鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

3月14日、日曜日

2009-03-15 12:37:31 | 直言!
昨日、1本の仕事の原稿を作り夜遅くまで月曜連載の原稿の見直しをした。
仕事の原稿はもう1本ある。これは東京と大阪と合わせてのまとめ記事になるので取材したメモを作成して担当の編集委員に出せばいいので気が楽である。
そんなことで夕べは11時過ぎまでパソコンをあけてそれからテレビをみていたが日本のテレビは面白くない。さて韓国テレビをみようとしたら操作も忘れてしまっている。それもあるが先日、ビデオの録画取がなおった。そしたら今度は韓国テレビが写れなくなった。
2010年にはテレビの買い替えもあるのでその時にはいろんなものが入るテレビに買い換えようとは思っているが----。こうなったらテレビの買い替えを急がないといけなくなってきた。
まあとりあえず説明書を見てできなかったらそのときに考えよう。この頃はもう韓流というテレビドラマから卒業したので続き物のテレビドラマもみていない。
忙しいこともある。そしてネットの原稿もあって忙しくなったので見る時間がなくなった。
ようするに韓国のドラマよりネットの原稿を書いているほうが私の性にあったらしい。飽きないで毎日書き続けている。
これは韓国ドラマより夢中なになるものが私の前に現れたことである。
そう思うとネットの関係者に感謝をしなければならない。
最初の誘いには戸惑った。
関係者の1人に生きて道程も違う。思考や見解に相違がある。
あって当たり前のことでこれが民主主義で資本経済をしている日本社会である。
しかし私は日本で生まれていても韓国と日本を往来する在日韓国人、この中での自分の位置に少し懸念したが「何でもいいから」という一声に「書きたい」という気持が湧いてきた。

仕事で書いているがこれは自分の主観は入れることができない。取材したところで何が言いたいのか。それを捕らえることが記事構成の着眼である。
そこさえきちんと取材すれば後はインタビューした取材メモを活用して大きくも小さくもすることができる。
この着眼点ら到達するのにやはり10年はかかる。
取材した人の意向に沿っているつもりでも記者になりたてのころは自分の考えが多少記事に入ってしまう。雑誌記者時代はこれでも通ったが新聞記事はそうはいかない。決められた紙面の中、行数にあわせての新聞記事作り。焦点を合わすことが新聞記事作成の中で大切なことである。
雑誌記者から在日韓国人の新聞社の日刊紙に転職してここで迷いつまずきいろいろなことがあった。在日コリアン社会は親戚しかしらない。私は在日コリアンの組織、市民団体、日韓交流団体に入っていく中で編集の関係者やデスクたちにたくさんのことを教わった。ようやくこれからというときに民団新聞に転職しなければなにない事情になった。今度は編集委員に詳細に渡って教えを乞うことができない。
自分の判断で自分で考えて記事を作ることになった。2・3年、独自の判断での記事作成だった。
在日韓国人の新聞社は日刊紙から週刊紙になり財政困難になった。いい編集者は民団新聞に引き抜かれてきた。私を在日コリアンの記事作成のノウハウ、1から教えてくれた人が編集委員になって私とコンビを組むことになった。
日刊紙で体験したデスクと記者の関係は民団新聞でも生かされて上司との関係づくりをしてきた。幸い多くの上司に恵まれていい紙面を作ろうと打ち合わせも密にして新聞作成ができた。
人生の中でこうしためぐり合わせに感謝をしている。
体験から話すと取材者のつかみ所にあてて記事を書けるようになるのには7年から10年かかる。昔、地方紙の先輩記者が言った。「新聞記者をして7年かかる。君は雑誌なので10年かかる」と。まさに10年の月日がかかった。それでもこれで満足した記事はない。
ただ取材する中でこの話を聞くとここから何を引き出していくのかというインタビューの仕方を覚えた。これが分かるのにやっぱり10年かかった。
雑誌記者をしていたころ先輩記者は「雑誌記者2・3年で記者面するな」といわれたことがあった。私が若い記者にそんなこと言える心境が理解できるようになったのは最近のことである。
民団新聞では少ない人材で動いているので人材育成のために私はそんな言葉を決して言わないようにしている。私の後をいつかは担ってもらいたいと思っている。
しかしこれも問題であると最近気がついた。放置しておくと人間的に品がなくなってくる。
さてこれどうしたものかと日夜悩む時もある。
しかし私は育って欲しいので何も言わないで黙っている。
私の上に多くの上司がいる。私は黙って見守っていくしかない。
自分が気づかないと自分のことは分からない。
年を重ねると先輩たちが心あらずにしていることがいつかわかるだろうと考えている。新聞記者も品格が大事である。
謙虚さがないと誰も情報を教えてくれない。それと偏った交流もいけない。
客観的に物事がみることが重要、仕事の中では距離をおくことが大切である。
距離をおいていても人は見ている。ちゃんとみている。
このことをわきまえて品性を大切にしてもらいたいものだ。
日本の報道機関は朝刊・夕刊の発行でそんな悠長なことを言っておられないとお叱りを受けそうだが長い間、人の脇役になって記者活動してきた体験から私なりの考えを話した。
そう思ったら記事を整理する人も大変である。どこに焦点をあてて見出しにするのか。
やはり取材する記者と整理するデスクの関係がよくないとこれも新聞づくりに影響する。「あ・うん」の呼吸ではないがやはり打ち合わせが新聞をつくる重要な作業になる。こうになるのには関係がよくないとできない。
もちつ・もたれつつの呼吸を大事にしないといけない。
自分1人で新聞は作っていない。多くの人の役割分担があって新聞ができていく。組織に入るとこんなことも仕事の1つである。

私はいつも距離をおいて仕事をしてきた。
今、民団大阪府本部関係者は水面下で熾烈な戦いになっている。
民団大阪では任期満了で団長選挙が3月の下旬に行われる。
記者は「蚊帳の外」と私は認識しているので何がどう動いているのかさっぱり分からない。
大阪府内の水面下ではいろんな動きがあるだろう。まして今日はいい天気、春の陽気のようである。関係者は動いているだろう。しかし私は「蚊帳の外」にいる自分を認識しているのでかかわらないことにしている。
入ってくる情報は自分の胸におさめていく。だまって成り行きを見ている。

今日は日曜日、久しぶりにのんびりと過ごしている。どこかに出かけたいと思いながらしばらくは節約モード。先日息子と孫が来てコツコツためたものが3日で吹っ飛んでいった。
また節約モードにして5月の連休には夫とどこかに出かけたいと思っている。
伊勢志麻に行って美味しい魚介類を食べたい。
これから旅行パンフレットに目を通そう。

今日は朝8時過ぎて朝食してその後、田原総一郎のサンデープロジェクトを見ていた。政治献金のあり方を見ていた。
日本の政治は政治献金に対して多くの問題を抱えているようだ








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