今朝、更新したフエスフック貼り付けておきます。
4月26日(木)晴れ。昨日とかわって今日は晴れ。きょうの日中の気温も高くなる予報という。
昨日、息子が1時間程度だが奈良にきてくれた。24日の夕方の便で沖縄から関西国際空港に到着、JR大阪駅近くの丸ビルに宿泊、朝のバイキングもおいしく、リニュウアールされて綺麗になったと息子はいっていた。会社には奈良に寄ってくるということで出張の仕事は午後からにしてもらった。弁天町近くでの仕事らしい。息子は奈良から1時間の予定をしていたが、1時間半はみないといけないと私はいい、少し早い目にいくようにいった。仕事優先である。
息子が来たとき、ベランダ側の部屋にあった車椅子をたたんでリビングに持ってきてひろげた。そしてそこに座った。
息子は「あるけるやん」と、いって、とても喜んでいた。
2015年1月26日、夜半、救急車で病院に搬送されて明け方、危篤といわれた夫は息子に電話をして朝1番の飛行機で関西国際空港ついて奈良にきてくれた。多くの医師や看護師の尽力で私は命拾いをした。
そして息子はこの後、1か月、奈良にいた。
それが意識朦朧の私は息子がいたこともわからない。嫁さんも孫もきたことがわからない。
退院して自宅に帰ると、息子は預金口座の通帳などきれいに整理して夫に分かりやすいやすいように渡してくれていた。
退院して半年を過ぎたころ奈良にきたがまだそのときは寝たきりだった。
1年に1度は関西に出張できているらしい。仕事の都合によって寄れるときもあれば寄れない時もあるだろう。今回は立ち寄って高齢者になった今後のことを案じて最後の過ごし方やその後のことも話して帰っていった。何も考えていないのかもしれないと思っていたが、いろいろと心配してくれていた。
鶴橋で何か買って帰りといって僅かの金額を渡しすと、年金受給者からもらおうと思っていないという。49歳になった息子、少しは成長したのかなと思って聞いていた。わずかな金額なのに、これは子どものお土産にすると大事に財布にいれていた。
総務の管理職でいろいろな付き合いがあるらしい。会社内でも風邪から肺炎になって1カ月もしないうちに亡くなった人ともいる。リハビリでがんばっている人もいるという。そして息子に、私は同級生の亡くなった話しをすると驚いていた。同級生たちと子供が小さいころ、琵琶湖に泳ぎにいったりしているので私の同級生のことよく覚えていた。加茂町の駅前の酒屋さんも覚えていた。大学時代、母親の商いでアルバイトしているので加茂の町も良く知っていて、懐かしいといっていた。ここに同級生が嫁いでいて電話がかかった話しをしたりした。
ケアハウスでの高齢者との楽しく過ごしていること話すと、「かなりにぎやかにしゃべっている」と、呆れていた。会話はせんとあかんと言いたいが黙った。
介護支援者には悪口は一切いわない。いうときは問題になったときだけである。私のテーブルに来る高齢者たち、ここはわかりやすい話で楽しいといって下さる。
息子と話していて至福の時間は過ぎて行った。息子が出ていくとき、玄関まで見送り、夫のサンダルを履いて玄関の前の廊下に出た。息子は階段を下りるときふりむいて手を振っていた。やはり親子である。
私は「体に気いつけや」といった。息子は「うん。大丈夫や」といって私の視界から消えた。今度、いつ会えるかもしれないが、もっと歩けるようにリハビリに頑張ろう。
今朝、食べたものは、ご飯、あさりの味噌汁に厚揚げ1個、さつま揚げ2個、茄のつけものと縮緬雑魚320カロリーほどになる。
今日はこのへんで。むすこのこと書きすぎたので息子に怒られてたらどうしょう。
4月26日(木)晴れ。昨日とかわって今日は晴れ。きょうの日中の気温も高くなる予報という。
昨日、息子が1時間程度だが奈良にきてくれた。24日の夕方の便で沖縄から関西国際空港に到着、JR大阪駅近くの丸ビルに宿泊、朝のバイキングもおいしく、リニュウアールされて綺麗になったと息子はいっていた。会社には奈良に寄ってくるということで出張の仕事は午後からにしてもらった。弁天町近くでの仕事らしい。息子は奈良から1時間の予定をしていたが、1時間半はみないといけないと私はいい、少し早い目にいくようにいった。仕事優先である。
息子が来たとき、ベランダ側の部屋にあった車椅子をたたんでリビングに持ってきてひろげた。そしてそこに座った。
息子は「あるけるやん」と、いって、とても喜んでいた。
2015年1月26日、夜半、救急車で病院に搬送されて明け方、危篤といわれた夫は息子に電話をして朝1番の飛行機で関西国際空港ついて奈良にきてくれた。多くの医師や看護師の尽力で私は命拾いをした。
そして息子はこの後、1か月、奈良にいた。
それが意識朦朧の私は息子がいたこともわからない。嫁さんも孫もきたことがわからない。
退院して自宅に帰ると、息子は預金口座の通帳などきれいに整理して夫に分かりやすいやすいように渡してくれていた。
退院して半年を過ぎたころ奈良にきたがまだそのときは寝たきりだった。
1年に1度は関西に出張できているらしい。仕事の都合によって寄れるときもあれば寄れない時もあるだろう。今回は立ち寄って高齢者になった今後のことを案じて最後の過ごし方やその後のことも話して帰っていった。何も考えていないのかもしれないと思っていたが、いろいろと心配してくれていた。
鶴橋で何か買って帰りといって僅かの金額を渡しすと、年金受給者からもらおうと思っていないという。49歳になった息子、少しは成長したのかなと思って聞いていた。わずかな金額なのに、これは子どものお土産にすると大事に財布にいれていた。
総務の管理職でいろいろな付き合いがあるらしい。会社内でも風邪から肺炎になって1カ月もしないうちに亡くなった人ともいる。リハビリでがんばっている人もいるという。そして息子に、私は同級生の亡くなった話しをすると驚いていた。同級生たちと子供が小さいころ、琵琶湖に泳ぎにいったりしているので私の同級生のことよく覚えていた。加茂町の駅前の酒屋さんも覚えていた。大学時代、母親の商いでアルバイトしているので加茂の町も良く知っていて、懐かしいといっていた。ここに同級生が嫁いでいて電話がかかった話しをしたりした。
ケアハウスでの高齢者との楽しく過ごしていること話すと、「かなりにぎやかにしゃべっている」と、呆れていた。会話はせんとあかんと言いたいが黙った。
介護支援者には悪口は一切いわない。いうときは問題になったときだけである。私のテーブルに来る高齢者たち、ここはわかりやすい話で楽しいといって下さる。
息子と話していて至福の時間は過ぎて行った。息子が出ていくとき、玄関まで見送り、夫のサンダルを履いて玄関の前の廊下に出た。息子は階段を下りるときふりむいて手を振っていた。やはり親子である。
私は「体に気いつけや」といった。息子は「うん。大丈夫や」といって私の視界から消えた。今度、いつ会えるかもしれないが、もっと歩けるようにリハビリに頑張ろう。
今朝、食べたものは、ご飯、あさりの味噌汁に厚揚げ1個、さつま揚げ2個、茄のつけものと縮緬雑魚320カロリーほどになる。
今日はこのへんで。むすこのこと書きすぎたので息子に怒られてたらどうしょう。
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