鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

6月25日、夜の9時40分。

2009-06-25 22:43:36 | 直言!
9時までテレビを見て消してパソコンの前に座って、受信メールの整理をしているともう40分も経ってしまった。
今日は大阪でも初めて行った現場、JR東西線の加島駅で降りた。
自宅を出たのが10時35分、市内循環バスに乗って11時前に奈良駅に着いた。
昼食にしては少し早すぎたので行きつけの喫茶店でサンドイッチを食べようと思ったが朝がパン食でご飯か麺類がほしい。
11時からうどん亭は開いている。けれど寿司定食は喉が渇く。
日替わり定食はこの1年ほど前からご飯が雑穀米が使われている。
若い人は好んで食べているようだが私は昭和20年代から30年年代、物がない時に育って麦がものすごく多く入ったご飯で大きくなったので、どうもあのザラザラとした感触が口当たり悪くて食べられない。
他の定食はどうか分からないが日替わり定食はこんなところで経費を節約しているのかしらないが---。これはそれぞれ好みがある。
雑穀米か普通のご飯というメニュー献立にしないと私みたいな人は足が遠のいてしまう。私は食べられないのでうどん亭から足が遠のいた。
それで近鉄奈良駅近くにある交番所前にある喫茶店・シャンブルに行った。
「焼き飯」を食べた。ここもあまりこのごろは行かない。
少しの焼き飯のご飯で750円、高い。高いと思い。650円程度でいいと思う。650円の方がもっと量があった。750円になってものすごくご飯が少なくなったのに高い。だから行かなくなった。食べながら不機嫌になっているので行かなくなった。
ほとんどの店が11時半からである。
それでここに立ち寄って焼き飯をかき込んで行きつけの喫茶店に急いだ。
新聞を2紙読んで12時40分に店を出た。
近鉄奈良駅から12時40何分の電車に乗って鶴橋で降りた。
鶴橋からJR大阪環状線に乗って京橋に行きここで降りてJR東西線に乗換えて加島に向かって加島駅で降りた。
野田阪神の近く、初めて降りた駅なのに懐かしい気持になる。
2駅向こうの海老江に私が若い頃勤務していた会計事務所が入っていたビルがあった。近辺がこんな町だった。懐かしいという心が甦ってきた。
よく電車に乗って天満にあった法務局にもよく行った。
出来たばかりの梅田地下センターを歩いた。
たまに衣服の店に覗いたりした。
司法関係の文書を持ってよく行った。歩いている道すがらの建物が加島にある風景とよく似ていた。
しかし今は天満もそんな風景がなくなり高層ビルが建ち並ぶ景色になっている。
1960年代の半ばを思い出す景色は何もなかったのに加島駅を降りると昔見たような建物が並んでいた。
懐かしい青春を思い出していた。
3時の約束がまだ時計は2時10分、現場はここから300メートル、いくら何でも早いと考えて通り道にあった喫茶店に入った。
そして目的の場所を教えてもらい時間を聞くと5分あれば行けるという。
この店で40分までいた。
目的の場所についたのが10分前、早いと思ったが訪問した。
仕事は1時間で終わって4時前にでた。
またここから奈良に逆戻り。
JR加島駅から乗車、海老江に着くと地下鉄千日前線に乗換えられる。
ここで降りて地下鉄千日前線の駅に向かった。
駅が野田阪神、この駅の近くに私が勤務していたビルがある。
なつかしい気もするが家路に急いだ。
そういえば私が野田阪神に勤務している時は大阪万博を前にして地下鉄工事が突貫工事で行われている最中だった。地下鉄野田阪神の駅が出来る工事現場の横を通って勤務先に行った。私は万国博覧会の前に結婚して退社をしてこの野田阪神に来ることがなくなった。
加島駅に乗車したのが4時12分、このまま長尾を回って木津に出て奈良にも帰れるがやはり近鉄が早い。海老江で降りて地下鉄千日前線・野田阪神駅に行った。電車が入ってきた。この駅の地上に上ると私が勤務していたビルがあるがやはり家路に急いだ。
難波に着くと4時35分、4時40分の奈良行特急に乗れないと思って5時15分にと考えていたがとりあえず特急券売場の窓口に急いだ。
窓口の職員が「40分乗れます」という。
特急券を買ってホームに急いだ。
体が甘いもの要求している。キャラメルを1個急いで買って停まっていた特急に乗った。まず行くところはトイレに駆け込んだ。駅でトイレをしている時間がない。私が出ると若い男性が待っていた。皆同じことをしている。
奈良に着くと5時20分、スーパーで買物して自宅に戻ると5時40分、急いでシャワーを浴びて夕食の支度をした。夕食の支度が終わると夫が帰ってきた。
今日は珍しく見たい番組があって8時から9時までテレビを見ていた。
終わってやっとパソコンの前、自分の時間になった。
初めて行った加島駅の近辺、ここから私が若い時に勤めていたところに近いということを気がついた。そして昔見たような風景がそこにあった。
ただ頭の上に高速道路が走っている。
私の若い頃はこんなものがなかった。
このころ町にレストランで出始めそしてスパゲテイーが出始めた。ミートソースとナポリタンしかなかった。ミートソースは挽肉が入っていて確か50円か100円、ナポリタンより高かった。そう何度も食べられなかったミートソースのスバゲテイーだった。
ビルの中にいた他社の事務員たちとここで昼食をたまに食べてもナポリタンだった。そんなことも思い出した。
ある会社のところにいつも集った。
電話番をしていた女子職員が1人だけだったのでここに他の会社の職員が集ってここで昼食をした。素うどんかきつねうどん、または親子丼そしてコロッケを誰かが買いに行ってここでコロッケと一緒によく食べた。
そんなことをふと思い出していた。
先日、阪神電車の御影駅を通ってきた。ビルの中で一緒に昼食をしてスパゲテイーを食べた人が御影から通勤していた。それも阪急電車だったが---。
厚生年金ホールで行われた労音のコンサートにも一緒にいった。懐かしい。
私が退職してからは会っていない。
皆、電話を教えあうということがなかった。そんなに電話も普及していなかったのでなんとなくそのままになった。
もし電話がおよその家庭に普及していれば電話番号も教えあっただろう。
そんな時代だった。縁があればまた会える。そんなのんびりした時世だった。
私があちらこちらと行っているのでどこか町の中ですれ違っているかもしれないが名乗ることもなく来ていることは縁がなかったのだろうか。
のんびり過ごした青春時代を思い出している。
もうこのへんにして寝ることにしよう。
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