鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今朝は夫の都合で5時半に起きた。

2007-02-23 21:45:07 | 直言!
雨が降っていたのだ。今日は京都地裁が現場である。
在日コリアンの高齢者無年金訴訟の結審の判決が出る日だった。法廷は10時、私にはちょっときつい。後の弁護士会館で行なわれる報告集会で合流することにした。
事務担当に昨日メールで問い合わせると10時20分ごろだという。そんなことでいきつけの喫茶店で30分ばかりコーヒーを飲んで9時30分の京都行き特急にのった。普段は丹波橋で降りてここから竹田にでて地下鉄に乗り換えて丸太町にいくが雨がふっていてややこしいなあと思って京都にでてタクシーに乗った。
そのタクシーの運転手はトロトロとゆっくり運転している。そしていつもより(遠回りやな)と思ったが黙った。
なんかまた現在の社会情勢を話していた。そして現代の若者について話す。運転手は「女の子は親に文句いうてうるさいけどけっこう家にきてくれるので娘のほうがいいですわ。男はあかん。めったに連絡してこんわ」と言う。
私も「そうですな。つくもついたらもうヨメはんのいいなりや。こんな子に育て覚えがないのにと思うことが多いわ」と話した。
そして私は「大学卒業したときに奈良にもどすべきやったと今後悔してますねん」と話したら運転手さんの息子さんも10年前から沖縄に住んでいるという・調理師で沖縄県人と結婚して「和食の店」を出しているという。
そして運転席の横のポケットから私に名刺をくれた。
息子さんの店だった。
宜野湾市にある「mati-cafa」という店である。
「しばらく沖縄に行くのはやめることにしたのですがまた行くときがあれば寄ってみます」と話した。
京都出身の人が沖縄の人と結婚して沖縄県で店を出している。
けっこう関西から移住している人が多いのだとまた思った。
在日同胞の間でもけっこう沖縄県人と結婚して沖縄の地で住んでいると私の耳に入ってくる。

なんかタクシーはトロトロしてやっとついた。10時25分だった。法廷のところにいくと傍聴席に入れない人が何人か外でウロウロしているのに誰もいない。京都弁護士会館にまわった。
地下1階の大ホールに行くともうすでに報告集会が始まっていた。
弁護団の言う言葉「3分間判決」というものであっけなく終わったといい「不当判決」について判決文に対する不当について解説していた。
原告団は80歳前後の1世である。
「『不当判決』に命の限り闘う」という1世の控訴に支援者ら約100人は一緒に戦っていくことを決意表明をした。
弁護団の1人に判決文をもらって京都地裁を出た。
京都地裁は地下鉄丸太町から近いところにある。ちょうど12時15分前だった。ゆっくり歩きながらどこか昼食するところがないかと探しながらあるく。何度かたちよったところは焼きそばや焼きうどんの軽食で今日はご飯粒が少し食べたい。地下鉄の駅の近くにくると日替わりランチ5種類の看板がでていた。湯豆腐とコロッケと味噌汁と沢庵の定食を食べた。豆腐は手作り豆腐なのだろう。豆の味がして美味しかった。
私より年輩の婦人2人で店をしておられた。1人は厨房に入り1人は店内で顧客の対応をしておられた。
こじまんりした店だが年輩の婦人なのでちよっと私は気をつかった。トイレにいくのも気を使って地下鉄丸太町の駅でしようと考えて外にでた。
エレヘーターにのろうと案内通りにいくと府の福祉施設のところにでてきた。よく利用する施設だった。ここでトイレに入って地下鉄の駅に行くと12時27分の奈良行き急行が出たばかりだった。後は57分になる。これを乗るとずっと乗り換えなしで奈良まで座ったまま帰れるので時々この電車を利用するがおおかた30分も待たなければならない。
ただこの電車は観光客のための乗り入れで昼間の運行で丸太町3時57分でなくなる。これは便利悪いなと思う。
待っている30分がもったいない。京都駅にでて1時5分の奈良行き特急で奈良に戻った。行きつけの喫茶店で新聞1紙を読んでコピー屋さんに行く。判決文をコピーした。これをまた編集局に宅急便で送った。

牛乳にりんごがないのでスーパーに立ち寄った。
冷蔵庫に食材がたくさん入っているのに早くでくる食材を買った。
「つばす」と「イカ」の刺身を買って野菜の煮炊き物はゆでた山城の筍を買いぜんまいを買った。
自宅に戻って筍とぜんまいとうす揚げと一緒に煮込んだ。レタスも洗って密閉容器に入っている。辛し明太この保存食もある。昨日のホタテの炒め物も残っている。
今日も簡単な手抜きになった。
自宅に戻ってすぐにバソコンの前に座ってジャーナリスト・ネツトにいれる原稿を急いで作成した。明日でもいいとおもったが明日は今日の地裁の内容、会議の現場で取材したメモをおこさなければならない。メモの分量が多いので時間がかかる。
急いで作った。5時におわった。

それから洗濯をとりいれ風呂に湯を入れて夕食の支度でバタバタした。

今日はよほど眠いのか、喫茶店であくびばかりしていた。そしてちょっと新聞を読みながら居眠りをしたようだ。店の人が「コーヒーお代わりいけましょうか」と言う声で目が覚めた。

夫の都合で昨日も今日も朝5時半起き、いつもと同じように朝食の支度をする。夫にあわせて起きる時間に起きないとだらだらと寝込んでしまうので私は朝早くても夫に合わせて起きる。
生活のけじめのために私自身のけじめのためにしている。
でないとだらだらとした日々になってしまうので朝のおきがけは気をつけている。

こんなことかいていると思い出した。
1作日だっただろうか。電車の車窓から田んぼで「せり」を摘んでいる2人の女性を見た。「それならそろそろ『つくし』もでそうや」と夫にいうと「もうよもぎもでるころや」と言った。夫は子どものころ蓬餅をよく食べたのだろう。
韓国もそうだが在日同胞の1世は季節になるとよもぎを摘んでよもぎ餅をよく作った。

料理上手な夫の母親は春になるとよもぎを摘んできてよもぎ餅を作ったのだろう。私の記憶は子どものころ隣町に住んでいた父の姉が春になると必ずよもぎを摘んでよもぎ餅を作った。作っては私の家にも持ってきた。
韓国で16歳までいたので母親だった私の祖母に教えてもらったのだろう。
嫁入り前の娘だったので裁縫も習っていたのだろう。
民族衣装も自分で作っていた。
叔母は言っていた。袖のクリのところが難しいのと身頃とつないでいくのにちょっとした技術がいると言う。これも叔母は自分でしていた。
私は長いこと民族にかかわらないできた。ある日民族のほころびに葛藤して韓国語語を習いに行った。
どこかで私が「ハングル」の文書を読んでいると傍にいた叔母はたいそう喜んでいた。
「民団で習っただけでそんなに読めるのか」ととても誇らしい顔をしていた。そしたら傍にいた叔父が「読めても意味わからへんわな」と言った。
心の中で私はせっかく叔母はチョッカ(姪)が国の文字がよめるというので喜んでいるのにいらんこと言わんでいのにと思った。もちろん意味がわからないことが多いが------。叔母にすれば日本の学校に行っても国の文字が読めたことに誇らしかったのだと思う。叔母は私が文書をよんでいると傍で「フン、フン」とうなずいていたのでハングルの読み書きはできたのだろう。
よもぎ餅から1世のことを思い出した。
今日もバタバタとして1日は暮れていく。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あわてていると間違いばかり... | トップ | 今日は寒いという。今日は家... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

直言!」カテゴリの最新記事