なぜかしら。韓国と北朝鮮の政情は素人の私では書きこめられるものでない。
そしてあまりにも索漠としている日本社会、日本の砂漠である。
毎日、毎日、砂をかむように日常になってしまっている。
なにがかけているのだろうか。1日1回は心の中で呟いている。
どこでこんな世の中になったのだろうか。政冶家はあの手この手を変えて改革しょうとしているがどれもこれも政冶家にとっては都合のいいことで一般市民はますます首が細るばかりである。
コンクリートの建物で暮す人が多くなった。
日本家屋はむほとんどなくなり古民家で暮す人にテレビ放映をされるようになった。土につかない生活者、道路も舗装されて土との対話がなくなった。
家庭ガーデングが盛んなのは自然帰りの憧れなのだろうか。
専業主婦といわれた言葉は死語に近くなって子どもを保育所に預けて働く女性が多くなった。働くことで社会参加していると錯覚をしている。また女性が働かないと家計が苦しい日本社会の現実にも原因がある。
こんなので結婚して子どもを産み育てることは大変である。
何が足りないのか。
家庭・家族・父母・食育・地域・教育愛、つまり慈愛がなくなった社会になったのだろうか。そんなことを思い巡らして今回の年賀原稿になった。
ちょっと話しをかえよう。
急に寒くなった。部屋は暖房を入れたままになってきた。
また電気代が怖い。
昨日は久しぶりに孫に電話すると沖縄はまだ暖かいという。
孫は上の子と下の子が電話のとりあいをしている。
久しぶりに元気な孫の声を聞いてこちらまで元気づけられた。
いよいよ来年の初めには沖縄に行く準備をしなければならない。
もう下の子は2歳になる。走り回っているだろう。
嫁が上の子どものときに私に言った。
「2歳になるのにまだおしめがとれない。親戚の人にそれは遅いといわれている」
私は言った。
「なに言っているの。子どもによって違う。別に早くても遅くてもいいじゃない。幼稚園に行くときになればとれる。幼稚園に行くときにおしめをしていないでしょう。それまでおしめしているわけはないでしょう」と言ったら嫁は「そうですね。本当にそうですね。目からうろこです」と言った。
子どもによって育ち方が違う。ゆっくりということも必要な子どももいる。
その子をよくみてその子にあったしつけをすればいい。
ちなみに上の子はこの後におしめはとれている。
毎日元気に幼稚園に行っている。私が「幼稚園楽しい」と聞くと「楽しいよ」という。幼稚園のバス停まで送迎する嫁はいう。
人見知りしないからもう大変という。
小学生のお兄ちゃんのところに言って「何しているの」と声を掛ける。また「おかあさん。あの子に挨拶していい」と聞く。
このご時世、人見知りしない子も気になる。
2年近く会っていないので孫の成長を見たいものである。
そんなことで少し孫バカになった。
今日は外が時雨れている。傘をさす人、ささない人がいる。
こんな雨だったら私はおそらく傘をもたないだろうと思って外を歩く人を見ている。
今日の夕食、夫のおかずは昨日作ったイカの韓国風の炒め物がある。
私はコロッケを揚げる。そして菜の花があるのでこれを少しの油で炒めて卵とじにしょう。水菜のわさび和えものこっている。
少しこのへんでおいて休憩をしょう。
そしてあまりにも索漠としている日本社会、日本の砂漠である。
毎日、毎日、砂をかむように日常になってしまっている。
なにがかけているのだろうか。1日1回は心の中で呟いている。
どこでこんな世の中になったのだろうか。政冶家はあの手この手を変えて改革しょうとしているがどれもこれも政冶家にとっては都合のいいことで一般市民はますます首が細るばかりである。
コンクリートの建物で暮す人が多くなった。
日本家屋はむほとんどなくなり古民家で暮す人にテレビ放映をされるようになった。土につかない生活者、道路も舗装されて土との対話がなくなった。
家庭ガーデングが盛んなのは自然帰りの憧れなのだろうか。
専業主婦といわれた言葉は死語に近くなって子どもを保育所に預けて働く女性が多くなった。働くことで社会参加していると錯覚をしている。また女性が働かないと家計が苦しい日本社会の現実にも原因がある。
こんなので結婚して子どもを産み育てることは大変である。
何が足りないのか。
家庭・家族・父母・食育・地域・教育愛、つまり慈愛がなくなった社会になったのだろうか。そんなことを思い巡らして今回の年賀原稿になった。
ちょっと話しをかえよう。
急に寒くなった。部屋は暖房を入れたままになってきた。
また電気代が怖い。
昨日は久しぶりに孫に電話すると沖縄はまだ暖かいという。
孫は上の子と下の子が電話のとりあいをしている。
久しぶりに元気な孫の声を聞いてこちらまで元気づけられた。
いよいよ来年の初めには沖縄に行く準備をしなければならない。
もう下の子は2歳になる。走り回っているだろう。
嫁が上の子どものときに私に言った。
「2歳になるのにまだおしめがとれない。親戚の人にそれは遅いといわれている」
私は言った。
「なに言っているの。子どもによって違う。別に早くても遅くてもいいじゃない。幼稚園に行くときになればとれる。幼稚園に行くときにおしめをしていないでしょう。それまでおしめしているわけはないでしょう」と言ったら嫁は「そうですね。本当にそうですね。目からうろこです」と言った。
子どもによって育ち方が違う。ゆっくりということも必要な子どももいる。
その子をよくみてその子にあったしつけをすればいい。
ちなみに上の子はこの後におしめはとれている。
毎日元気に幼稚園に行っている。私が「幼稚園楽しい」と聞くと「楽しいよ」という。幼稚園のバス停まで送迎する嫁はいう。
人見知りしないからもう大変という。
小学生のお兄ちゃんのところに言って「何しているの」と声を掛ける。また「おかあさん。あの子に挨拶していい」と聞く。
このご時世、人見知りしない子も気になる。
2年近く会っていないので孫の成長を見たいものである。
そんなことで少し孫バカになった。
今日は外が時雨れている。傘をさす人、ささない人がいる。
こんな雨だったら私はおそらく傘をもたないだろうと思って外を歩く人を見ている。
今日の夕食、夫のおかずは昨日作ったイカの韓国風の炒め物がある。
私はコロッケを揚げる。そして菜の花があるのでこれを少しの油で炒めて卵とじにしょう。水菜のわさび和えものこっている。
少しこのへんでおいて休憩をしょう。
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