鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

4月25日(月)暖かい。過ごしやすくなってきた

2011-04-25 09:37:21 | 直言!
新緑に生きる活力をもらう。
昨日、8時50分から韓国で昨年にSBS放送で放映された「ジャイアント」の放映、韓国では視聴率が40パーセントになった。好評のドラマだった。
今、日本でKNテレビ(韓国テレビ)で放映されている。
毎回、見るたびに内容が深くなって興奮している。
1970年から1980年にかけての朴正煕大統領時代の背景である。
南北分断国家で冷戦構造の厳しい世界だった。
その中で大韓民国の国家が北朝鮮に吸収されないように国家権力をフルに生かした。中央情報部(現在の国家情報院)と国会議員、建設会社と闇の金貸し、そしてそこに関わる人たちの人間関係のドラマが繰り広げられていく。
土・日、の夜8時50分から10時までの放映、見ごたえのある番組である。
皆、俳優は演技がうまい。熟練した演技にも圧倒される。
最初、ドラマの中の俳優、チュ・サンウクは中央情報院の役員を父親に持つチョ・ミヌの役柄に、何気なしにチュ・サンウクを見ていたが1人の女性と恋に落ちていく。
そこからチュ・サンウクに関心を持ってみているとものすごく男前である。
この人とどこかソウルの町ですれ違っていたかもしれないと思ったりしてドラマを見ていた。
そして昨日の夜、少しインターネットでチュ・サンウクを検索した。
あるある。たくさんホームページや関連資料があった。
チュ・サンウクの漢字は朱相だった。1978年7月生まれ、今31歳、もうすぐ32歳になる。どこかソウルの町ですれ違っているかもしれないとまた思っている。
韓国の町を歩いていると時にハッとするハンサムな青年とすれ違うことがある。
私は旅人の身分ですれ違っても振り向く程度でけっして声をかけることもない。
たまに道を聞いたりしているが若い人は日本語をあまり知らないと思って下手な韓国語で年輩の男性に聞いたりしている。
中には日本語で受け答えしてくれる人もいるが----。
現在は韓国の若者たち、日本語の上手な若者が増えている。
高校から第2外国語で日本語を選択する生徒たちが増えている。
そして日本語学院も多くなったので人に後ろ指さされることなく大手を振って日本語が学べるようになった。
日本植民地支配から解放されてから直後そして20数年間は日本語を教えていることも習っていることも密かにしなければならなかった時代背景があった。
韓国が今の国力をつけるまでどれほどの人が苦しみ悲しみそして寝ずに働いてきたことか。民主化という運動の背景に北朝鮮の独裁国家との対峙に政治家や国民はどれほどの汗と涙を流してきたのか。
日本に住んでいる在日コリアンも祖国の事情でどれほど翻弄されてきたのか。
その翻弄から身を引く1世たちも多くいた。
私の父親もそうだった。
南北分断国家になった民族の翻弄に民族活動から退いた。
そして日本社会で生きた。日本の会社で生涯、会社員として終えた。
普通に会社員として暮らしていたが心の中はいつもはがゆい思いで暮らしていたと思う。
はがゆい思いが死ぬ間際に私に言った言葉は「社会主義では飯くわれへんねん」といった。まだ当時、朝鮮総連に身を置いて活動する人たちが理解できないという思いを私に伝えたと思っている。
そして1997年の春、父親は逝去したが北朝鮮の独裁国家はエスカレートするばかりである。在日コリアンのほとんどは北朝鮮に背中を向けだしている。
南北分断は数々の民族の悲劇を生んだ。
そんな中で韓国が発展してきた政策、陰でどれほどの血と涙があったことも日本人に知ってもらいたい。
日本の学校ではこうしたことを決して教えない。
私は1987年9月から在日韓国人の新聞社で記者として仕事する中で1世たちの学識者が自分で調査して収集した資料を在日コリアンの2世、3世たちに伝えてきた。これが学習材料になったことも日本人に知ってもらいたい。
日本は自国の歴史を教えることも大切だが近隣との関係の歴史も史実をきっちり教えてもらいたいものである。

だから学習をしていない何も知らない変な日本人が出てくる。
あれほど仲がよかった高校時代の友人たち、在日韓国人の1人の同級生の心ない行動にずいぶんと私は傷をついた。
日本国籍に変えてからの私に対する差別発言が著しい。
高校時代は国籍を隠さない私、国籍を隠しとおした在日韓国人の同級生は私に見えない苛めを繰り返した。大人になってもそうだった。しかし私は日本の学校教育をうけていたのでそれが苛めだと気がつかなかった。
在日韓国人の中で仕事をするようになって彼女の見えない苛めに気がついてもう仲の良い友人たちにも会いたくないと本気で思った。
食事会の誘いが何度かあった。50歳になった時はこれ以上、気を使いたくないと思って「私はあんたらと会いたくない。もう気もつかいたくない」といって疎遠にしてきた。60歳になって疎遠にしてきた友人たちの中の1人が電話をしてきて会いたいといった。
もう還暦も過ぎて相手の立場をわきまえて言葉使いも気をつけるだろうと思った。そして4人で近場に旅行に行った。
旅行に行く前に京都駅で会うなり私に在日韓国人の友人は他の友人2人がいる前で私をけなして心をずたずたにした。そして自分がいかに正しいかを話して自己主張をする。
いいたいことがあったら密かに1対1で話すのが相手に対する思いやりである。
こんな思いやりが見えない彼女にいくら日本国籍にしても在日コリアンの気質、ずけずけという気質が残っている。本人はこんなことに気がついていない。
そのまま旅行に参加しないで奈良に戻りたかったがそんなことしたら大人気ないと考えて心の中を秘めたまま1泊2日の旅行に参加した。
そして2日の朝、彼女に「あんたはきつい」と言った。
「なんで」と彼女は開き直ったが自分の言った言葉がどれほど心に傷をつけていることに気がつかない。このために若い頃はもう1人も食事会に参加していたが彼女にもけちょんけちょんに批判したらしい。それでもうグループの食事会にこなくなった。最初は私が本名を名乗って仕事をする私に近づきたくないのかと思っていたがある日、友人の1人が言った。
「ヒラカワは何も関係ない。○○○に相当に偉そうに言われて○○○が嫌いだから来なくなった」と聞いてようやく見えないところで苛めたおす性格とその根拠もわかった。
そして日本国籍を取ってからももっと酷い。
まったく人間的に成長していない。
あるていど、年を重ねると相手の立場を思いながら話していく。
どんなに親しい友人でもいってはいけないことはいってはいけない。
仲の良かった友人たちは日本国籍を取った○○を尊敬するともいった。
もう私はあほらしくて聞いていられない。日本に住んでいる外国人そして在日コリアンを差別してきたのかと思った。悲しかった。せつなかった。
これで私の心を彼女たちから断ち切ることにした。
それから絶対に私から電話もしない。連絡もしないと心にきめている。
高校時代で同じクラスだった人がこのブログを読むと誰か気づくことになるだろう。高校時代のクラス同窓会が6月の終わりにある。
たいていのことは私なりに何も言わないで黙ってきたが近年は悪いことは悪いと言うようにしている。また特に若い人には今、いわなければならないことは3度ほど我慢してから言うようにしている。
それでないと私の心が悶々としたままになる。これもストレスになる。

小学校の同級生にあっても人前でその人を批判する人は誰もいない。
言ったとしても信頼のおける仲間がいたときだけに限る。
みんな相手のことを考えて話している。
皆、心して言うときと言ってはいけないときをわきまえている。
私はたいてい聞き役になることが多い。
仕事で聞き役になってきたから自己表現しなくてもなれている。
それが仲の良かった友人、元在日韓国人の彼女はこの年になっても自分が勝っていないと気がすまない。私の仕事に対しては「好きだからずっとしてきたからできただけ」という。
私は心の中で「そんなことはない」と思いながら黙っている。周りに多くいると自分のことは話さないようにしている。黙っている。
皆もそれなりに苦労して自分を構築してきたと思っている。その人その人の人生が誰でもあることを仕事の中でずいぶんと知ることになった。
私の才能は何百分の1、好きこそものの上手といわれるが私は多くの人の出会いで多くの人の手助けでできたと思っている。
人生その都度、都度、出会う人たちに助けてもらって支えてもらってきた。
仕事は訓練すれば誰でもできる。
ただ本人の「やる気」である。
彼女は「家庭を1にして自分のことは後回しにしてきた」と言い訳するが本当にやりたいことがあれば時間を作りやる気になれば周りが支援してくれる。
私は心の中で言い訳しているようにしか見えない。
どれほど私も夫に叱られてこの仕事をしてきたのか。話すと1時間も2時間もかかる。
家庭を第一にしてきた。40代は家庭がなければどれほど仕事ができるとも思った。しかし家庭は子どももいる。やはり家庭を第一にして守っていかなければならないといつも心の片隅において普通人を大切にしてきた。
好きだけでは趣味に終わってしまう。「やる気」と周りの助けがあったということ。私の物を書く才能は祖母の弟の文学学者の血筋をもらったがそれが何百分の1です。後は先輩たちの指導力です。それに答えて努力したことに私は認めているがやはり多くの人の出会いで多くの人の助けがあったから続けることができたといつも思っている。

俳優・朱相(チュ・サンウク)のこと書くつもりが他のことになった。
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