朧(おぼろ)月夜
小学生のころはこの歌は辛気臭い歌であまり好きではなかった。
大人になって人と人の関係に疲れて夜空の月をよく見たものだ。明日は雨がふりそうなときに見ると月は霞がかかってぼんやりしている。「朧月夜」だった。
人の心もこうしてぼんやりしている。人の心は見えない。
見えるようになるのには切磋琢磨して自分を磨いていかないと見えないのだと悟った。
辛いときはよく「朧月夜」をよく見たものだ。
今、所用があって韓国に住んでいる女友達に電話をした。つい面倒見のいい彼女に頼ってしまう。1990年ごろ韓国の取材で知りあった。それからソウルに行くとつい日本語のできる彼女を呼び出して一緒に食事をしたりする。
彼女も実家に帰ってくると電話をくれる。大阪や京都近辺に来ていると1時間でもあって再会を喜んでいる。
このごろ小学生のころに習った歌がふと口にでてくる。
春のせいか「朧月夜」が夢の中でもでて歌っている。
小学校で習った歌がよくでてくる。
これからは「若葉」の歌、海をみると海の歌、小学校のころ「朧月夜」は好きでもなかったのに大人になってから好きになった。
韓国で暮す女友達は何かの時に日本の小学校で習った歌がでるのだろうか。
小学校6年の記憶である。
題名は忘れたが歌の出だしは「土手のスカンポ、ジャワサラサ、昼は蛍がねんねする、僕ら小学6年生、夏がきたきたドレミフアソ」。歌の上手い男の子がいてこの歌を音楽の時間、毎回先生に歌わされていた。それは声が大きくて上手かった。男の子の顔はよくおぼえているのに音楽の先生は思い出せない。小学校の同窓会で「この歌を歌ったでしょう」と本人の〇〇君に話したら笑っていた。本人はあまり思い出したくない照れくさい音楽の時間になっているのだろう。
スカンポが土手などにはえていた小学校のころ、私は木津に住んでいたが地元のものは「スイスイ」と言っていた。かじるとすっぱくて美味しかった。
私は1・2度食べた記憶があるが父は「お腹をこわすから」と言って食べると怒っていた。
それでも当時の子どもたちは親に隠れて土手に行ってよく食べていた。
こんな光景を「朧月夜」歌いながら思い出した。
韓国の女友達、今ごろ知人や友人たちと野遊会(ヤユウヘ=花見)をしたりして楽しんでいるだろう。
桜も葉桜になってきた。若葉がふきだすころである。
「若葉」の歌、今、出だしのが思い出せない。ボケの始まりかと恐怖が走る。
富士山の歌は覚えている。我は海の子も覚えている。
これはあかん。時間があれば「小学校唱歌」を歌う会をつくらないとあかん。とできないことを考えてしまう。若葉の歌、断片的に思い出しているのにスットでてこない。
韓国の女友達、日本の小学校唱歌を覚えているだろうか。不思議なことに小学校で覚えた歌はなぜかよく覚えている。忘れている歌もあるがほとんど覚えている。中学校で習った歌も覚えている。春の水音に聞こえてくるのか「森の水車」、緑の森のかなたから陽気な歌が聞こえます。それは水車のまわる音、コトコトコットンコトコトコットン、フアミレドシドレミフア------。やっぱり水の音が聞こえてきそうでいい歌です。
「朧月夜」を歌うと私は中学生や高校生の頃を思い出している。それは自分が育った木津の風景である。まだ当時は田畑ばかりだった。
菜の花と一緒に青い麦も天に向かってまっすぐに伸びていた。
青麦のまっすぐ伸びる姿、それも田んぼ1枚にうめつくされた青麦畑、そのあいだ菜の花の絨毯である。そんな同じ風景を捜そうと仕事にでると車窓から探すがそんな景色は探すことができない。
ところどころに咲く菜の花ぐらいである。
青麦が田んぼ1枚うめている景色は圧巻である。力強く逞しく生きている姿を目の当たりにできる。私たち子どものころ、こうした生きる力を見て育ってきた。今の子どもたちこんな光景と出会うことがない。言葉で「生きる力」といわれても想像できない。やはり自然の摂理を通して創造性を育んでいくことが大切である。
いくら机の上で言われても想像をするのはむずかしい。
環境開発した大人にもの責任がある。
韓国にいる女友達も日本の青麦の生きる逞しさも見ただろう。青麦がまっすぐに伸びる。希望につながると信じている。
彼女のこと、そんなことをおもいながらブログに書いた。
そして「朧月夜」に小学校で習った歌が口にでているだろう。
「朧月夜」の歌と韓国の女友達に電話をしてふとこんな雑感を思い出した。
小学生のころはこの歌は辛気臭い歌であまり好きではなかった。
大人になって人と人の関係に疲れて夜空の月をよく見たものだ。明日は雨がふりそうなときに見ると月は霞がかかってぼんやりしている。「朧月夜」だった。
人の心もこうしてぼんやりしている。人の心は見えない。
見えるようになるのには切磋琢磨して自分を磨いていかないと見えないのだと悟った。
辛いときはよく「朧月夜」をよく見たものだ。
今、所用があって韓国に住んでいる女友達に電話をした。つい面倒見のいい彼女に頼ってしまう。1990年ごろ韓国の取材で知りあった。それからソウルに行くとつい日本語のできる彼女を呼び出して一緒に食事をしたりする。
彼女も実家に帰ってくると電話をくれる。大阪や京都近辺に来ていると1時間でもあって再会を喜んでいる。
このごろ小学生のころに習った歌がふと口にでてくる。
春のせいか「朧月夜」が夢の中でもでて歌っている。
小学校で習った歌がよくでてくる。
これからは「若葉」の歌、海をみると海の歌、小学校のころ「朧月夜」は好きでもなかったのに大人になってから好きになった。
韓国で暮す女友達は何かの時に日本の小学校で習った歌がでるのだろうか。
小学校6年の記憶である。
題名は忘れたが歌の出だしは「土手のスカンポ、ジャワサラサ、昼は蛍がねんねする、僕ら小学6年生、夏がきたきたドレミフアソ」。歌の上手い男の子がいてこの歌を音楽の時間、毎回先生に歌わされていた。それは声が大きくて上手かった。男の子の顔はよくおぼえているのに音楽の先生は思い出せない。小学校の同窓会で「この歌を歌ったでしょう」と本人の〇〇君に話したら笑っていた。本人はあまり思い出したくない照れくさい音楽の時間になっているのだろう。
スカンポが土手などにはえていた小学校のころ、私は木津に住んでいたが地元のものは「スイスイ」と言っていた。かじるとすっぱくて美味しかった。
私は1・2度食べた記憶があるが父は「お腹をこわすから」と言って食べると怒っていた。
それでも当時の子どもたちは親に隠れて土手に行ってよく食べていた。
こんな光景を「朧月夜」歌いながら思い出した。
韓国の女友達、今ごろ知人や友人たちと野遊会(ヤユウヘ=花見)をしたりして楽しんでいるだろう。
桜も葉桜になってきた。若葉がふきだすころである。
「若葉」の歌、今、出だしのが思い出せない。ボケの始まりかと恐怖が走る。
富士山の歌は覚えている。我は海の子も覚えている。
これはあかん。時間があれば「小学校唱歌」を歌う会をつくらないとあかん。とできないことを考えてしまう。若葉の歌、断片的に思い出しているのにスットでてこない。
韓国の女友達、日本の小学校唱歌を覚えているだろうか。不思議なことに小学校で覚えた歌はなぜかよく覚えている。忘れている歌もあるがほとんど覚えている。中学校で習った歌も覚えている。春の水音に聞こえてくるのか「森の水車」、緑の森のかなたから陽気な歌が聞こえます。それは水車のまわる音、コトコトコットンコトコトコットン、フアミレドシドレミフア------。やっぱり水の音が聞こえてきそうでいい歌です。
「朧月夜」を歌うと私は中学生や高校生の頃を思い出している。それは自分が育った木津の風景である。まだ当時は田畑ばかりだった。
菜の花と一緒に青い麦も天に向かってまっすぐに伸びていた。
青麦のまっすぐ伸びる姿、それも田んぼ1枚にうめつくされた青麦畑、そのあいだ菜の花の絨毯である。そんな同じ風景を捜そうと仕事にでると車窓から探すがそんな景色は探すことができない。
ところどころに咲く菜の花ぐらいである。
青麦が田んぼ1枚うめている景色は圧巻である。力強く逞しく生きている姿を目の当たりにできる。私たち子どものころ、こうした生きる力を見て育ってきた。今の子どもたちこんな光景と出会うことがない。言葉で「生きる力」といわれても想像できない。やはり自然の摂理を通して創造性を育んでいくことが大切である。
いくら机の上で言われても想像をするのはむずかしい。
環境開発した大人にもの責任がある。
韓国にいる女友達も日本の青麦の生きる逞しさも見ただろう。青麦がまっすぐに伸びる。希望につながると信じている。
彼女のこと、そんなことをおもいながらブログに書いた。
そして「朧月夜」に小学校で習った歌が口にでているだろう。
「朧月夜」の歌と韓国の女友達に電話をしてふとこんな雑感を思い出した。
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