仕事の内容をホームページで確認した。
そしたら民団中央本部が文科省に「共生」として国際理解教育の取り組みとして在日外国人の子どもたちの多分化共生教育を要請した。
私は韓国との最初の出会いはもちろん子どものころ韓国から来ていた手紙でよく見ていたが自分から韓国語を習いだしたのは42歳の春だった。
奈良県内で雑誌記者をしていて日本人のふりをして日本人の記事を書きたくない。このことで1年間葛藤した。
それなら何をするのか。
父親が言っていた韓国語の勉強だった。
民族団体の教室に習い行くのは禁止していた。独学で勉強できるから独学で覚えておいたほうがいいといった。
だから民族団体から言葉の学習の誘いがあっても「俺が教える」と言って玄関から追い払った。
夕食の後私に教えようとしてハングルの書き方を教えてくれるが私は父に言った。「日本に住んでいるのに日本語だけでいいわ」と言って私は覚えようとしなかった。しかし父は「使わなくても覚えて置いたほうがいい」と言ったが私はけっしてハングルと向き合うことはしなかった。
しかし40歳のころから日本人のふりをして日本の記事を書きたくない。このことで葛藤し始めて何と自分と向き合うのかと考えたときに韓国語の学習だった。
そして42歳の春、初めてハングルと正面から向き合うことになった。
民族団体に習いに言っていることは父に長い間隠していた。在日韓国人の新聞社に転職したのみ1年間は隠していたので分からなかった。
しかし奈良の夜間中学に通うオモニから私の親戚に話が伝わり父親にわかってしまった。
もう父親は何も言わなかった。ハングルと向き合う娘に発音の仕方を教えてくれた。
なかなか上達しないが記号と思っていたハングルが読めるようになった。簡単な会話程度ならなんとか韓国語を話せて韓国の町をタクシーで走り回っている。
それが子どもたちの韓国語の勉強は遊びながら覚えている。
日本では大阪市内の公立小学校など100校を越える民族学級や民族クラブがある。この子たちは楽しみながらハングルを覚えている。
そしてこの光景を見守るのは日本人教師である。
放課後に韓国語を習う担任クラスに在籍する在日コリアンの子どもたちの学習をじっと見守っている。そして教師も一緒に学んでいる。それを今度は国際理解教育の学習に持ってかえって韓国の歴史や文化を学んで違うということ認め合い共に生きていくための第1歩踏み出している。
この子たちが大人になったときに一緒に日本社会の町づくりに参加していくのである。
そういうカリキュラムは今後東アジアとの国々と一緒に何かをやろうとする時まず日本の子どもが学ばなければならない。そして自分と言う民族の自信を培うのは自国の文化や言葉を学ぶことからはじめなければならない。
こんなこと大阪では当たり前に行なわれているが他府県では足元にも及ばない。
ゆとり教育というより「共に生きる社会づくり」の構築が大切だと思う。
もう眠い。ねよう。お休み。
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そしたら民団中央本部が文科省に「共生」として国際理解教育の取り組みとして在日外国人の子どもたちの多分化共生教育を要請した。
私は韓国との最初の出会いはもちろん子どものころ韓国から来ていた手紙でよく見ていたが自分から韓国語を習いだしたのは42歳の春だった。
奈良県内で雑誌記者をしていて日本人のふりをして日本人の記事を書きたくない。このことで1年間葛藤した。
それなら何をするのか。
父親が言っていた韓国語の勉強だった。
民族団体の教室に習い行くのは禁止していた。独学で勉強できるから独学で覚えておいたほうがいいといった。
だから民族団体から言葉の学習の誘いがあっても「俺が教える」と言って玄関から追い払った。
夕食の後私に教えようとしてハングルの書き方を教えてくれるが私は父に言った。「日本に住んでいるのに日本語だけでいいわ」と言って私は覚えようとしなかった。しかし父は「使わなくても覚えて置いたほうがいい」と言ったが私はけっしてハングルと向き合うことはしなかった。
しかし40歳のころから日本人のふりをして日本の記事を書きたくない。このことで葛藤し始めて何と自分と向き合うのかと考えたときに韓国語の学習だった。
そして42歳の春、初めてハングルと正面から向き合うことになった。
民族団体に習いに言っていることは父に長い間隠していた。在日韓国人の新聞社に転職したのみ1年間は隠していたので分からなかった。
しかし奈良の夜間中学に通うオモニから私の親戚に話が伝わり父親にわかってしまった。
もう父親は何も言わなかった。ハングルと向き合う娘に発音の仕方を教えてくれた。
なかなか上達しないが記号と思っていたハングルが読めるようになった。簡単な会話程度ならなんとか韓国語を話せて韓国の町をタクシーで走り回っている。
それが子どもたちの韓国語の勉強は遊びながら覚えている。
日本では大阪市内の公立小学校など100校を越える民族学級や民族クラブがある。この子たちは楽しみながらハングルを覚えている。
そしてこの光景を見守るのは日本人教師である。
放課後に韓国語を習う担任クラスに在籍する在日コリアンの子どもたちの学習をじっと見守っている。そして教師も一緒に学んでいる。それを今度は国際理解教育の学習に持ってかえって韓国の歴史や文化を学んで違うということ認め合い共に生きていくための第1歩踏み出している。
この子たちが大人になったときに一緒に日本社会の町づくりに参加していくのである。
そういうカリキュラムは今後東アジアとの国々と一緒に何かをやろうとする時まず日本の子どもが学ばなければならない。そして自分と言う民族の自信を培うのは自国の文化や言葉を学ぶことからはじめなければならない。
こんなこと大阪では当たり前に行なわれているが他府県では足元にも及ばない。
ゆとり教育というより「共に生きる社会づくり」の構築が大切だと思う。
もう眠い。ねよう。お休み。
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