たどってみれば終戦記念日について記事をアップしてたのは2007年。
まだJr.君も我が家に来ていなかった年だったのだなぁとしみじみ。
http://blog.goo.ne.jp/chocolat_001/e/abee6d3b4353e947291e1ec9e0aec4bd
私の亡くなった母はがっつり大阪大空襲を市内の京橋で生き延びた人だったのでよく戦争体験の
話は聞いていました。
私の通っていた小学校の校庭も死体焼場だったし、家の前の現在のOBP前の寝屋川からは
不発弾がよく出ていた。
大阪城脇の大阪陸軍造兵廠の跡地が子供の頃の遊び場だったし。
もちろん立ち入り禁止だったけど、昔はそんなもの関係なくで遊びに入れてたものですし~。
改装する前の実家の柱には銃痕があったりした。
なので結構戦争の話は身近に聞いたりして育った私。
そして今日は終戦記念日なんだよとJr.君に初めて話をした日となりました。
小学校1年生でようやく、という感じです。
「今日は日本とアメリカとかイギリスとかいろんな国が戦争をしていてそれが終わった日やねんよ。」
「戦争って何?」
「けんかの大きいので人が殺し合いして勝ち負けを決めること」
「えぇ~、人殺したらあかんやん」
「そうやねん。勝っても負けても殺された人の家族とかはすごく悲しいしな」
「そんなんやったらはじめからしなかったらいいのになぁ」
まったくその通り。
「今でも戦争してる国あるけど、できるだけ話あってけんかが終わったらいいよね」
…とその後もし戦争したい人がいたらどうする?とか結構深い話ができました。
日本では戦争を考える機会って祖父母がすでに戦争を知らない世代だったらできなくなってきてるし、
なんとなくタブーな感覚だけれども、今の日本と台湾や中国、韓国との関係を背負っていくのは
これからの子供達なんだからやっぱり大切なことで意見を交わすというのは必要なんじゃないかと思う。
後手後手に対応している今の政府の状況が謎だらけで、これで日本という国に対して誇りをもってとか
グローバルな活躍を、とか言われても??ってなっちゃうんじゃないかなぁ。
世界の人と話をする時に過激でない程度の愛国心がなければその人のアイデンティティはないものとして
扱われるのに、この及び腰の政府の対応を今の若い人たちはどんな気持ちで見ているのだろう。
「米軍が本土に攻めてきたら竹やりで本気で戦うつもりだった」とその時の教育の恐ろしさを言っていたけど、
今はあまりにも基盤がなさすぎて逆の恐ろしさがあるねとよく話していた。
過去も現在も戦争で亡くなったあらゆる人たちに黙祷を捧げると共にJr.君やモカちゃんが背負う未来が
世界の人たちと繁栄を築けるものでありますように。
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戦争の悲惨さ、愚かさを忘れ、戦争できる状態にすることを賛美する、それが本当の意味での「平和ぼけ」ですね。でも、日本、世界は再び過ちを犯すときがくると思います。おろかですから。再び身をもって痛みを味合わないとだめなのでしょう。
こういうごくごく普通のブログではちょっと削除しなければいけないか判断に困りますので、今後は少し控えていただけるとありがたいです。
一般的に政治と宗教の話はタブーとされているこの風潮がいったいいつから始まったのかわからないのですが、やっぱり教育の質と内容、、、なのかなぁと思います。
できれば痛みを味あわずに良い方向に判断されていくことを望みます。