鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

朝は曇っていたのに晴れてきた。

2007-05-17 10:43:06 | 直言!
雷もなった。季節の変わり目、初夏から梅雨に入る境目だろうか。
だんだん蒸し暑くなってくる。
韓国に行って気がついた。日本はかつて敗戦後、物不足だった。そして経済発展のために努力をした。さらに韓国動乱の軍儒景気で日本は高度成長を遂げた。1970年度の半ばに入ると多くの家にはそれなりの家電もそろい車も家にあるようになった。
1980年代に入って日本は使い捨て文化というものを生み出した。物を買っては捨てるという消費文化になった。それでも戦前や戦後すぐに生まれたものは物を捨てる文化に馴染めなかった。昔は服も既製服がなかったのでオーダーするか自分で作るしかなかった。だから丁寧に長いこと着た。私の娘時代もそうだった。19歳になったころ奈良にスーパーができてスーパーで買ってきたスカートに昔の母は怒った。「これは化繊や。あかん」と言った。何でもウールか木綿だった時代に化繊がでてきたのは活気的だった。だから服は丁寧にきた。

しかし時代は変わって服はションピングセンターにあふれ安く購入できるようになった。家は服もあふれてきた。そうしてバブル時は高級品を買う人も増えたがそれもためこんだ世代は古い世代である。やがて高齢になり身辺の整理をし始めた。
私は廃品回収に全部出したがフリーマーケットというのもある。ここに家にあるものが持ち込まれる。もちろん古着も持ち込まれる。安いが少しは代金をもらって引き取ってもらえる。これを元にして商いをしている人もたくさんいる。
私のような古い世代は古着を着るのに抵抗がある。知っている人の服をもらうなら別だが知らない人が着ていた服は絶対に私は着られない。1度デパートでお気に入りのジャッケとみつけた。ブランド物を3500円で買ったがやはり着られなかった。着ないで捨ててしまった。それから絶対に買わないことにしている。
それが今の若い子どもたちはピカピカの新しい商品で育ってきたせいか、色あせたセピア色がお気に入りらしい。そして安く買える。
どこかのフリーマーケットでみつけてくるのだろう。その古着を重ね着してなんかアクセサリーをつけてごまかしているがなんか汚らしい。たぶん洗濯しているだろうが汚らしい。この古着ファッションが町の景色も汚くさせている。
高度成長した日本の景色に合わない。
そして若者たちの秩序はさらに乱れているのでセピア色の古着ファシヨンは流行でなくて廃退していく日本を見ているようである。

韓国に行くと古着ファッションでなかった。そんなにいいものは着ていないが小奇麗にしたファッションをしていた。大体韓国は新しい物が好きですぐに捨てる文化もあるが色あせたファッションをしている人は見かけなかった。
まして背中。胸、肩出しのフアッシヨンも見かけなかった。
家族が一緒に食事して親は子どもたちの生活をきちんと見ている家庭を垣間みることができた。日本は孤食と言って個々に食事をして誰とも顔あわすこともなく学校や職場行く人が多くなった。親が子どもに目をかける時間が少なくなった。家族団らんということはこういうことである。子どもの普段の生活が分かるように家族団らんがある。
それなのに個々の部屋に入って好きなことをしている。居間を中心にした生活がなくなっている。
狭くても広くても1日1度は家族が顔をあわせる食事タイムやお茶タイムをもうけなければいけない。
娘が何をきているか。これも親の責任である。
日本の街と会わなくなってきた古着ファッション、汚い町になっている。
なんか解決策はないだろうか。
古着の始末も社会問題になってきた。
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