毒親へ…無償の愛を生涯捧げる…中編
毒親が、アルツハイマー認知症と診断を下された過去から振り返る……
わたしは、既に福岡の地でわが子と暮らし
父親からその事を電話で伝えられました。
電話を受けた場所は、忘れもしない西体育館バウンドテニス他部での練習時でした。
外に出て電話をかけ直し…その事を知って信じられず……酷く動揺した感覚はしっかりと記憶しており、電話を切った後に即その場で…アルツハイマー認知症と言う文字を携帯電話で検索して調べました。
脳のある一部が萎縮し、認知度が低下していく脳の病気
完治する事も完治できる方法もドンピシャに効くお薬もこの世にはまだ存在していません。
母親の場合ですが、最初に始まったのが、夜間に家を出て徘徊からでした。
そして早朝辺まで外をうろつくわけです。
異変をさらに感じた事は…お花や植木…鉱物が大好きで、何処からかそのお花を切って持って帰り、部屋に飾ってました。その数が異常な数で……奇妙と言うか……恐怖に感じました。
4か月ペースで、帰省し母親の主治医と面談継続していました。施設に入居が決まる迄の期間。
鉱物の育成も、独学だと思います。本は数冊見たことがありました。ほんまにめちゃくちゃ育成や植木の剪定等……とても上手くて、植木屋職人も顔負けする程のテクニックがあり、几帳面で綺麗好き……ほこり等見たことがありません。
そして、お料理もプロ顔負けするほどの素晴らしい手作りのお料理…ひとりで食べるお昼ご飯でも手を抜くひとではありませんでした。
音楽も大好きで、歌を歌う事はとても好きだったと思います…わたしが二十歳の頃、めちゃくちゃカラオケに行くことが流行っていた時期に、幼馴染の○○ぼーと毒親がこころから大好きだったその母親の○藤さんと四人でカラオケ屋さんに行き、母親の歌う歌声に魅了していました。
そして、レース編み……素晴らしい作品の数々がお家の中で飾られていました。
お母さん、そのレース編みで、将来わたしのウェディングドレス作ってや!!!何度かおねだりした記憶ありますが、そんなんちかちゃん無理やわぁ〜って微笑んでいましたね。
上記の母親の素晴らしい所は、未だわたしは越すことができません。
多分……生涯かけても越せないと思いますし越したいとも思いません。
そんな事よりも……
捧げてもらえて嬉しかった事は、真似をしたいしそのこころをわが子に伝え繋げていきたいなと何時も思っているし、喜んで伝えてます。
だから、わが子ふたりはきっとたーちゃんはすごい人だったんやなと今でも思っています。
毒親の姿を直接見て、わたしと揉めているその醜い姿を見て良い影響を与える事は先ずありませんので……見せなくて良かったとこころから思っています。
それは、毒親と同様に、元旦那さんとの事も同じです。
まったく、ふたりは見ていなかったので笑笑
とても平和だったと思います。
こころ深く傷つき、そのこころない殺人的な言葉の暴力を受け続けたのはわたしひとりだったから……わたし自身がその事を受け止めて、受け入れて、反面教師とプラスに捉え、その反面教師をこの先の自身が歩む道へ……生き活かせる事をこころに強くおき……
わたしとそっくりな父親からの無償の愛を有り難くこころから感謝して……
関わるひと達からの多くの愛情、優しさ、思いやり、本当に何度も何度も何度も……
数え切れないほど……
こころから感謝し泣きました。
ここまで、真っすぐに歩み続けて来れたのも、
自分自身の力だけではなく、関わる多くの人たちからの目には見えない無償の愛すべてでした。わが子の子育ても同じように……
毒親には、数名のみこころ許せるお友だちが存在していました。その方の事は今でも記憶に残っていますが、不思議な事に一番お世話になっていた旦那さんの事は、覚えていません。
存在は理解していても、遺影の写真や、手作りの写真立ての夫婦の写真2枚入れていますが、
父親の名前すら言葉には未だ出ません。
その事が不思議というか……少し悔しさは正直あります。
毒親の敵は……父親とわたしの2人でした。
わたしと父親は顔立ちも、身体の見た目も、性格も粗そっくりなので笑笑笑
めちゃくちゃ敵です!!!笑笑
わたしと父親は、破天荒……我が道を突っ走る自由人
と言っても……父親は男性、わたしは女性なので、真の素性は似ていても、選んだ職種も違うのと関わる人たちもまったく違うので、いちひとりの人格者となりますが、価値観や倫理的な事、世間一般的な考えや受け止め方もとても似ていましたから、父親の話す事には不思議な程こころに腑に落ちる事が多くありましたが、
母親の家庭内の家事に関しての事は、こころに腑に落ちましたが、他のことは?説得力はありませんでした。
社会人として他者と共に働くという事が僅かで専業主婦に徹して生きて来られてましたから、仕方ありません。
人間関係でひどく悩む事もなかっただろうし…
…
生花もそう言えば一流でした。
近所のママ友を自宅に招き、生花を一瞬教えてはった事がありましたが、数回で辞めていたと思います。
当時、小学生低学年だったわたしは、生花教室の後に近所のおばちゃんたちと一緒にお茶とお菓子を食べる和やかで面白い雰囲気が、とても大好きでこの生花教室がずっとずっと続いたらいいのになぁ〜って子どもながら、強く望んでいました。
お話を最初に戻しますが……
アルツハイマー認知症と診断下されてから、月に一度、神経内科受診と週に3日のディサービスから、スタートを切りました。
離れて暮らすわたしには、度々おかしい状況に陥った時は、必ず電話で話し合いを継続しました。
そして……当時物凄くお世話になった両親のサポートをしてくださったケァマネージャーさんこの方が本当に色んな知識を教えて下さりました。
こころに残っている事は……
アルツハイマー認知症の方を、長年見て来ましてね。
元々の性格……優しいひとはより優しく、厳格なひとはより厳格に、暴力的なひとはより暴力的になります。ひつこいひとはよりひつこく……
お母さんの場合でしたら……わかりますよね。
デイサービス時に、色鉛筆で塗り絵を行うのですが、その配色の選択や、制作終了時の出来栄え……
そこには、こころの闇や陽……見受けることになりますよ。
お母さんの色塗りの作品を、帰省時には必ず見て感じてください。
死刑囚の方々の絵の作品には……
黒色の彩が多く使われていた事は、元々知っていたわたしでしたが……とても腑に落ちました。
現在、アルツハイマー認知症と年老いた御両親を介護されているわたし世代の多くの方々にもコレは必須記事だと感じまして、中編と直感が閃き……
真実をこころから綴りました。