今週は19日、日曜日京都に入って月・火・水と自宅にいるのに電話取材やらパソコン入力に終われてなんかゆっくりしないままに過ぎている。
あわただしい日々である。
こんなときに電車にのると若者たちの嫌なところが目についてしまう。
今日もJR鶴橋駅から環状線に乗った。大阪行きの方面である。
乗り換え駅の鶴橋なので当然大勢の人が乗ってくる。私は電車が来ているところあわてて飛び乗った。座席は若者たちが座って年寄りがたっている。座っている人の中に40代、50代の人も通路を挟んで両側に座っていた。両側の座席は握りこぶし1つ半づつぐらいの間隔を開けて座っている。詰めれば1人は座れるのに誰も詰めようともしない。「詰めましょう」という声も誰もかけない。
私はつり革を持って立っていた。重い鞄だが仕方がない。ふと左のドアの横に80歳を越えた高齢者が手すりをしっかり持ってたっているのに誰も変わろうとしない。
やっと森の宮で私の近くの座席があいたが80歳を越えた高齢者をさしおいて座れないのでその空いた座席を見ていた高齢者に「どうそ」と目で合図して勧めた。高齢者は快く座って下さった。そして京橋で私の前にいた人が降りられたので私が座った。
座った隣に恰幅のいい若い男性、まだ大学生のような青年が座っていた。ずっと上を向いて寝たふりをしていたが目を開けると向い側の座席から彼に視線が注がれていた。高齢者に座席を変わらないうしろめたさなのか頭を下にして抱えて寝たふりをしていた。いかにもしんどいふりをしていた。またその格好に向い側の座席から視線が彼に向けられていた。しんどくないことぐらいわかっている。血色のいい顔をしていたのだから。
乗車客は「元気の体格のいいおにいちゃん」というような目だった。
他の座席の若者たちも寝たふりをしている。
大阪駅で降りた。
80歳過ぎの高齢者も降りたが私のところにわざわざこられて「ありがとうございます」とお礼を言われた。
それで私は「少しでも座ると楽なのに若い人たち席をかわりまりませんね。私たちいくら模範を示そうと座席の譲り合いするのですが若い人たちにはいっこうにきいていませんね」と話すと「そうです。座りたかったので助かりました」とお礼を言っておられた。
私は待ち合わせの時間が迫っていたので足早に改札口に出て行った。
なんという世の中になったのだろう。電車にのって来られた高齢者、見るからに80歳を越えて立っているのが痛々しいのに40代も50代も知らん顔している。60代の私が気を使っている。
見るからに痛々しい高齢者でも無視している若者たちの心、道徳心もなくなった日本文化の退廃の縮図を見ているようだ。
韓国だったら変わらなかったら、周りの人が「変わりなさい」と注意をしている。注意をされた若者は気がつかなかった自分が恥ずかしくてそそくと隣の車両に逃げていく。
こんなこと言われる前にほとんどの若者は高齢者が乗ってくると変わっている。
かつて私が育ったころ、まだ社会人になっていた時代にも高齢者に席をかわっていた。日本の経済構築の発展とともに疲れた仕事人間があふれ出して道徳心のかけらもなくなった。
どうすればこんな光景を見ない日がくるのだろうか。
今日のJR大阪環状線での座席風景だった。
あわただしい日々である。
こんなときに電車にのると若者たちの嫌なところが目についてしまう。
今日もJR鶴橋駅から環状線に乗った。大阪行きの方面である。
乗り換え駅の鶴橋なので当然大勢の人が乗ってくる。私は電車が来ているところあわてて飛び乗った。座席は若者たちが座って年寄りがたっている。座っている人の中に40代、50代の人も通路を挟んで両側に座っていた。両側の座席は握りこぶし1つ半づつぐらいの間隔を開けて座っている。詰めれば1人は座れるのに誰も詰めようともしない。「詰めましょう」という声も誰もかけない。
私はつり革を持って立っていた。重い鞄だが仕方がない。ふと左のドアの横に80歳を越えた高齢者が手すりをしっかり持ってたっているのに誰も変わろうとしない。
やっと森の宮で私の近くの座席があいたが80歳を越えた高齢者をさしおいて座れないのでその空いた座席を見ていた高齢者に「どうそ」と目で合図して勧めた。高齢者は快く座って下さった。そして京橋で私の前にいた人が降りられたので私が座った。
座った隣に恰幅のいい若い男性、まだ大学生のような青年が座っていた。ずっと上を向いて寝たふりをしていたが目を開けると向い側の座席から彼に視線が注がれていた。高齢者に座席を変わらないうしろめたさなのか頭を下にして抱えて寝たふりをしていた。いかにもしんどいふりをしていた。またその格好に向い側の座席から視線が彼に向けられていた。しんどくないことぐらいわかっている。血色のいい顔をしていたのだから。
乗車客は「元気の体格のいいおにいちゃん」というような目だった。
他の座席の若者たちも寝たふりをしている。
大阪駅で降りた。
80歳過ぎの高齢者も降りたが私のところにわざわざこられて「ありがとうございます」とお礼を言われた。
それで私は「少しでも座ると楽なのに若い人たち席をかわりまりませんね。私たちいくら模範を示そうと座席の譲り合いするのですが若い人たちにはいっこうにきいていませんね」と話すと「そうです。座りたかったので助かりました」とお礼を言っておられた。
私は待ち合わせの時間が迫っていたので足早に改札口に出て行った。
なんという世の中になったのだろう。電車にのって来られた高齢者、見るからに80歳を越えて立っているのが痛々しいのに40代も50代も知らん顔している。60代の私が気を使っている。
見るからに痛々しい高齢者でも無視している若者たちの心、道徳心もなくなった日本文化の退廃の縮図を見ているようだ。
韓国だったら変わらなかったら、周りの人が「変わりなさい」と注意をしている。注意をされた若者は気がつかなかった自分が恥ずかしくてそそくと隣の車両に逃げていく。
こんなこと言われる前にほとんどの若者は高齢者が乗ってくると変わっている。
かつて私が育ったころ、まだ社会人になっていた時代にも高齢者に席をかわっていた。日本の経済構築の発展とともに疲れた仕事人間があふれ出して道徳心のかけらもなくなった。
どうすればこんな光景を見ない日がくるのだろうか。
今日のJR大阪環状線での座席風景だった。
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