鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

3月4日(日)晴れ。

2018-03-04 08:58:31 | 直言!
今朝、更新したふえすブックをはりつけておきます。

3月4日(日)晴。朝8時前の室温は23度、35%。今日は晴れていい天気、しかし春が本格的に訪れるまで、三寒四温で寒さと暖かさを繰り返していく。
昨日の朝、思いがけなく、私が勘違いをしていたことに気がついた。
2016年の2月、同級生からハガキをもらった。同級生、卒業してから何かしらどこかで4人がつながっていて仲がよかったのでこの中の4人とあっていた。
そして還暦が過ぎて61歳の夏、琵琶湖に一泊2日旅行に行った。この中に同胞の同級生がいる。このフエスブックで書いたように、琵琶湖に行く前、京都駅であって京都タワーで昼食をするが、座席につくなり、私につらつらと文句をいう。私の母親を介護しなかった。自分はこれだけしたと、とうとうと並べた。そして他の2人はその話をとめないでいた。それがもっともっと悲しかった。
琵琶湖旅行は心をモヤモヤして終えて奈良に戻り、それから彼女たち3人と会わないと心に決めた。あわなくなって7年の歳月にこの中の仲の良かった1人からハガキがきた。絵手紙で、俳句のような短文に意味がわからなかつた。Aさんに電話して分かった。とりあえず3人で会おうという誘いだった。当時、大病で退院して1年、まだ寝たきりだった。自分の現状を手紙に書いて投函した。それから双方、音沙汰なしになった。
そして昨日の朝、トイレに入っていて私が勘違いしていることに気がついた。
3人とは私とAとMの3人、それならツンコを入れると4人、ツンコの名前がない。あれ。そういえば他の同級生から2016年の秋、ツンコがなくなったという電話が入ったが、私は仲良しだった同級生ともう連絡していないからわからないといっていた。
やはりツンコは亡くなっていると気が付いて、あのハガキの真相をしらないといけないと考えて、仲良しだった草津市在住のAさんに電話をした。
電話すると私も彼女も今まで仲が良かったように話して笑っていた。
そしてハガキのことを聞いた。それはツンコが入院していて具合が悪いからお見舞いに一緒にいく誘いだったという。しかし私の手紙に2人で病院にいったという。病院に見舞いに行って半年後に他界した。
そしてツンコは私の心のモヤモヤを聞いていたのか、Mさん(同胞)にものすごく怒ったという。「あんたはしゃべりすぎや。もうしゃべらんと黙っておき。口にチャックしておき」と、ものすごく怒ったという。そういえば、ツンコから何度も携帯に電話が入っていたが私の心のモヤモヤがとれないので電話を切っていた。電話でAさんに「私のこと心に残りながらなくなったんやんな」と、話すと、Aさんは「そうやで。そのぶん、長生きさせてもらっている」と、いっていた。
「ツンコ、ごめん。ほんまにごめん。今、謝っても取り返しはつかないけれど、ツンコとは仲がよかった。双方、結婚しても我が家によく遊びにきていたのに。本当にツンコごめん」、ただほんまにMさんが私に会うなり文句をいっていたのに「こんなところで今、話をせんとき」と、ただいってほしかっただけ。それがなかったのでものすごく悲しかった。AさんはMさんを許してあげてといっていたが、私は黙っていた。帰化したからとっていって帰化しない同胞に「チョウセン嫌い。チョウセン嫌い」、そして「なんで帰化せえへんの」と攻めることもおかしい。このことを知らない同胞の勉強不足に心がモヤモヤしている。
Aさんとはずっと仲良しだったのでAさんとはまた会いたいと思っている。
Mさんはツンコに怒られてかなりしょげて悩んでいたという。しかし本当かどうか-------。私なりにまだモヤモヤしている。

昨日はケアハウスに行った。3月3日はひな祭り、昼食は、海戦ちらし寿司、あさりのスープ、菜の花と新ジャがと豆腐のマヨネーズ和え、きぬさやと大根の和え物、美味しかった。2時からひな祭りのイベントが行われたが2時15分に私は退出している。参加者はワークショップをしておられた。いつもお会いする高齢者の婦人と楽しくはなして笑って過ごした。皆さん、いろんなことを話して下さる。なるほどと、その方の人生が見えてくる。今日はこのへんで。
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