今年、日本とスロバキアは外交関係樹立100周年を迎えます。
1月14日、スロバキア文化省にてその日本・スロバキア交流100周年オープニングセレモニーがあり、私とマルツェルもそのセレモニーに出席すべくポプラドから電車で3時間半、ブラチスラバまで行ってきました。
車窓から見たタトラ山脈
タトラ山脈は日本人にとっての富士山的存在、きれいに見えると嬉しくなるものです。
ここのところ霧がかった日が多いため、木々が真っ白になり、窓の外に見える景色はロシアのおとぎ話のワンシーンのようでした。
途中ジリナから友人が合流して一緒にブラチスラバへ向かいます。
電車はよく遅れるので余裕を持って早めの電車で行ったところ、ブラチスラバに住む義弟とランチをしてもまだ時間があり、会場近くのカフェにもよってから、いよいよ文化省の会場となるホールへ向かいます。入口でウェルカムシャンパンを受け取り会場内を見回すと、在スロバキア日本大使はもちろんのこと、スロバキアの文化大臣、外務・欧州問題大臣他政府関係者、メディア等々、華やかな面々が揃い、「平服って書いてあるのにスーツとネクタイで行くの?」とドレスコードに不服だったマルツェルも納得です。会場にはなんとその夜予定されていた記念コンサート出演のスロバキアジャズ界の大御所、ぺテル・リパ(Peter Lipa)の姿もありました。
大使、文化大臣、外務大臣の挨拶に続いてミニコンサートがあり、その後は私がもっとも楽しみにしていた立食パーティーです。
まずは久しぶりに会う、日本人の友人たちに軽く挨拶をし、それから「外務大臣にご挨拶に行く」という友人に、こんな機会はまたとないのだからと私たちもついて外務大臣の元へ。この大臣はポプラド出身、そして駐日スロバキア大使を務めたこともある方です。マルツェルも握手を交わし伝えたかったメッセージを伝えます。一方の私はどうしてもぺテル・リパさんと写真が撮りたくて、彼の元へ向かいます。スロバキアに来てもう10年になりますが、こういうときにはまだ旅の恥は掻き捨てが適用されるんですよね、「あなたの音楽を聞くのがとても好きなんです」と切り出して彼に歩み寄りました。とても気さくな方でその日のコンサートに行けなくて残念なことを伝えると、「ポプラドにもコンサートで行くんだよ、今度はお子さんも一緒においで。お子さんはいくつかい?」などと少し話すことができました。そして、その夜のコンサートで共演する日本人ジャズシンガーのマスミ・オーマンディーさんも紹介してくださり、彼女とも話す機会を持つことができました。
マスミ・オーマンディーさんは、この交流100周年を記念して大使館が呼び掛けた桜の木を500本植樹するプロジェクトに18,000ドルもの寄付を集めてくださったのだそうです。
語学教育に携わる彼女は60代からジャズシンガーとして活動、70代でCDをリリース、そして80歳の現在は1年の半分以上をコンサートで国内だけでなく、米国に欧州に飛び回っているのだそうです。すごいパワーの女性ですね。私の密かな目標は「マラソンの走れるおばあちゃん」なのですが、彼女は絶対にフルマラソンだって走れるに違いないと思うほどパワフルで素敵な方でした。
この500本の桜はブラチスラバをはじめ、スロバキア各地に植樹される予定とのこと。ワシントンのような桜並木がスロバキアにもできるといいなと思うと同時に、ここポプラドにもその桜が一本でも植えられたらいいなと思います。
マスミさんに関する記事はコチラに
ぺテル・リパさんの歌はコチラで
日本とスロバキアの交流が始まって100年。次の100年は桜とともに深める交流ですね。
私とスロバキアの交流は高校の交換留学中アメリカで出会ったスロバキア人留学生に始まり、今年その4分の1の25周年を迎えます。四半世紀、なんだかずっしりとくる年数になってきました。そして彼女がきっかけでスロバキアに住むようになり10年。自分の意志でスロバキアに来たという思いがあり、愚痴をこぼすのは自分の意志に負ける気がして不満は口にしまいとはじめの数年は歯を食いしばって乗り切った気がします。あれから10年。今では自分の意志で来た、そんな突っ張った気持ちからスロバキアに受け入れてもらい、いさせてもらっているに変わり、そう思うと不満よりも感謝の気持ちが大きくなりました。そして私がそう感じられるのは先人の築いた交流・友好関係100年のお蔭でしょう。これからの100年もまたさらに絆を深め、両国にとって実り多き100年となりますように。
1月14日、スロバキア文化省にてその日本・スロバキア交流100周年オープニングセレモニーがあり、私とマルツェルもそのセレモニーに出席すべくポプラドから電車で3時間半、ブラチスラバまで行ってきました。
車窓から見たタトラ山脈
タトラ山脈は日本人にとっての富士山的存在、きれいに見えると嬉しくなるものです。
ここのところ霧がかった日が多いため、木々が真っ白になり、窓の外に見える景色はロシアのおとぎ話のワンシーンのようでした。
途中ジリナから友人が合流して一緒にブラチスラバへ向かいます。
電車はよく遅れるので余裕を持って早めの電車で行ったところ、ブラチスラバに住む義弟とランチをしてもまだ時間があり、会場近くのカフェにもよってから、いよいよ文化省の会場となるホールへ向かいます。入口でウェルカムシャンパンを受け取り会場内を見回すと、在スロバキア日本大使はもちろんのこと、スロバキアの文化大臣、外務・欧州問題大臣他政府関係者、メディア等々、華やかな面々が揃い、「平服って書いてあるのにスーツとネクタイで行くの?」とドレスコードに不服だったマルツェルも納得です。会場にはなんとその夜予定されていた記念コンサート出演のスロバキアジャズ界の大御所、ぺテル・リパ(Peter Lipa)の姿もありました。
大使、文化大臣、外務大臣の挨拶に続いてミニコンサートがあり、その後は私がもっとも楽しみにしていた立食パーティーです。
まずは久しぶりに会う、日本人の友人たちに軽く挨拶をし、それから「外務大臣にご挨拶に行く」という友人に、こんな機会はまたとないのだからと私たちもついて外務大臣の元へ。この大臣はポプラド出身、そして駐日スロバキア大使を務めたこともある方です。マルツェルも握手を交わし伝えたかったメッセージを伝えます。一方の私はどうしてもぺテル・リパさんと写真が撮りたくて、彼の元へ向かいます。スロバキアに来てもう10年になりますが、こういうときにはまだ旅の恥は掻き捨てが適用されるんですよね、「あなたの音楽を聞くのがとても好きなんです」と切り出して彼に歩み寄りました。とても気さくな方でその日のコンサートに行けなくて残念なことを伝えると、「ポプラドにもコンサートで行くんだよ、今度はお子さんも一緒においで。お子さんはいくつかい?」などと少し話すことができました。そして、その夜のコンサートで共演する日本人ジャズシンガーのマスミ・オーマンディーさんも紹介してくださり、彼女とも話す機会を持つことができました。
マスミ・オーマンディーさんは、この交流100周年を記念して大使館が呼び掛けた桜の木を500本植樹するプロジェクトに18,000ドルもの寄付を集めてくださったのだそうです。
語学教育に携わる彼女は60代からジャズシンガーとして活動、70代でCDをリリース、そして80歳の現在は1年の半分以上をコンサートで国内だけでなく、米国に欧州に飛び回っているのだそうです。すごいパワーの女性ですね。私の密かな目標は「マラソンの走れるおばあちゃん」なのですが、彼女は絶対にフルマラソンだって走れるに違いないと思うほどパワフルで素敵な方でした。
この500本の桜はブラチスラバをはじめ、スロバキア各地に植樹される予定とのこと。ワシントンのような桜並木がスロバキアにもできるといいなと思うと同時に、ここポプラドにもその桜が一本でも植えられたらいいなと思います。
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ぺテル・リパさんの歌はコチラで
日本とスロバキアの交流が始まって100年。次の100年は桜とともに深める交流ですね。
私とスロバキアの交流は高校の交換留学中アメリカで出会ったスロバキア人留学生に始まり、今年その4分の1の25周年を迎えます。四半世紀、なんだかずっしりとくる年数になってきました。そして彼女がきっかけでスロバキアに住むようになり10年。自分の意志でスロバキアに来たという思いがあり、愚痴をこぼすのは自分の意志に負ける気がして不満は口にしまいとはじめの数年は歯を食いしばって乗り切った気がします。あれから10年。今では自分の意志で来た、そんな突っ張った気持ちからスロバキアに受け入れてもらい、いさせてもらっているに変わり、そう思うと不満よりも感謝の気持ちが大きくなりました。そして私がそう感じられるのは先人の築いた交流・友好関係100年のお蔭でしょう。これからの100年もまたさらに絆を深め、両国にとって実り多き100年となりますように。
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