4時から大阪市人権センターで「北の人権を守る会合」が行なわれるのでもうそろそろ支度というより、昼食の準備をして外出の支度をしなければならない。
バスも遅れてくるだろうから早い目にでなければならい。
紅葉を求めて撮影する人はいい景色をもとめて歩く。
めんどくさがりやの私にはできない。
K氏が奈良公園あたりで撮ってきた紅葉の景色の写真を見せてくれた。
すごい。大きい画質にプリントされた写真、すごいな。こんな作業するだけでも面倒である。写真に愛情のある人はこんなこともなんとも思わないのだろう。
そんな大きい写真をみると雑誌記者時代を思い出してしまう。
毎月、撮影者がA4版にプリントした写真を私に下さる。たいてい私が写真提供者の事務所に訪問してもらっていた。
そして私がその写真をグラビァページに入るようにレイアウトの作業する。トレッシングペーパーをかぶせて対角線を引いて写真を入れていく。グラビアのページの下は7・8㌢が空白になっている。
その空白に絵解きをして「詩」らしきもの書いた。「詩」らしきものにしておく。詩人として活躍する人たちが奈良県内に多くおられるので「詩」にすると批判をこうむりそうなので「詩」らしきものにしておく。
当時、まだ私は30代の後半から40代の初めだった。
まだ感性がビンビンしていた。
奈良県内の総合雑誌だったので写真は奈良県内で撮影したものばかりだった。季節に合わせた写真が提供される。それに季節にあったものなど私が絵解きした。
「詩」らしき内容はもう何か忘れてしまった。
写真はかすかに覚えている。
「浮見堂」「猿沢池の柳」「猿沢池の亀のひなたぼっこ」「黄金色に染まる奈良公園の落ち葉」「長谷寺のボンボリ」「戒壇院」「曽爾高原のすすき」「水上池の蓮」「唐招提寺の蓮」「秋篠寺の木蓮」「薬師寺の東塔」など文化財・史跡の宝庫の奈良県、写真の材料はたくさんあった。そこに絵解きをしていた。
いまだったら気恥ずかしくて書けない言葉もたくさん書いた。
「耳をすましていると----」なんてよく書いた。
今、考えると恥ずかしい。
K氏にも絵解きの仕事をしたこと当時の思い出を話していた。
今も写真をとって絵解きをしたいと思うが今度は在日同胞に関することをしたいがなかなか私の感性がもうそこまで到達しなくなった。想像力の感性が希薄になっている自分に気がついている。
そんなことを思い出すK氏が撮影した写真だった。
奈良公園を歩くといろんな被写体があるだろう。
これも体力と気力がないとできない。私はカメラを持って出ようと言う気になるのは仕事以外に1・2度だけである。
華やかにしなやかに咲き始める桜の季節、春ぐらいである。
今回、携帯電話をカメラつきにしたのでちょっと取りたいときに取れるようになった。ただ画質は荒い。仕事ではとても使えそうにない。
たまにプログでのせる程度のものしか使えない。
そんなことで今日は早いめにでて、奈良公園周りの市内循環バスにのってみようか。紅葉に染まる木々にふれてみるのもいいかもしれない。
私の心に感性と情熱のかけらをともしてくれるかもれない。
バスも遅れてくるだろうから早い目にでなければならい。
紅葉を求めて撮影する人はいい景色をもとめて歩く。
めんどくさがりやの私にはできない。
K氏が奈良公園あたりで撮ってきた紅葉の景色の写真を見せてくれた。
すごい。大きい画質にプリントされた写真、すごいな。こんな作業するだけでも面倒である。写真に愛情のある人はこんなこともなんとも思わないのだろう。
そんな大きい写真をみると雑誌記者時代を思い出してしまう。
毎月、撮影者がA4版にプリントした写真を私に下さる。たいてい私が写真提供者の事務所に訪問してもらっていた。
そして私がその写真をグラビァページに入るようにレイアウトの作業する。トレッシングペーパーをかぶせて対角線を引いて写真を入れていく。グラビアのページの下は7・8㌢が空白になっている。
その空白に絵解きをして「詩」らしきもの書いた。「詩」らしきものにしておく。詩人として活躍する人たちが奈良県内に多くおられるので「詩」にすると批判をこうむりそうなので「詩」らしきものにしておく。
当時、まだ私は30代の後半から40代の初めだった。
まだ感性がビンビンしていた。
奈良県内の総合雑誌だったので写真は奈良県内で撮影したものばかりだった。季節に合わせた写真が提供される。それに季節にあったものなど私が絵解きした。
「詩」らしき内容はもう何か忘れてしまった。
写真はかすかに覚えている。
「浮見堂」「猿沢池の柳」「猿沢池の亀のひなたぼっこ」「黄金色に染まる奈良公園の落ち葉」「長谷寺のボンボリ」「戒壇院」「曽爾高原のすすき」「水上池の蓮」「唐招提寺の蓮」「秋篠寺の木蓮」「薬師寺の東塔」など文化財・史跡の宝庫の奈良県、写真の材料はたくさんあった。そこに絵解きをしていた。
いまだったら気恥ずかしくて書けない言葉もたくさん書いた。
「耳をすましていると----」なんてよく書いた。
今、考えると恥ずかしい。
K氏にも絵解きの仕事をしたこと当時の思い出を話していた。
今も写真をとって絵解きをしたいと思うが今度は在日同胞に関することをしたいがなかなか私の感性がもうそこまで到達しなくなった。想像力の感性が希薄になっている自分に気がついている。
そんなことを思い出すK氏が撮影した写真だった。
奈良公園を歩くといろんな被写体があるだろう。
これも体力と気力がないとできない。私はカメラを持って出ようと言う気になるのは仕事以外に1・2度だけである。
華やかにしなやかに咲き始める桜の季節、春ぐらいである。
今回、携帯電話をカメラつきにしたのでちょっと取りたいときに取れるようになった。ただ画質は荒い。仕事ではとても使えそうにない。
たまにプログでのせる程度のものしか使えない。
そんなことで今日は早いめにでて、奈良公園周りの市内循環バスにのってみようか。紅葉に染まる木々にふれてみるのもいいかもしれない。
私の心に感性と情熱のかけらをともしてくれるかもれない。
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