夫は1時半過ぎると近所のスーパービールを購入しに出かけて刺身を買って来た。それを食べながら今日は久しぶりにゆっくりと「たかじんのどこまでも---」という番組を見ていた。
番組を見ながら早い夕食をした。
ウインナーと茄子とセロリを私は炒めた。
夫は刺身にキムチと豚肉の炒めたものがある。私はレンコンと豚肉と炊いた残りに卵をはった。貝割れ大根を洗って皿に盛りつけた。
私は早い夕食、お腹がすいたら後でお茶漬けを食べればいい。
洗濯を取り入れて夫の下着を冬物と夏物を入れ替えた。
常時出しているところと整理してなおしてしまうものに区別して整理して入れなおした。
そんなに猛烈に暑くもないのに汗をかいている。
シャワーを浴びようと思ったがやめた。
風呂に湯を入れるとまた夫が風呂に入るという。
朝からビールのんでいる人に風呂に入られると困るので風呂に湯をはるのをしなかった。シャワーはまだ風邪ひきそうだ。4月になってからにしょう。
「たかじんの---」の番組が終ると夫はまたテレビの番組を洋画に切り替えてみている。私はさきほど夫が洋画を見ている間に側で新聞2紙を読んだ。
今日は早く寝ようと思うがまた私の見たい番組がある。
「大改造」の番組がまた今夜から始まった。
自分はめったに住めない1戸建ての家なのに間取りが見たくてつい見てしまう。
私が学生時代、飛びぬけて数学の成績がよかったら私の趣味が変って実益になっていたかもしれない。算数に数学は1番苦手な科目になった。
小学校時代、ド近眼なのに親が女の子は眼鏡をかけたらアカンと言ってかけさせてもらえなかった。1番大事な分数は黒板が見えないので理解できないまま高学年になった。ものすごく損をしたように今も思っている。
中学になってやっと貰った年玉で眼鏡を買って父親に怒られたがやっと黒板が見えなくて不自由していることを分かってくれて学校だけの眼鏡をかけることを許してもらったが眼鏡をかけると回りがよく見える。ずっとかけっぱなしになった。
けれど高校を卒業するとまだ出始めたばかりのコンタクトレンズにするようにということでコンタクトレンズに変った。最初は苦労した。
慣れなくてよく結膜炎を起こしていた。
結婚して子どもができて子どもが母親の私に似て近眼、眼鏡は小学校の時からかけさせた。私は黒板が見えなくてどれほど勉強に不自由だったかよく分かっているので---。黒板が見えなくて躓いた分数のところは子どもに何度も言い聞かせた。「お母さんは黒板が見えなくて分数がよく理解できないのできっちり聞いてくるように」と言い聞かせた。
そんなことで黒板が見えなくて算数の授業も損をした。もう1つ損したものがあった。国語の漢字テストも黒板が見えなくてわかっていてもかけなかったことが何度もあった。これも悔しい思いをした。
教師はそんな私のことを知りながら知らん顔しておられた。
前に座らせてもらってもいつも黒板が光って見えない席だった。
1950年代の日本社会、まだまだ在日コリアンに理解の少ない教師たちばかりだたのだろう。そんなことを思うと複雑な気持ちになるが時代がそうだったことにしよう。
数学が得意だったら私が仕事を持っていたら間取りの図面を書く仕事をしていたかもしれないと思うときがある。
雨は朝しとしとと降っていた。10陣半頃からあがった。少し日が差していた。
またさっき4時前から雨が降り出した。空が暗くなってくると雨がふれ雨足がひどくなってきた。
春に向かう雨であってほしい。
番組を見ながら早い夕食をした。
ウインナーと茄子とセロリを私は炒めた。
夫は刺身にキムチと豚肉の炒めたものがある。私はレンコンと豚肉と炊いた残りに卵をはった。貝割れ大根を洗って皿に盛りつけた。
私は早い夕食、お腹がすいたら後でお茶漬けを食べればいい。
洗濯を取り入れて夫の下着を冬物と夏物を入れ替えた。
常時出しているところと整理してなおしてしまうものに区別して整理して入れなおした。
そんなに猛烈に暑くもないのに汗をかいている。
シャワーを浴びようと思ったがやめた。
風呂に湯を入れるとまた夫が風呂に入るという。
朝からビールのんでいる人に風呂に入られると困るので風呂に湯をはるのをしなかった。シャワーはまだ風邪ひきそうだ。4月になってからにしょう。
「たかじんの---」の番組が終ると夫はまたテレビの番組を洋画に切り替えてみている。私はさきほど夫が洋画を見ている間に側で新聞2紙を読んだ。
今日は早く寝ようと思うがまた私の見たい番組がある。
「大改造」の番組がまた今夜から始まった。
自分はめったに住めない1戸建ての家なのに間取りが見たくてつい見てしまう。
私が学生時代、飛びぬけて数学の成績がよかったら私の趣味が変って実益になっていたかもしれない。算数に数学は1番苦手な科目になった。
小学校時代、ド近眼なのに親が女の子は眼鏡をかけたらアカンと言ってかけさせてもらえなかった。1番大事な分数は黒板が見えないので理解できないまま高学年になった。ものすごく損をしたように今も思っている。
中学になってやっと貰った年玉で眼鏡を買って父親に怒られたがやっと黒板が見えなくて不自由していることを分かってくれて学校だけの眼鏡をかけることを許してもらったが眼鏡をかけると回りがよく見える。ずっとかけっぱなしになった。
けれど高校を卒業するとまだ出始めたばかりのコンタクトレンズにするようにということでコンタクトレンズに変った。最初は苦労した。
慣れなくてよく結膜炎を起こしていた。
結婚して子どもができて子どもが母親の私に似て近眼、眼鏡は小学校の時からかけさせた。私は黒板が見えなくてどれほど勉強に不自由だったかよく分かっているので---。黒板が見えなくて躓いた分数のところは子どもに何度も言い聞かせた。「お母さんは黒板が見えなくて分数がよく理解できないのできっちり聞いてくるように」と言い聞かせた。
そんなことで黒板が見えなくて算数の授業も損をした。もう1つ損したものがあった。国語の漢字テストも黒板が見えなくてわかっていてもかけなかったことが何度もあった。これも悔しい思いをした。
教師はそんな私のことを知りながら知らん顔しておられた。
前に座らせてもらってもいつも黒板が光って見えない席だった。
1950年代の日本社会、まだまだ在日コリアンに理解の少ない教師たちばかりだたのだろう。そんなことを思うと複雑な気持ちになるが時代がそうだったことにしよう。
数学が得意だったら私が仕事を持っていたら間取りの図面を書く仕事をしていたかもしれないと思うときがある。
雨は朝しとしとと降っていた。10陣半頃からあがった。少し日が差していた。
またさっき4時前から雨が降り出した。空が暗くなってくると雨がふれ雨足がひどくなってきた。
春に向かう雨であってほしい。
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