今日は早くでて銀行に寄って振り込み作業してコピーも40枚ぐらいのものをとって生活費を下ろしてなどなど考えていたが家を出たのが10時45分、近鉄奈良駅に着くと11時、これはあかん。コピーは美容院に行っての帰りしかできない。
しかし振込み作業は今日すまさないとあかん。この間振込みしょうと思ったら祭日、現金でふりこめなかった。もう、とカンシャクが出そうになるががまん。がまん。やっと今日美容院に行くので外出することになったので急いででたがおはりコピーは美容院の帰りしなになった。
しかしなんと今日は寒い。雪もちらついている。
あんまり寒いので韓国の食材、鰯の汁を作った。夫の大好物である。そして久しぶりに買物をしたのでせりを買ってきた。韓国風に味付けした。これも夫の好きな食材である。
先日、夫はスーパーでマカロニサラダとごぼうサラダの詰め合わせを買って来たがいかにも古いものを使ったのが丸出しである。
あまりにもこってりしすぎたマヨーズ和え。見た目だけでも食べる気がしない。よくこんもの買って来たとまた私はあきれている。さすがに夫には2度とこんなものを買ってきたらあかんと怒った。そしたら夫はいう。たまにマヨーネーズの合えた物が食べたくなったという。それやったら言ったらつくるのにと怒った。サラダは私が作ったほうが美味しいといった。このごろはマヨネーズはコレストロールが高いからマヨネーズを使う料理を作らなくなった。
それで昨日は有り合わせで胡瓜とてんぷらでマヨーネーズで和えたが「なんや。俺に当てつけか」と言って手をつけなかった。
やはりジャガイモかマカロニが入っていないのでどうもマヨーズの食材とはおもえらしい。ほんと世話のやける人である。
またマカロニを買ってきて湯がいて混ぜるとサラダらしくなった。
夫の好きなテレビ番組の1つが魔法のレストランである。
テレビ見ながらあの店に行こう、行こうというが何しに大阪まで行くのと私は冷めた眼で見ている。仕事で大阪に行っていると仕事以外大阪までいくのはもう年なのか苦痛になった。何しに大阪で食べるのかと思う。
そんなに大阪に出て行かない人は大阪で食事することで美味しいものを食べた気になるが私は大阪の現場によくでかけるので何かと忙しくしてゆっくりとした気がしない。やはり奈良で食べていると落ち着く。
奈良でうどんを食べていても落ち着く。
夫は飽きもしないで毎週見ている。どれもよく似た店なのに飽きないで見ている。この神経がわからない。私はそんなこと忘れてテレビつけていなかったら怒っている。魔法のレストランごときで私に怒っている。
私はそんなこと関心ないからすっかり忘れているのである。
ほんまに難儀な人である。こんなこと考えたら子どもみたいな人である。
さて今日は阪神大震災が起きた日である。長田は燃えて高速道路の横倒しに地震のものすごさを知った。
あれから13年、あの揺れはけっして忘れない。
そして10日目から神戸の現場に行きずっと1日中歩きとおしたことも忘れることができない。早朝から天保山から船に乗って神戸に行ったことも忘れることができない。
そしてうちの機関紙が所属する職員が神戸に行き民団兵庫県本部会館で寝泊りをして犠牲者5000人以上にもなった死亡者の確認作業、新聞記事はほとんど日本式の名前である。行政と警察と民団を往来してその死亡者の名前を在日なのか確認作業した。民団として全国の同胞にその人数を知らせる使命感でやりとげた。気の遠くなるような仕事を3ヶ月も4ヶ月もかかってしていた。寝泊りしてやり遂げた。そしてそこから記事を書いて発送もしていた同僚たちの顔も浮かび生涯忘れることのできない記憶になった。
まっさきにオートバイーで駆けつけたのは関西興銀の職員たちだった。今その金融機関はなくなってしまったがそれぞれにどこかで記憶として刻みこまれているだろう。足が棒になるほど歩いた。食べ物もそんなに食べないで歩いた。それでもすきっ腹とは思わなかった。すさまじい震災にそれどこではなかった。火事の起きた長田を歩くとまだ道で熱があった。建物の2階が1階になっていた。あの光景は決して忘れることはできない。
私はまだ若かったからエネルギーがあった。
そして活断層の多い関西、いつ起きてもおかしくないぐらいに活断層脈である。
13年らなるというのにまだ記憶が途切れない。
そんなことをまた思いだす1月17日である。
しかし振込み作業は今日すまさないとあかん。この間振込みしょうと思ったら祭日、現金でふりこめなかった。もう、とカンシャクが出そうになるががまん。がまん。やっと今日美容院に行くので外出することになったので急いででたがおはりコピーは美容院の帰りしなになった。
しかしなんと今日は寒い。雪もちらついている。
あんまり寒いので韓国の食材、鰯の汁を作った。夫の大好物である。そして久しぶりに買物をしたのでせりを買ってきた。韓国風に味付けした。これも夫の好きな食材である。
先日、夫はスーパーでマカロニサラダとごぼうサラダの詰め合わせを買って来たがいかにも古いものを使ったのが丸出しである。
あまりにもこってりしすぎたマヨーズ和え。見た目だけでも食べる気がしない。よくこんもの買って来たとまた私はあきれている。さすがに夫には2度とこんなものを買ってきたらあかんと怒った。そしたら夫はいう。たまにマヨーネーズの合えた物が食べたくなったという。それやったら言ったらつくるのにと怒った。サラダは私が作ったほうが美味しいといった。このごろはマヨネーズはコレストロールが高いからマヨネーズを使う料理を作らなくなった。
それで昨日は有り合わせで胡瓜とてんぷらでマヨーネーズで和えたが「なんや。俺に当てつけか」と言って手をつけなかった。
やはりジャガイモかマカロニが入っていないのでどうもマヨーズの食材とはおもえらしい。ほんと世話のやける人である。
またマカロニを買ってきて湯がいて混ぜるとサラダらしくなった。
夫の好きなテレビ番組の1つが魔法のレストランである。
テレビ見ながらあの店に行こう、行こうというが何しに大阪まで行くのと私は冷めた眼で見ている。仕事で大阪に行っていると仕事以外大阪までいくのはもう年なのか苦痛になった。何しに大阪で食べるのかと思う。
そんなに大阪に出て行かない人は大阪で食事することで美味しいものを食べた気になるが私は大阪の現場によくでかけるので何かと忙しくしてゆっくりとした気がしない。やはり奈良で食べていると落ち着く。
奈良でうどんを食べていても落ち着く。
夫は飽きもしないで毎週見ている。どれもよく似た店なのに飽きないで見ている。この神経がわからない。私はそんなこと忘れてテレビつけていなかったら怒っている。魔法のレストランごときで私に怒っている。
私はそんなこと関心ないからすっかり忘れているのである。
ほんまに難儀な人である。こんなこと考えたら子どもみたいな人である。
さて今日は阪神大震災が起きた日である。長田は燃えて高速道路の横倒しに地震のものすごさを知った。
あれから13年、あの揺れはけっして忘れない。
そして10日目から神戸の現場に行きずっと1日中歩きとおしたことも忘れることができない。早朝から天保山から船に乗って神戸に行ったことも忘れることができない。
そしてうちの機関紙が所属する職員が神戸に行き民団兵庫県本部会館で寝泊りをして犠牲者5000人以上にもなった死亡者の確認作業、新聞記事はほとんど日本式の名前である。行政と警察と民団を往来してその死亡者の名前を在日なのか確認作業した。民団として全国の同胞にその人数を知らせる使命感でやりとげた。気の遠くなるような仕事を3ヶ月も4ヶ月もかかってしていた。寝泊りしてやり遂げた。そしてそこから記事を書いて発送もしていた同僚たちの顔も浮かび生涯忘れることのできない記憶になった。
まっさきにオートバイーで駆けつけたのは関西興銀の職員たちだった。今その金融機関はなくなってしまったがそれぞれにどこかで記憶として刻みこまれているだろう。足が棒になるほど歩いた。食べ物もそんなに食べないで歩いた。それでもすきっ腹とは思わなかった。すさまじい震災にそれどこではなかった。火事の起きた長田を歩くとまだ道で熱があった。建物の2階が1階になっていた。あの光景は決して忘れることはできない。
私はまだ若かったからエネルギーがあった。
そして活断層の多い関西、いつ起きてもおかしくないぐらいに活断層脈である。
13年らなるというのにまだ記憶が途切れない。
そんなことをまた思いだす1月17日である。
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