Jr.君を迎えた2008年、6月にやってきた孫のことを最期まで気にかけてかわいがってくれた母。
その頃にはまだ生まれていなかったモカちゃん。
今日の夜中(相変わらず2時に起きてます)に一人しんみり母を思い出しながら感慨にふけっていました。
もう恒例となった母の写真の前にキャンドルを灯して…。
去年も同じ、そのまた前も…。
http://blog.goo.ne.jp/chocolat_001/e/e6fdbb6155c91e7d3cb18e65063723f0
で、朝起きてきた家族みんなで今日はおばあちゃんが天国に行った日よとお話をして。
去年はモカちゃんは”ばっば?”って聞くくらいだったのに、今日は”死んだおばあちゃん、あれ?”と
写真を指差してそこからどんどん話をしてきました。
Jr.君はお見舞い行く時にいつもチョロQを持っていったこと。
歩いている間に見ていた風景の話をしていました。
モカちゃんは「ママが死んだおばあちゃんになったら追っかけてうれしいの?」とかなりの話ができてました。
↑最初???だったけど私が死んだら天国でおばあちゃんに会えるからうれしいの?と聞いてるんですねぇ。
私 「そうやねぇ。ママが死んだら死んだおばあちゃんとまた会えてすごくうれしいなぁ~」
モ 「じゃぁみんな死んだおばあちゃんになったらみんなうれしい?」
私 「そうやなぁ、モカは死ぬまでずーっと先だからなかなか会えないだろうねぇ」
J 「僕が生まれた時はもう病気だったん?」
母はすい臓がんだったので…「そうやねぇ、多分もう病気はあったと思うけど、ずっと元気やったな」
J 「だってガンやったんやろ?」
私 「そうそう、よく覚えてるね。」
J 「先にお父さんか、お母さんか、ショコラか先に死ぬやんなぁ~」
私 「そうやなぁ、お母さんも今は元気だけど、もしかしてもう病気は体の中にあるかもなぁ」
…とこう言ったとたんにモカちゃんが急に「いややぁ~~」と泣き顔に。
それでも「ママ死んだおばあちゃんになったらうれしいの?」
と聞いてくるからJr.君が「もう死ぬ話はやめとこう」と珍しく話を終わる宣言。
私 「今日は1日の間で時々死んだおばあちゃんのこと考えてくれたらお母さんはうれしいよ」
朝食を食べ終わって棚に飾ってある母の写真のところに行ってみんなで手を合わせました。
J 「神様とマリア様とイエス様といろんな人と一緒に天国にいてるんやんなぁ」
私 「そうやで~」
モカちゃんもお手て合わせてにゃむにゃむやってくれました。
母が生きたとおり、私も思いっきり人生を楽しみながらやってるよ。
今日の日は2度と来ないから、子ども達にもかふぇオットにも素敵な時間を生きていって欲しい。
仕事も勉強も遊びもめいっぱいやって、時にはだらだらしながらやっていくわ。
モカちゃんももうすぐ実質的なお母さんの孫になりますよ。
死んだおじいちゃん(私の父)はあんまり登場しませんが、やはり私の生き方に多大な影響を
与えてくれたのはやっぱり母親です。
今も生きててくれたらなぁとも思うけど、だからこそ私は長生きしなくっちゃと益々健康オタクの
道に突き進んでるのだから、やっぱりこれも必然だったのかな
今日も明日も素敵な1日を~
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凄い存在だな~って思います
会話を読んでいても、この1年でJr君やかふぇちゃんも大きく成長したなぁ
モカちゃんも「お母さんがいなくなったら」・・という想像ができるようになったんですねぇ
限りある命・・・毎日めいっぱい楽しんで生きたいですね
私がどんなにがんばっても母の域には到達できない気がします…
Jr.君は本当に色々吸収していてその脳の柔らかさにはいつも脱帽状態です。
モカちゃんもそんな”にいに”のこと大好きに育ってきてくれていて天国の母の見守りのお陰だなぁと。
いつでも後悔しないようにしなきゃ、ですね~