イカとコンニャクを韓国風に炒めておこう。
胡瓜を切って生野菜を作っておこう。
それにしても今日も暑いな。外出の支度をする時は冷暖房をいれないといけないだろう。
そうそう。思い出した。
今日は鶴橋で降りてJRの環状線に乗り換えるが帰りの電車でも「かわやん」が入った広告看板写真にとってこようかな---。
先日電話で話したら「そんなことやめてや」と言っていたが--------。
そんなうちの代表が広告看板にくっきり顔がでているのにほっとけませんが-----な。とそう思う人は何人かはいると思っている。
帰りは遅くなるので暗くてとれない。
明日は午後からまた大阪城公園の近くのホテルでイベントがある。
明日でもとろうか。今日とれなかったら------と考えている。
ただ私は思う。
あの看板、ランニング着ているので夏の間だけだろうか。まさか冬になったらセーターを着せるわけにはいかないのでどうなるのかなと思っている。
さてあの広告を見て何人が「かわやん」の入っていることに気がつくだろうか。
私は電車の車窓から見た。見たような人の顔と思ったら「かわやん」で驚きこの広告の経緯は知っていたので早く気がついた。
そしてつまらん胸算用している。
あれでモデル料、いくら入ったのかな----。
1日つぶしてそれに風邪までひいてしまっているのだから薬代も付加価値につけてくれたのだろうかとつまらんことを考えている。
でも広告に出ている人、みんないい顔している。男前に写っている。
横からいろんな声が聞こえてくる。
「モデルの素材がいい」「いや撮り手のカメラマンがうまいのや」
「いや。その雰囲気をつくったエキストラの演技に才能があるんや」
「なにいうてんの。その演技を教えたのは撮り手や」とざわざわといろんな声が聞こえてきそうな雰囲気の焼き肉パーテイ、かつて昔在日同胞家庭であった親戚があつまった光景である。
しかしあのカンテキを囲んでランニングスタイル、この情景よく考えられましたな。誰が考えたのか。これも気になる。
T物産のオーナーだろうか。もしそれだったら穏やかなオーナーの顔、やはり裸一貫で店を会社にしたその苦労の原点を忘れないで今も商いを続けておられるのだろうか。
カンテキと焼き肉、ホルモン焼、私のような田舎で育ったものはホルモンが奈良か大阪に行かないとなかった。父親は筋肉をカンテキでやいていた。子どもも一緒に食べたが油の多い肉でカンテキの上にのせた網から炎がぼうぼう上がっていた。食べるより火消しに忙しかった。
そんなことを思い出した。1世は体力づくりに知恵と工夫をいっぱい取り入れて暮らしてきた。こんな生活が今や日本人はアウトドアとして好まれている。
テレビを見ながら夫はいつも言う。
昔はキャベツをごま油で炒めて弁当のおかずにもっていったら日本人の子どもは「にんにくを炒めている」とはやし立てていじめられた。
それからトラウマでキャベツの炒めたものが食べられなくなった。
それで結婚した当初、キャベツを炒めると意味もなく「これはおかずと違う。2度とするな」と怒ったことがあった。それから長い間、夫のいる前ではしなかった。年を重ねてきてようやくキャベツの炒めたものが嫌いでなくて子どものころのいじめられたことを話してくれた。みんなこうして生活に工夫して母親は必死になって子どもに食べさせようとして生きてきたのにこんな事情は日本人は知らないだろう。
だから夫はよく言う。
「昔は日本人が見向きもせえーへんかたのにキムチを食べてチヂミもサムゲタンを食べている。考えられへんな」
そして私にキャベツでいじめられた話をしてからはキャベツの炒めたものを食べるようになった。ここに卵も入れて炒めるとまた美味しい。おかずのないときは早くできるので私は自宅にいると昼食でよくして食べて入る。
たぶん、広告看板を見て在日同胞は在りし日の親を思い出すきっかけになるだろう。
今日撮れたら写真にとってこようかな。
胡瓜を切って生野菜を作っておこう。
それにしても今日も暑いな。外出の支度をする時は冷暖房をいれないといけないだろう。
そうそう。思い出した。
今日は鶴橋で降りてJRの環状線に乗り換えるが帰りの電車でも「かわやん」が入った広告看板写真にとってこようかな---。
先日電話で話したら「そんなことやめてや」と言っていたが--------。
そんなうちの代表が広告看板にくっきり顔がでているのにほっとけませんが-----な。とそう思う人は何人かはいると思っている。
帰りは遅くなるので暗くてとれない。
明日は午後からまた大阪城公園の近くのホテルでイベントがある。
明日でもとろうか。今日とれなかったら------と考えている。
ただ私は思う。
あの看板、ランニング着ているので夏の間だけだろうか。まさか冬になったらセーターを着せるわけにはいかないのでどうなるのかなと思っている。
さてあの広告を見て何人が「かわやん」の入っていることに気がつくだろうか。
私は電車の車窓から見た。見たような人の顔と思ったら「かわやん」で驚きこの広告の経緯は知っていたので早く気がついた。
そしてつまらん胸算用している。
あれでモデル料、いくら入ったのかな----。
1日つぶしてそれに風邪までひいてしまっているのだから薬代も付加価値につけてくれたのだろうかとつまらんことを考えている。
でも広告に出ている人、みんないい顔している。男前に写っている。
横からいろんな声が聞こえてくる。
「モデルの素材がいい」「いや撮り手のカメラマンがうまいのや」
「いや。その雰囲気をつくったエキストラの演技に才能があるんや」
「なにいうてんの。その演技を教えたのは撮り手や」とざわざわといろんな声が聞こえてきそうな雰囲気の焼き肉パーテイ、かつて昔在日同胞家庭であった親戚があつまった光景である。
しかしあのカンテキを囲んでランニングスタイル、この情景よく考えられましたな。誰が考えたのか。これも気になる。
T物産のオーナーだろうか。もしそれだったら穏やかなオーナーの顔、やはり裸一貫で店を会社にしたその苦労の原点を忘れないで今も商いを続けておられるのだろうか。
カンテキと焼き肉、ホルモン焼、私のような田舎で育ったものはホルモンが奈良か大阪に行かないとなかった。父親は筋肉をカンテキでやいていた。子どもも一緒に食べたが油の多い肉でカンテキの上にのせた網から炎がぼうぼう上がっていた。食べるより火消しに忙しかった。
そんなことを思い出した。1世は体力づくりに知恵と工夫をいっぱい取り入れて暮らしてきた。こんな生活が今や日本人はアウトドアとして好まれている。
テレビを見ながら夫はいつも言う。
昔はキャベツをごま油で炒めて弁当のおかずにもっていったら日本人の子どもは「にんにくを炒めている」とはやし立てていじめられた。
それからトラウマでキャベツの炒めたものが食べられなくなった。
それで結婚した当初、キャベツを炒めると意味もなく「これはおかずと違う。2度とするな」と怒ったことがあった。それから長い間、夫のいる前ではしなかった。年を重ねてきてようやくキャベツの炒めたものが嫌いでなくて子どものころのいじめられたことを話してくれた。みんなこうして生活に工夫して母親は必死になって子どもに食べさせようとして生きてきたのにこんな事情は日本人は知らないだろう。
だから夫はよく言う。
「昔は日本人が見向きもせえーへんかたのにキムチを食べてチヂミもサムゲタンを食べている。考えられへんな」
そして私にキャベツでいじめられた話をしてからはキャベツの炒めたものを食べるようになった。ここに卵も入れて炒めるとまた美味しい。おかずのないときは早くできるので私は自宅にいると昼食でよくして食べて入る。
たぶん、広告看板を見て在日同胞は在りし日の親を思い出すきっかけになるだろう。
今日撮れたら写真にとってこようかな。