鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

明日から忙しくなるというのに何もしていない。

2006-11-04 14:31:25 | 直言!
とりかからないといけないと思いながら新聞や週刊誌よんだりテレビ見たりしている。パソコンを開いてはジャーナリスト・ネットの原稿を作ったりしている。
そしてテレビを見ながらコーヒーを飲んで側にイモかりんとうの袋がおいてある。これは半分残すつもりなのにみんな食べてしまった。食べたあと後悔している。「食べすぎ」「食べすぎ」と独り言を言っている。
そしてまたご飯粒が食べたくなった。
玉葱2分の1、ベーコン3枚、卵1個、韓国唐辛子1本を用意してこれを切り刻んでフライパンで炒めて出しの素で味付けして卵をはるとできあがり。これを食材にしてご飯を食べた。
また食べた後「食べすぎ」「食べすぎ」と独り言を言っている。
誰かが私の細いときの写真を見せてほしいと言っていた。
私はそのへん見せたい願望があるのか。(いやらしい性格)
机の引き出しの写真帳を取り出した。
1986年7月に北京に行ったがこのときの写真がでてきた。
多くの方の協力で中国に1回きり臨時パスポートで入国している。
やっぱり細い。41.歳の細いときの自分に悦に入って見入っている。
自分でも「アホかいな」と独り言をまた言っている。
このときは細くて白いバンツをはいていたのに今は黒しか着なくなった。
色にも感性をなくなったのかとしょげている。
北京の町の風景もたくさん撮っている。
昼間は大きい道路に自転車が何列にもなって走ってくる。横断することができない。信号もない。「みんなで渡れば怖くない」と言って渡ったことも思い出した。夜になると何も見えない闇夜だった。
北京料理が食べられなくて一緒に行った地方紙の記者の案内で10数人がアメリカ人が宿泊するホテルのラウンジに食事に行った。
ここの料理はアメリカンスタイル、食べられたが高価でそんなに多く注文ができなかった。少しずつ分け合って食べた。
このとき行き帰りのタクシーをホテルの横で待ってもらっていた。そして地方紙の記者は行きと同じ料金同じチップを渡すと「されは取れない。もっとチップを出せ」と要求したという。
私たちの泊まるホテルに帰ってきて彼はブウブウ怒っていた。
社会主義なのに資本社会になっているとも話していた。
そんなことも思い出した。闇夜だった中国の町、今は発展して明るい北京の町をテレビでよく見るようになった。あれから20年もたっている。そりゃ国も変わり発展していくだろう。しかし地方紙の記者は今はこの世にいない。
早く天国に行きすぎた。だからあんなに激しく精力的にボランテイア活動をこなしていたのだろうか。

そして変わらないのが北朝鮮の現実である。こんなことを思うと胸が痛む。

故宮に行くと韓国の民族衣装をきた親子連れを見た。
私はへたくそな韓国で話しかけた。
そしたら地方紙の記者が言った。
「この子たちは中国の朝鮮族で中国ができても朝鮮語ができない」と横から地方紙の記者が言った。そのとき朝鮮族が中国にいることは漠然とは分かっていたがそんな詳しいことは知らなかった。声をかけたことに恥ずかしくなった。
そして在日韓国人の新聞社で仕事をするようになってその歴史がわかった。日本植民地時代に中国に流れていった同胞の子孫であることが分かった。

現在、コリアンの海外同胞500万人以上である。
日本植民地時代に海外に出た人、そして日本植民地支配から解放された韓国は軍事政権になり南北分断国家は政治的制圧でアメリカなどの海外に行った人など多くが世界で暮している。

日本植民地時代の子孫が多く日本に残った。
日本の敗戦後、国に帰れると信じていたのに帰れなくなって子孫は4世になり5世もできつつある。
それでも韓国の言葉、韓国の文化や風習を学習するために日本で韓国系。朝鮮系の民族学校を作った。
そして一条校にならなければ子どもたちの高校や大学の進学に大きく影響することから1世たちは財政的も考えて血と汗と涙とお金を使って日本の文部省あるいは後年の文部科学省を通して韓国系の民族学校4校のうえち3校は1条校の認可をもらった。
しかしである。
この一条校と在日韓国人社会が育んだ在日韓国人の現実を知らない本国、韓国の人は平気で在日韓国人に傷をつくような言葉を発する。
「一条校は日本の学校だ。日本の教科書で勉強している。韓国語も何もしらない」という。だから日本公立学校のカリキュラム以外の時間に時間割を多く入れて韓国語や文化や歴史の授業しているのである。子供たちも教師たちも努力をしている。
だったら一条校の認可がなければ韓国は韓国系の学校に支援を十分にしていくだろうか。1部の支援金はあっても十分な支援はぜったいにない。しないから1世たちは財政的にも日本で暮す在日韓国人として教育に何が必要かということを考えて在日韓国人が日本で共生できるように一条校の認可を苦労して取った。
こんな声が聞こえてきたとき本国、韓国の人たちは日本に住んでいる在日韓国人をはなから理解しょうとしていないのであることが見えて悲しくなった。
2世のアボジ(おとうさん)は辛く悲しそうに言った。
「在日韓国人は韓国の建設のために1世の親はどれだけ貢献をしてきたのか。俺の親父もセマウル運動を通して学校や道路建設におおかた1億円近いお金を投資してきた。ソウルオリンピックにもどれだ在日韓国人は支援したのか。250億ドルもの支援をしてオリンピックを成功させた。一条校は日本人の学校で韓国系の学校になんの価値もないと言われた。在日韓国人が連綿と作ってきた『在日民族』を否定されてしまった。もう在日韓国人が嫌い。俺はもう帰化する」と私に電話で訴えていた。
韓国系の民族学校、各学校特徴があって支援者は各学校のみんなは必死で民族学校を守っている。
半世紀以上に日本で暮してきた。在日ひりあんの民族である。しかし離れていても同胞である。韓国系の民族学校を作り日本政府から支援を受けている1条校認可校は在日同胞の知的、文化的財産である。
本国、韓国人は在日韓国人の歴史を学んでほしい。
韓国の大学などに「在日韓国人研究学科」を設置してもらいたい。
韓国の人たち、在日韓国人を見てわかったふりをしている。しかし韓国に帰ると在日韓国人の同胞は棄民扱いである。
そしてフイリッピンやロシア、中国に韓国人は事業などで進出している。親と一緒に子供たちも一緒に赴任する。その子どもたちも定住していく人も多くなっているだろう。子孫のために韓国系の学校が創設されていく。
そちらに多くの支援金をまわしたいともいう声も聞かれた。

小子化していく日本、在日韓国人も同じである。
日本の韓国系民族学校にも小子化の影響を受けている。
韓国の予算も大変だろうが日本社会で「在日民族」を形成できたのは民族教育があったから出来てきた。
その歴史を大事にしてもらいたい。諸外国よりも早く早く民族学校を作ってきたことは評価されるものである。

私は2世のアボジ、電話の向こうで「俺たち、在日民族をつくってきたのに理解してもらえない。もう俺帰化するわ」と言った言葉が今も脳裏に残っている。
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