風が冷たい。
旧正月らしい寒さです。
今日は旧暦の12月31日、明日は旧暦の正月になる。
韓国では今日から3日間公休日です。
ソウルなど都市に出ている人のほとんどは故郷に帰って旧暦正月の茶礼を行って皆でまた先祖の墓参りをする。
終るとまたソウルなど職場のある自宅に戻ってくる。
京釜高速道路は渋滞になるほどの故郷に向かう車列が続く。
韓国では名節(ミョンジョル)は旧正月と旧盆の秋夕(チュソク)をいう。
私の子どもの頃は旧暦で名節をしていたので桜井市に住んでいた祖父母に親戚が集ったものだった。祖父が亡くなって父がするようになって日本の暦に合わして新暦でするようになった。
風の冷たさに旧暦の正月の寒さを思い出した。
結婚したころは夫の父親の命日が旧暦の1月3日だった。
いつも寒い雪の降る中、三重県の田舎に向かったものだった。
そんなときのことをまたふと思い出してしまった。
今朝は7時半にパソコンの前に座った。
仕事のメールが入っていないので2月画面構築の「奈良おんな物語」の原稿を作成し始めた。いくらか原稿を作っていてテレビ番組「よーいドン」を見たいので10時前にパソコンを閉めた。
テレビをつけると違う番組です。
やっとまた今日は土曜日で番組がないことを思い出した。
テレビをあれこれまわしているとNHKの開局60周年を記念していろんな番組を放映している。今回はまた子どもの合唱団の歩みをしておられた。
耳にしたような歌、「子どもに届けたい歌」の特集番組をしていた。
見たい。見たいと思うほどでもなかったがそのままにして見ていた。
開局記念番組、昨日は戦後すぐの街の姿、国鉄のガード下でダンスホールや食べ物の店などが放映されていた。なつかしい私の幼い頃の時代だった。
私は京都府相楽郡木津町という田舎で育ったので都市のことは何もしらなかった。仕事で歩く梅田や鶴橋、昔から住んでいる人は「ここは闇市だった」とよく聞くが私はのんびりとした田舎で育ったので闇市というものも知らなかった。
ただ鶴橋の韓国市場を歩くと1世たちはこの場所で韓国の食材を出して闇市という時代から商いをして生計をたてて暮らして来られたことと思っている。
今も迷路のようになっている韓国市場だがまだまだ下町の人情が残っている町です。
先日、美容院に行った。カラーをしてくれる女性は木津川市加茂町の駅の近くに住んでいてそこから通勤している。まだ20代の女性です。以前は相楽郡加茂町、現在は木津川市加茂町です。話があれこれと通じる。
私の同級生も多くまたこの近くに嫁いだ同級生もいるのでついつい話が弾む。
そして鶴橋の話題になった。
鶴橋の韓国市場のことをよく知っている。
近鉄鶴橋駅で降りて西口に出て右に折れて真直ぐ真直ぐ歩いていくと韓国市場の食材が多く並んでいることを話していると彼女はよく知っている。
よく知っている事情がわかった。
鶴橋駅近くの美容学校に行っていたので鶴橋市場に出かけてくチヂミを食べたと話していた。地元の高校を卒業して専門学校を選び美容師になろうと美容学校にいったという。地元の高校というと私が卒業した高校だろう。
美容学校にいっている頃はたぶん電車の中で彼女と会っているかもしれない。
奈良に出るときは近鉄電車に乗って奈良市内でうろうろとしてJRで加茂に帰ることができる。
時代は変わった。
美容学校の生徒が鶴橋市場を歩いてチヂミをよく食べたという。
韓国の海苔巻きもよく食べたという。
なるほど迷路のような道を歩くと韓国の海苔巻きが店の入り口に置かれている。
学生たちが小腹を満たすためによく買ってたべていることに気がついた。
なるほどそうだったのか。
時代は変わった。
韓流になるまで学生たちは鶴橋市場に行く人はごく限られた人だっただろう。
彼女はまた先日、御幸森商店街、コリアタウンまで行ったという。
JR桃谷駅で降りて商店街を歩いてコリアタウンに行ったようだった。
鶴橋から歩くと20分程度でいける所にある。
帰りはここから大和路快速に乗って加茂まで帰ることができる。
意外と交通至便です。
時代は変わったなと思っていた。
今日のブログの書き込みが遅くなった。
11時頃から横になって新聞を読んだ。
ウトウトとしかけるとお米屋さんがお米を持ってこられたので起きて対応した。
またウトウトと寝て新聞は読みきれていない。
12時半に起きて新聞1紙と2紙目を読んでまたウトウトと昼寝、起きると1時40分です。読みきれていない新聞を読んで2時に起きた。
これからまた「奈良おんな物語」の原稿を作っていきます。
また明日----。
旧正月らしい寒さです。
今日は旧暦の12月31日、明日は旧暦の正月になる。
韓国では今日から3日間公休日です。
ソウルなど都市に出ている人のほとんどは故郷に帰って旧暦正月の茶礼を行って皆でまた先祖の墓参りをする。
終るとまたソウルなど職場のある自宅に戻ってくる。
京釜高速道路は渋滞になるほどの故郷に向かう車列が続く。
韓国では名節(ミョンジョル)は旧正月と旧盆の秋夕(チュソク)をいう。
私の子どもの頃は旧暦で名節をしていたので桜井市に住んでいた祖父母に親戚が集ったものだった。祖父が亡くなって父がするようになって日本の暦に合わして新暦でするようになった。
風の冷たさに旧暦の正月の寒さを思い出した。
結婚したころは夫の父親の命日が旧暦の1月3日だった。
いつも寒い雪の降る中、三重県の田舎に向かったものだった。
そんなときのことをまたふと思い出してしまった。
今朝は7時半にパソコンの前に座った。
仕事のメールが入っていないので2月画面構築の「奈良おんな物語」の原稿を作成し始めた。いくらか原稿を作っていてテレビ番組「よーいドン」を見たいので10時前にパソコンを閉めた。
テレビをつけると違う番組です。
やっとまた今日は土曜日で番組がないことを思い出した。
テレビをあれこれまわしているとNHKの開局60周年を記念していろんな番組を放映している。今回はまた子どもの合唱団の歩みをしておられた。
耳にしたような歌、「子どもに届けたい歌」の特集番組をしていた。
見たい。見たいと思うほどでもなかったがそのままにして見ていた。
開局記念番組、昨日は戦後すぐの街の姿、国鉄のガード下でダンスホールや食べ物の店などが放映されていた。なつかしい私の幼い頃の時代だった。
私は京都府相楽郡木津町という田舎で育ったので都市のことは何もしらなかった。仕事で歩く梅田や鶴橋、昔から住んでいる人は「ここは闇市だった」とよく聞くが私はのんびりとした田舎で育ったので闇市というものも知らなかった。
ただ鶴橋の韓国市場を歩くと1世たちはこの場所で韓国の食材を出して闇市という時代から商いをして生計をたてて暮らして来られたことと思っている。
今も迷路のようになっている韓国市場だがまだまだ下町の人情が残っている町です。
先日、美容院に行った。カラーをしてくれる女性は木津川市加茂町の駅の近くに住んでいてそこから通勤している。まだ20代の女性です。以前は相楽郡加茂町、現在は木津川市加茂町です。話があれこれと通じる。
私の同級生も多くまたこの近くに嫁いだ同級生もいるのでついつい話が弾む。
そして鶴橋の話題になった。
鶴橋の韓国市場のことをよく知っている。
近鉄鶴橋駅で降りて西口に出て右に折れて真直ぐ真直ぐ歩いていくと韓国市場の食材が多く並んでいることを話していると彼女はよく知っている。
よく知っている事情がわかった。
鶴橋駅近くの美容学校に行っていたので鶴橋市場に出かけてくチヂミを食べたと話していた。地元の高校を卒業して専門学校を選び美容師になろうと美容学校にいったという。地元の高校というと私が卒業した高校だろう。
美容学校にいっている頃はたぶん電車の中で彼女と会っているかもしれない。
奈良に出るときは近鉄電車に乗って奈良市内でうろうろとしてJRで加茂に帰ることができる。
時代は変わった。
美容学校の生徒が鶴橋市場を歩いてチヂミをよく食べたという。
韓国の海苔巻きもよく食べたという。
なるほど迷路のような道を歩くと韓国の海苔巻きが店の入り口に置かれている。
学生たちが小腹を満たすためによく買ってたべていることに気がついた。
なるほどそうだったのか。
時代は変わった。
韓流になるまで学生たちは鶴橋市場に行く人はごく限られた人だっただろう。
彼女はまた先日、御幸森商店街、コリアタウンまで行ったという。
JR桃谷駅で降りて商店街を歩いてコリアタウンに行ったようだった。
鶴橋から歩くと20分程度でいける所にある。
帰りはここから大和路快速に乗って加茂まで帰ることができる。
意外と交通至便です。
時代は変わったなと思っていた。
今日のブログの書き込みが遅くなった。
11時頃から横になって新聞を読んだ。
ウトウトとしかけるとお米屋さんがお米を持ってこられたので起きて対応した。
またウトウトと寝て新聞は読みきれていない。
12時半に起きて新聞1紙と2紙目を読んでまたウトウトと昼寝、起きると1時40分です。読みきれていない新聞を読んで2時に起きた。
これからまた「奈良おんな物語」の原稿を作っていきます。
また明日----。
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