鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

6月12日(火)今日は雨が降るのか曇っている。

2012-06-12 09:07:23 | 直言!
それで9時になれば身支度です。
喫茶店に行く前にコンタクトレンズセンターに寄って予備で購入したコンタクトレンズを取りに行かないといけない。
宅急便でも送るということだったが留守が多いので私が取りにいくことにした。

朝から1枚のハガキの便りを作った。
この間から手紙を書かないといけないと思いながら----。
ハガキが届き楽しいお便りに思わずハガキで便りを作っていた。
時間ができれば手紙を書かないといけない。
何かしらいつも日々の生活に追われている。

大阪難波で起きた通り魔事件----。
なんと惨いことが起きたのか。
私は心斎橋筋通り、2・3年に1度、仕事などで歩いているがあの近辺の御堂筋のところはよく歩いている。
なぜ関東から大阪に来て----。

家族・一家団欒・1つの居間でテレビ、こんなことが家庭の中から消えていくときから日本の家庭生活が崩れている。
結婚すればよほどの理由がないかぎり夫婦で子育てをしてきた。
男女の役割が決まっていた。
男性は外で働いて収入を得て女性は家のことをして子育てをしていく。
今は子どもたちを保育所に預けてでも働く女性が増えている。
自己確立を願う女性の行動力である。
もちろん経済的理由もあるだろう。

しかし子どもは玩具と違う。
1人の人間の育成、社会に役立つ人間に育てて社会に還元をしなければならない。新しい命を頂いた恩返しです

今は働く女性たちは活発で行動力もある。
仕事は楽しい。男性も生活力のある男性もきちんとおられて日本社会を支えている。しかしまた中には離婚する人たちも増加している。
子育ての原点は家族です。
家族が泣いたり笑ったり怒ったりしながら共有した価値観を持ち合わせて親の感性を引き継いでいく。夫婦喧嘩しながらも子どもたちは家族の共通した価値観を持って育っていく。これが大事なところです。
やはり両親で子育てをすることが子育てで子どもを守る原点です。
と、私はそう思う。反対意見もあると思うがすみません。
私は1人しか子どもを育てていない。けれど子どもは苦労してもよほどの理由がない限り父母のもとで育成していくのが家族の原点と思う。

何かが狂っている。日本社会の家庭構造、勉強も大切だが人を思いやる心を育てることが進学有名校に行くことよりどれほど大切か、教育ママの親たち、目覚めてほしい。小学生で中学受験という競争に巻き込んでいくことが子どもたちが相手を思いやる気持ちの育成の妨げになっていることを親は気がついてほしい。いきつけの喫茶店で聞こえてくる母親たちの集りの会話に首を傾げてしまう。若い母親は子ども自慢、そしてそこにいない教師や親の悪口、年輩者は孫自慢に娘・息子自慢、そして会合の不満タラタラ----。
私はこんな会話を息子のPTA活動の中でうんざりするほど聞いてきた。
現在のモンスターペアレントのはしり、教育ママで身勝手な母親ともなんども対峙して意見をした。
私は無口で会話のできない子ども時代をすごし友だちのいない寂しさを身に染みるほど体験した。
それで息子が幼稚園に入園しても教師には「友だち作り」を強調した。
小学校に入っても教師にそれをお願いした。
勉強は体力の次だった。
担任教師は「もっと子どもの教育に力を入れたら」ともいわれた。
そして小学校のある担任教師は中学受験として私学受験をいってこられた。
そのとき、私は在日コリアンの知識は何も持っていなかったが私の血がそうさせたのか。直感だった。
教師に「うちの子どもは在日韓国人3世になります。これから日本社会で自分に向かって来るものに挑戦して生きていかなければなりません。自分で考えて自分で人生を作っていかなければなりませ。自分で受験もチャレンジさせていきますが地元の公立学校に通学させます」といって家からおひきとりをしてもらったことがあった。
そんなにできる息子でもなかった。
ただ高校受験に困らない程度には勉強はさせた。
私が教育ママになって子どもに叱咤激励していればたぶん関西の国公立大学に行ったかもしれない。けれど人生の中で友だちが財産になってくる。
自分のことは自分で考えて自分で責任をとる。
それには親が束縛してはいけない。
そんなことを考えながら1人息子を育てた。
あまりにも自由に育てすぎて沖縄まで行ってしまった。
奈良に帰ってくると思っていたが奈良に帰ってこない。
これが私の子育ての最大の誤算だった。
ただ相手に対する思いやりは育てたつもり、見知らぬ土地の沖縄の大学に行って友人・知人がたくさんいることにやはり相手に対する思いやりと人に迷惑をかけないこと。これでよかったと思ったりする。
けれど私の子育てはけっして自慢できるものではない。
沖縄に住む息子はやはり私には不満です。
私が老いに入るにつれてそう思う。

いろいろな事件に何がこうなったのか。
考えさせられるが私の浅学非才では何を語ればよいのか分からない。
さてこれから身支度です。

朝、6時15分、ベランダを見るともう1羽の鳩がベランダのテラスにとまって番の鳩の呼ぶ声を探している。夏は日が明けるのが早いのでもう鳩がベランダに来ていた。2012―6―12、午前6時15分撮影。

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