鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日は寒いという。今日は家で仕事をしなければならない。

2007-02-24 08:45:35 | 直言!
せいぜい新聞を読むことで1日が終わってしまう。
地方紙では1面にカラー刷りで奈良東大寺のお水取りの様子が紹介されている。
そうすると名古屋に住んでいる元NKK奈良放送局に勤務していたGさんが奈良にそろそろやってくるころである。お水取りの最終段階に入ると奈良で勤務時代お世話になった「別当」に挨拶にこられる。
Gさんとも不思議な縁で今もお会いしている。
私は民族の葛藤で1987年4月から民団奈良に韓国語を習いに行きはじめた。
そして韓国政府派遣教師が2月に日本に始めて赴任されたばかりで日本語がまだまだできなかった。
当時、奈良県で雑誌記者をしていた私は県や市の行政機関には出入りしていてそれなりにつながりがあった。奈良県のことを知らない派遣教師に私がときたま行政機関に同行することがあった。
そんな折である。
奈良県はシルクロード国際博覧会を88年から開催されることになっていた。その準備に県をあげての取り組みだった。
そして総合司会をしたのがテレビでもよく見かける奈良県出身のKさんだった。当時のNKK奈良放送局の局長は東京在住の人だったが転勤で奈良放送局の局長だった。私はこの年の8月に雑誌記者を辞めて9月から在日韓国人の日刊紙の新聞記者になっていた。そうして私が習っていた韓国語教室にNKKの職員が韓国語の教室に通いだした。
古代史は奈良と韓国とは切っても切り離せない。
韓国から多くの文物の紹介、韓国との青少年の交流など韓国語収得の機会に迫られていた。
S局長も韓国語を習いたいと言う。と言って放送局の現場をそう何度も離れることはできない。
S局長の部下たちは韓国政府派遣教師に放送局に出張して韓国語の講座講師を要請した。日本語が不充分な派遣教師は迷ったと言う。日本語が未熟なのに教えられるのか。どうかだった。
そのとき背中を押したのは当時の民団奈良の事務局長だったPさんだった。
そして1年間NHKに講師で通うことになった。
それこそ日韓の掛け橋だった。NKK職員との交流は広がった。
さらに韓国大邱市の放送局と姉妹提携の影の尽力者になった。
多くの人たちの支援で1年間、講師をされたが派遣教師は大阪の職場にかわり京都に移った。
しかしつないだ輪は韓国と日本という両国の人の輪が大きくできた。
S局長は放送局の姉妹締結で韓国語にさらに熱心に勉強されて韓国語能力試験に何度も合格されている。S局長の多くの部下たちは私より韓国語が上手くなり韓国に何度も旅をして韓国好き人間になっておられる。
派遣講師は1年間、NHK奈良で講師を務めたことは後に赴任地での功績は大きく評価されたという。
そして私は5年間、県内で雑誌記者をしていたこと。さらに毎月NHKに訪問して行事案内の資料を貰って私が原稿を作って記事にしていたこともあって韓国語を習っていた人たちにも大事に付き合ってもらっていた。
その1人がGさんである。
大邱市との姉妹締結で韓国に始めてS局長と訪問してから韓国が好きになって今も日韓関係の交流事業をしておられる。とうに定年退職をしておられるが名古屋に戻って日韓の学生交流事業を継続して行なっている。夏休みなどの休暇を利用して双方の学生たちの交流事業をしておられる。
そして在日韓国人との友好もしておられる。民団愛知県本部内にある韓国学園の教師たちを通して様々な催しをしておられる。
シルクロード国際博覧会はすでに終わって何年も経つが当時、何らかの形で関わった人たちは韓国が好きになって地域に戻られても韓国に関係する活動をしておられる。
S局長も地元の東京で国際交流をしておられ韓国との交流事業もしておられる。
Gさんは私のことなんかもうとっくに忘れているとおもっていたが、何年か前ある日電話がかかってきた。
「奈良に行くからお会いしたい」という。もう何年も何年もたっていたのに奈良でお会いして話しをしてみると1987年当時のNHKで韓国語を習っていた当時のエピソードをたくさん披露して下さった。
どこかで地道に韓日・日韓友好交流事業がされている。けっして目だたないが一所懸命に友好交流事業を続けておられる。
やはりイベントすることは何か意味があるということを理解できるようになった。
次の奈良県のイベント、平城京遷都の祭りが2010年だったか行なわれる。その準備が着々と進められている。
奈良県にある古代朝鮮の宝物にまた脚光をあびるときがきた。
シルクロード国際博覧会で活躍された先輩たちの知恵の参考も必要だろう。
あれからはるかに年月は過ぎたがイベントを機会にいまだに日韓交流事業を続けている先輩たちがいる。そしてシルクロード国際博覧会が素地になっている。各自地域に持ち帰って活動されていることを「お水取り」の行事になると思い出すことがあってここに書き込みをした。
今年もGさん。奈良にこられるかな。
私に遠慮しないで気をつかわないで下さい。1年に1度の逢瀬、楽しみにしている。
そして奈良勤務時代を忘れないで奈良にこられるといこともすごいなと感心している。
そしてもう1人のNHK奈良放送局の職員がいた。当時熱心に韓国語の勉強していたFさんはどこで勤務しているだろうか。韓国語を習っていた中で1番若かったのでまだ定年退職をしていないと思う。このブログをみておられましたら連絡を頂きたいなあ---。
韓国が好きになった1人で交友を重ねておられたが今もソウルで韓国語講師だったR先生にお会いしておられるだろうか。
Gさんのことを思い出して懐かしい交友関係を思い出している。
そして「お水取り」になると思い出す。
私は何もかわらず淡々と地道に好きな仕事をしているだけ。
私の後の後継者育成に力を入れるようになった年輩にもなってしまった。表面は思慮分別できる顔をしているがまだまだ未熟な私は体中に不満やストレスの痛みがぼこぼこしている。だからこれをストレス太りというらしいが細かった当時から想像もつかないくらいに豚になってしまった。
ご飯が好きでつい食べてしまう。加齢とともに食べることが楽しみになってしまったので体重は減りそうにもない。
私は多くの人たちに支えられてここまできた人生なんだとまた改めて思う。
総合司会をされたKさんは私がいた雑誌社で原稿を書いておられる。
人生の不思議さを思う。縁は輪転しているのだろうか。仏教や哲学に知識のない私だが縁というものに人生の不思議さを思っている。どこかでつなかっていくという不思議さである。

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3 コメント

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偉そうに貸し出す。 (ヨボセヨ)
2007-02-24 19:58:20
民団新聞によると東京で展示している「千字文緞帳」が
韓国全南霊巌郡王仁廟之祭事に貸し出すらしいです。
独島に飾ってください。偉そうに貸してやるだなんて・・・
誰が持っていくものか!今回、私はノータッチにします。
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記者は本性がわからないと思います (チョンヨンスン)
2007-02-25 08:29:36
彼女の言葉として私がpさんに韓国にももっていくのに貸し出すのに躊躇しているといったものですからPさんは取材のときにお聞きしたのだと思います。東京ではお行儀がよかったのでしょう。金剛学園と建国、京都のの子どもたちに頼んで作ってもらうほうがずっと意義があれますよ。書くのは全員で書いて縫い合わせるのは中学・高校の女子生徒にしてもらえばいいとおもいます。新校舎に移転する金剛学園のPTAに要請して、飾りは金剛学園でして貸し出すシステムを考えられてもいいとおもいますが----。新校舎には7月には移転します。それにあわせてptaに要請してもいかがでしょうか。余計な口出しになりそうですが----。根気と韓国文化の学習にもなるとおもいますと私の個人的発想です。
返信する
言葉と活字の解釈の違い (よぼせよ)
2007-02-25 13:51:20
 取材に対しS女史の「貸し出す」という言葉が嫌なのです。
せめて「韓国で展示できる機会を作って頂き嬉しい」とか
感謝の気持ちがなく、女史は自分だけの売り込にみ専念。
 記事の原点は鄭記者なら誰が仕掛け人か判るでしょう?
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