そしたらこの間まであった焼き肉の電光板の広告がなくなっていた。
そして下の方に下がって大きい広告の看板を掲げる準備になっていた。
どんな広告と一瞬考えたがやはりあの焼き肉の広告がさらに拡大して広告として登場してくるとも思った。
案の定、拡大されて人が電車を待つ目線の高さに電光版の広告が掲げられていた。
焼き肉らしいくすんだ色のフイルム、そして1960年前後の在日同胞の一般家庭でよく見られた焼き肉の光景である。焼き肉でもホルモン焼きである。
ホルモン焼きを食べている光景が映し出されていた。
拡大されたフイルムは後方にいた「かわやん」が大きく拡大されてよく目だつようになっていた。
なんともいえないこの1960年前後の光景である。
こんな風景、今の若者には想像できないだろうがこの広告看板のフイルムと同じ生活スタイルを在日同胞はしていた。みんな体験してきた暮らしである。
ホルモン焼きを食べていたから何もなかった日本の食糧事情でも当時在日同胞の間では結核患者はあまり見られなかった。
日本人が食べないホルモン焼きを1世たちは味噌だれで工夫して食べやすい美味しい味付けを生み出した。大蒜(にんにく)も入っている。唐辛子も入っている。味噌も入っている。日本人が食べないものだったが栄養価が高かった。
野菜はしなびれていてもそれを綺麗に整理してキムチにした。
野菜のくずが残るとテンジャン(味噌料理)にした。
カルシュウムはホルモンの中にあるウルテ(牛ののどぼとけ)を細かく刻んで焼いて食べた。
父親が生前言ったことがあった。
「なぜ朝鮮人は結核にならないのか。大蒜を食べているからならない」と言っていた。
大人になってそうだったとやっと分かった。
そうして生活の中で知恵と工夫をしてこの差別のきつかった日本社会で生き延びて強い体力と精神力を作ってくれた。
そんな在日同胞の1960年前後の暮らしを思い出してしまう広告の看板である。
看板の写真をとっているとじっとその広告看板を見ている30代後半の女性がいた。私は思わず声をかけた。
「面白いでしょう」と声をかけるとこの看板が変わったこともしっていた。
「この間までもう少し上に小さくあったのに足元に近くなって大きくなりましたね」と話している。そして私は「あの後方でいる人、私の知っている人です。日本人ですよ」と言うと「ヘエーそうですか」と言う。そして「あれは3月末にランニング1枚で1日がかりであのフイルムを作ったのでみんな後で風邪をひいてしまったそうです」と言うと「アハハハ----。あの看板にそんな裏話があったのですか。聞いてよかったです」とまた楽しそうにニコニコ笑っていた。
まさか「かわやん」の教え子ではないと思う。教え子にしてはちょっと年が多い。30代後半の若い女性は「ありがとう」と言って各駅停車の東生駒行きに乗車された。
けっこう大きくなった看板見ている人が多いのです。目線にある看板、目立つのです。そして「かわやん」も目だっていました。
そんなことで看板が大きくなってお目見えしている。
当の本人、気がついているかしら。
そして下の方に下がって大きい広告の看板を掲げる準備になっていた。
どんな広告と一瞬考えたがやはりあの焼き肉の広告がさらに拡大して広告として登場してくるとも思った。
案の定、拡大されて人が電車を待つ目線の高さに電光版の広告が掲げられていた。
焼き肉らしいくすんだ色のフイルム、そして1960年前後の在日同胞の一般家庭でよく見られた焼き肉の光景である。焼き肉でもホルモン焼きである。
ホルモン焼きを食べている光景が映し出されていた。
拡大されたフイルムは後方にいた「かわやん」が大きく拡大されてよく目だつようになっていた。
なんともいえないこの1960年前後の光景である。
こんな風景、今の若者には想像できないだろうがこの広告看板のフイルムと同じ生活スタイルを在日同胞はしていた。みんな体験してきた暮らしである。
ホルモン焼きを食べていたから何もなかった日本の食糧事情でも当時在日同胞の間では結核患者はあまり見られなかった。
日本人が食べないホルモン焼きを1世たちは味噌だれで工夫して食べやすい美味しい味付けを生み出した。大蒜(にんにく)も入っている。唐辛子も入っている。味噌も入っている。日本人が食べないものだったが栄養価が高かった。
野菜はしなびれていてもそれを綺麗に整理してキムチにした。
野菜のくずが残るとテンジャン(味噌料理)にした。
カルシュウムはホルモンの中にあるウルテ(牛ののどぼとけ)を細かく刻んで焼いて食べた。
父親が生前言ったことがあった。
「なぜ朝鮮人は結核にならないのか。大蒜を食べているからならない」と言っていた。
大人になってそうだったとやっと分かった。
そうして生活の中で知恵と工夫をしてこの差別のきつかった日本社会で生き延びて強い体力と精神力を作ってくれた。
そんな在日同胞の1960年前後の暮らしを思い出してしまう広告の看板である。
看板の写真をとっているとじっとその広告看板を見ている30代後半の女性がいた。私は思わず声をかけた。
「面白いでしょう」と声をかけるとこの看板が変わったこともしっていた。
「この間までもう少し上に小さくあったのに足元に近くなって大きくなりましたね」と話している。そして私は「あの後方でいる人、私の知っている人です。日本人ですよ」と言うと「ヘエーそうですか」と言う。そして「あれは3月末にランニング1枚で1日がかりであのフイルムを作ったのでみんな後で風邪をひいてしまったそうです」と言うと「アハハハ----。あの看板にそんな裏話があったのですか。聞いてよかったです」とまた楽しそうにニコニコ笑っていた。
まさか「かわやん」の教え子ではないと思う。教え子にしてはちょっと年が多い。30代後半の若い女性は「ありがとう」と言って各駅停車の東生駒行きに乗車された。
けっこう大きくなった看板見ている人が多いのです。目線にある看板、目立つのです。そして「かわやん」も目だっていました。
そんなことで看板が大きくなってお目見えしている。
当の本人、気がついているかしら。
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