鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

5月5日(日)晴、子どもの日です。

2013-05-05 11:12:27 | 直言!
「背くらべ」の歌、今、学校でならっているのだろうか。

柱の傷は一昨年の 5月5日の背くらべ
粽食べ食べ兄さんが 計ってくれた背のたけ
昨日くらべりゃ 何のこと
やっと羽織の紐のたけ

柱に凭れりや すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔出して
てんでに 背伸びしていても
雪の帽子を 脱いでさえ
一はやっぱり 富士の山

1番の歌は記憶していたのに加齢とともに定かでないのでインターネットで検索して歌詞を見てみるとこの歌はかなり古い時代に作られたもの。歌詞の中に「羽織」が出てくる。「羽織」たるもの。戦後の家庭はアメリカ文化が入って洋服の生活がほとんどになった。決していいものではなかったが母親が夜なべをして作ったセーターやスカートを履いていた。
私は昭和26年(1951年)に小学校を入学している。
当時の入学式の写真を見ると私はジャンパースカートを履いている。母親がどこかで買って用意したのか。そのときはまだまだ店に商品はなかった。誰かにお金を払って作ってもらったのだろうか。
たしか記憶しているのはベージューに黒の細い線の入った格子柄だった。
ブラウスは何を着ていたのか記憶はしていない。
妹と長い間2人姉妹だったので私が妹の背丈を計って柱に傷をつけたことがあった。父親がそれを見ていて傷をそんなにつけてはいけないといわれたことは覚えている。

着たことももない羽織だったが「背くらべ」の歌はよく歌った。
歌いやすかったのかメロデイーが良かったのか当時の子どもたちはよく歌っていた。

もう1つ、忘れられない歌がある。
音楽の先生がこの歌が好きだったのだろうか。
6年生の音楽の時間だった。
北原白秋作詞・山田耕筰作曲の「すかんぽの咲く頃」の歌です。

土手のすかんぽ ジャワ更紗
昼は蛍がねんねする 僕ら小学1年生
今朝も通って また戻る
すかんぽ すかんぽ 川のふち
春が来た来た ドレミフアソ

1年生のところを6年生に変えて何度も何度も歌ったものだった。
そして声のよく通る男の子、そして歌が上手かったのかいつもこの男の子が一人でまた歌わされていた。今考えると音楽の女性教師がこの歌が好きだったのかと思うようになった。独唱したその男の子、最近、同窓会で会うようになって聞いてみると独唱されたことはよく覚えていた。
私は何故かしら。この歌が記憶に残っている。

今日は子ども日です。
昨日は5月4日、奈良町界隈にある「奈良からくりおもちゃ館」に子ども連れのおじいちゃんたち、親子たちが多くきていた。
からくりの仕組みを考えて物を作る工夫に親子、おじいちゃん連れが感心していた。
私は昨年、ある知人の音楽活動30周年記念コンサートに顔を出したときに、「奈良からくりおもちゃ館」の関係者が4月○日に「奈良からくりおもちゃ館」をオープンするので来て下さい」と声をかけてもらった。それで私は「また訪問させて頂きます」と返事は良かったがそれから1年が経っての訪問になった。
自宅から歩いて5分もかからないところにあるのに1年も来られなかった。
若いときは奈良町界隈を歩いて近鉄奈良駅にも行ったことがあった。運動のつもりでしていたが60歳を越えてからそんなことはとんとしなくなった。
自宅前の市内循環バスに乗っているので徒歩でビッグナラの前を通っていくことがなかった。
関心のある人は「奈良からくりおもちゃ館」に---。
昔の子ども達が遊んだおもちゃです。智恵と工夫で作られた遊び道具です。
大人たちが子どもに対する愛情が伝わってきます。
「奈良からくりおもちゃ館」のホームページは
http://karakuri-omochakan.jimdo.com/

5月4日、夫と一緒に昨日、訪問した。
写真は鼠が上に上っていくおもちゃ、手作りの温かさがつたわってくる。夫が手にとって動かしていた。手にとって動かすこともできる。
2013年5月4日、午前11時50分頃撮影。
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