京都に暮らしていた頃に始めたこのblog…
自分の想いを素直に正直にありのままに文字で表現する事
シングルマザーで、乳がんを患い闘病を経験した事から…
長年のお仕事…美容師✂️
この武器で、同じように苦しむ乳がんの女性の力になりたいと闘病当時から考えて決めていました…その時に巡り会ったのが、私の所属しているNPO法人ヘァエピテーゼ協会でした😊
その協会を立ち上げた方から、blogを始めるきっかけを頂き今に至ります。
シングルマザーになった時は.35歳
乳がん闘病時は、38歳
当時は、京都に存在するjoule Sanloadに勤務していました。
ウィッグ制作のご依頼をもらった時は、お休みの時に出張と言う形で活動していました。
京都、大阪、滋賀、車にはナビゲーションがなかったのに、迷子にならず約束時間を過ぎることが一度もありませんでしたが…帰り道は何度も迷子になりました🚗
とても懐かしいですね。
子どもが産まれる迄は、朝からサロンワークが始まり、営業終了してからも、終電前までサロンに残ってレッスンしたりスタッフとずっと一緒に過ごしていたので、京都に暮らしてるのに有名なお寺に行く機会も少なかったので、
サロンを退職し福岡に行きたいと会長に伝えたのは…確か乳がん闘病してから2年後だった頃だと思います。
この会社と会長には本当に心救われた事が数知れず…
原因不明の体調異変から乳がんと分かるまでの2ヶ月間は、微熱、酷い倦怠感、耳鳴り、歩行迄も辛くなり、めばちこができて治っても又できたり…近くの眼科から始まり幅毎日お世話になっていた接骨院の先生から…杉本さん首のリンパが腫れてるから内科に今直ぐ行って診てもらった方がいいよと内科で診察。35歳の時に右胸のしこりに気づいて近くの内科に行ったら関西医大の乳腺科に紹介状書いてもらい検査してもらったら、良性の嚢胞と診断
その時から3年も放置…
良性やから大丈夫‼️と間で定期検査も一度もせずシングルマザーになった直後だっただけに…がむしゃらに働きました。
母親は心配して定期的に検査に行っとき‼️と何度も言ってくれていたのに言うことも聞かずの私に襲いかかったのは、原因不明の体調不良でした🏥
身体が起こせなくなってしまった私は、やむ得ず休職させてもらう事に…でもシングルマザー幼い2人を抱えている私を思い会長は、有給を使って僅かでも家賃の足しになるだろうとまるで親のように助けてくれました。
2駅離れた実家に戻るようにも何度も言われたけれども、子どもたちとの3人の暮らしを継続し続けました。
関西医大の耳鼻科、整形外科、乳腺外科と3つを回り巡り…中々体調不良の原因がわかりませんでした。あの2ヶ月間は本当に辛かった😓
このまま原因不明の体調不良が続いて寝たきりになったら亜未ちゃんと学斗くんはどうなるんやろう…考えると怖くて怖くて足を引きずりながら図書館に行って体の異変がわかるような本を借りたり、区役所のひとり親家庭の相談窓口に行ったりと…
関西医大の乳腺外科の主治医から、3年前に検査してもらった時のレントゲン写真と比較すると嚢胞がかなり大きく更に多忙性と変化しているとの事…耳鼻科と整形外科の検査結果が出る前にこちらから進めていきましょうと…
結果…悪性乳がん告知