の人物がついたというだけでまず意味のあることのように私には思える。
外国人である私にとっても今後のスロバキアはとても興味深く、期待は大きい。
今のように優秀な人材が国外に流出することのない国となりますように。
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