日本の北海道の小さな田舎に日本語学習で渡日するが見聞は違った。日本で働いて家族を養い借金を返済していく。家族が離れ離れになって暮している家族の様子の15年を実話ドラマにした。
テレビを見終わって日本のこうした外国人を日本に呼ぶ。しかし着てみると現実は違う。日本植民地支配された朝鮮人の先人が日本に仕事を求めてきた生き様とまったくかわっていない。もちろん日本植民地支配されていた朝鮮人の日本の生活は今日のテレビの中よりもっと過酷な暮らしだった。
あれから何年もたっているのに外国人に対する日本人の見方、受け入れ方がは何も変わっていないと改めてそう思った。
そんなことでついついテレビを最後まで見てしまった。
今日は京都で2つの現場に入って仕事をして奈良にもどったのが4時過ぎだった。冷蔵庫がまだ野菜類が足りないので夫に荷物持ちをしてほしくて夫の携帯に電話すると近鉄奈良駅の近くを歩いているという。
それだったらということで近鉄奈良駅の近くであった。
そのままスーパーに買い物して買えればよかったが長いこと夫と外食していない。たまにはいいだろうと考えて近鉄奈良駅近くで和食を食べた。
私はランチもので1000前後と思っている。ビールを飲んでも2500円前後で外食代が済むと思っていた。それぐらいだったら私がだしてもいいと思っていたら食道楽の夫はランチ意外に高い物を2品注文する。ビールは3本飲む。私は安い揚げだし豆腐なのに夫は合鴨ロースに上マグロの刺身、私の頭の中は真っ白になっている。
しかたない3000円だしてあとは夫に払ってと言った。
夫はさすが自分が食べていると思ったのか全部払ってくれた。
だから夫と外食するともう高くついてうっかり外食ができない。
安くあげようと思ってお好み焼き屋にいくと不機嫌な顔して食べている。お好みや焼きより焼き肉を食べたい顔をしている。
そんなことで近年とんと外食しなくなった。
久しぶりに外食すると夫の食道楽はまだ治っていない。
やっぱり家で作って食べるようにしないといけない。
そのぶん、私がしんどい。
今日は食材の買い物の荷物持ちにきてもらって外食をして家に帰ると夕食の準備をしなくていいので楽して得した気持ちになったが高齢者の窓口にさしかかっている我が家にはきつい出費だった。
昨日、ブログは夜つくれなかった。
急遽、大事な仕事が入り電話をかけたりした。その電話の内容をバソコンに入力して送信する作業をした。
大体昨日は生駒の現場に入ったのが4時、自宅に戻ったのは6時、それから電話したりしているうちに7時過ぎになって夕食して風呂に入ると9時すぎになった。
そしてジャーナリスト・ネットに早く掲載しないといけない案内資料がはいる。すでに時計は12時前、それから急いでしても1時半、床についたのが2時になっていた。今朝はまた9時過ぎに自宅をでて京都に向かった。
明日の現場に入るのがあったが中止することになった。
5・6日、東京から編集委員が降りてくる。同行して対応をしなければならなくなった。
昨年の11月、東京であってもう1年になる。早いものである。
もう1年も会っていなかったのか。
今年に入っていろんなことがあったのでゴタゴタバタバタしているうちにもう11月になっている。
久しぶりに編集委員と会えるのでうれしい。
何も話すことはないのに久しぶり会えることはうれしい。
今日、耳塚に行った。
豊臣秀吉が朝鮮を侵略して中国、当時は明の国までいこうとした。そして多くの朝鮮人に危害を加えた。その成果の証が鼻を切り取ることだった。鼻を切り取って塩漬けにして豊臣秀吉に送ったといわれている。耳を削いだとも言われて耳塚になっているが鼻がそがれているといわれている。豊臣秀吉はその塩漬けされた鼻を供養するために作ったといわれる京都豊国神社の近くにある耳塚、今日もひっそりとたたずんでいた。写真におさめた。秋の昼下がり、柔らかい日差しの入った写真になった。
今日はテレビをみないでパソコンの前にすわればよかったのにテレビ欄を見て気になった番組、テレビをみて面白くなかったみるのをやめようと思ったがひたむきに生きる中国人の家族、ひたむきさにかつての在日同胞の1世の生き様に似ているようで吸い込まれて見てしまった。
涙なしでは見られない番組だった。
夫がおきてきた。まだ寝ていないのかと文句を言っている。
もう時計も12時になった。
ねることにしよう。
テレビを見終わって日本のこうした外国人を日本に呼ぶ。しかし着てみると現実は違う。日本植民地支配された朝鮮人の先人が日本に仕事を求めてきた生き様とまったくかわっていない。もちろん日本植民地支配されていた朝鮮人の日本の生活は今日のテレビの中よりもっと過酷な暮らしだった。
あれから何年もたっているのに外国人に対する日本人の見方、受け入れ方がは何も変わっていないと改めてそう思った。
そんなことでついついテレビを最後まで見てしまった。
今日は京都で2つの現場に入って仕事をして奈良にもどったのが4時過ぎだった。冷蔵庫がまだ野菜類が足りないので夫に荷物持ちをしてほしくて夫の携帯に電話すると近鉄奈良駅の近くを歩いているという。
それだったらということで近鉄奈良駅の近くであった。
そのままスーパーに買い物して買えればよかったが長いこと夫と外食していない。たまにはいいだろうと考えて近鉄奈良駅近くで和食を食べた。
私はランチもので1000前後と思っている。ビールを飲んでも2500円前後で外食代が済むと思っていた。それぐらいだったら私がだしてもいいと思っていたら食道楽の夫はランチ意外に高い物を2品注文する。ビールは3本飲む。私は安い揚げだし豆腐なのに夫は合鴨ロースに上マグロの刺身、私の頭の中は真っ白になっている。
しかたない3000円だしてあとは夫に払ってと言った。
夫はさすが自分が食べていると思ったのか全部払ってくれた。
だから夫と外食するともう高くついてうっかり外食ができない。
安くあげようと思ってお好み焼き屋にいくと不機嫌な顔して食べている。お好みや焼きより焼き肉を食べたい顔をしている。
そんなことで近年とんと外食しなくなった。
久しぶりに外食すると夫の食道楽はまだ治っていない。
やっぱり家で作って食べるようにしないといけない。
そのぶん、私がしんどい。
今日は食材の買い物の荷物持ちにきてもらって外食をして家に帰ると夕食の準備をしなくていいので楽して得した気持ちになったが高齢者の窓口にさしかかっている我が家にはきつい出費だった。
昨日、ブログは夜つくれなかった。
急遽、大事な仕事が入り電話をかけたりした。その電話の内容をバソコンに入力して送信する作業をした。
大体昨日は生駒の現場に入ったのが4時、自宅に戻ったのは6時、それから電話したりしているうちに7時過ぎになって夕食して風呂に入ると9時すぎになった。
そしてジャーナリスト・ネットに早く掲載しないといけない案内資料がはいる。すでに時計は12時前、それから急いでしても1時半、床についたのが2時になっていた。今朝はまた9時過ぎに自宅をでて京都に向かった。
明日の現場に入るのがあったが中止することになった。
5・6日、東京から編集委員が降りてくる。同行して対応をしなければならなくなった。
昨年の11月、東京であってもう1年になる。早いものである。
もう1年も会っていなかったのか。
今年に入っていろんなことがあったのでゴタゴタバタバタしているうちにもう11月になっている。
久しぶりに編集委員と会えるのでうれしい。
何も話すことはないのに久しぶり会えることはうれしい。
今日、耳塚に行った。
豊臣秀吉が朝鮮を侵略して中国、当時は明の国までいこうとした。そして多くの朝鮮人に危害を加えた。その成果の証が鼻を切り取ることだった。鼻を切り取って塩漬けにして豊臣秀吉に送ったといわれている。耳を削いだとも言われて耳塚になっているが鼻がそがれているといわれている。豊臣秀吉はその塩漬けされた鼻を供養するために作ったといわれる京都豊国神社の近くにある耳塚、今日もひっそりとたたずんでいた。写真におさめた。秋の昼下がり、柔らかい日差しの入った写真になった。
今日はテレビをみないでパソコンの前にすわればよかったのにテレビ欄を見て気になった番組、テレビをみて面白くなかったみるのをやめようと思ったがひたむきに生きる中国人の家族、ひたむきさにかつての在日同胞の1世の生き様に似ているようで吸い込まれて見てしまった。
涙なしでは見られない番組だった。
夫がおきてきた。まだ寝ていないのかと文句を言っている。
もう時計も12時になった。
ねることにしよう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます