鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

12月29日、いよいよあと2日。

2008-12-29 08:08:32 | 直言!
この間、正月を迎えるのに慌しくしていたのに1年が過ぎてもうそんな時期がやってきた。
昨日は鶴橋と親戚の家をまわって1日があっとい間に過ぎていった。
そしてNHKの大河ドラマ「篤姫」の総集編を見たいのでパソコン作業を早く切り上げてテレビを見た。7時半から11時まで。3時間半。途中15分のニュースを挟むだけ。見ていないところもたくさんある。
いつもは日曜日、現場の仕事が入って自宅にもどる。そして夕食を済ませるとそのまま原稿を作っていると8時台は見られない。
10時からの再放送を見ようと思うがパソコンをしていてうっかりとしていて時間に気がつかなくて気がつくと11時になっていることもよくあった。
テレビを見ていると1800年代の終わり、日本の幕末と韓国の朝鮮王朝の時代が重なってくる。
世界が帝国主義で領地制覇の時代、植民地になるのかするのか。そんな政策だった。
学校の歴史の時間に習った人物の名前が多く出てきた。私は日本の文部省が決めた教科書で勉強してきた。
韓国から見ればこれはおかしいと思うところ、学校時代は気がつかないできた。大人になっても韓国の歴史にまったく興味がなくて帰化することばかり考えていた。
それが先人たちはそうさせなかったのか。
私の体を韓国語教室に運んだ。
ここで転職して韓国また在日コリアンの立場にたった歴史史実を多く学んだ。
日本の幕末、在日コリアンから見ると外国のことかもしれないが日本で生まれて日本で育ち日本で定住している。日本のことも知って日本人と話のできるものをしていくのが2世の1つの役割かもしれない。両方の立場から話しできることも大切である。
何かも日本人になりきることはない。帰化しても血は残っている。いつかは体がそんなふうに必ず運んでくれる。断言して私は言える。私の体験からそう言える。
両方の文化や歴史を知っていることに良いにこしたことがない。
そんなことで父親の人生も重なってくる。父親は両方の歴史をよく知っていた。
やっぱり本をたくさん読んでいたのだろうか。

昨日は久しぶりに木津の町を走った。
かつて昔は田園風景だった下河原は多くの住宅がたちならび私が過ごしたころの景色はなくなっていた。西木津が木津川市に似合った町づくりになっている。
私の実家がある旧木津市街に入ると町の様子は大分変わってきているがそんなに昔と変わっていない。昔から住んでいる人が代変わりをしてみんなその町で暮らしている。住んでいる人で他府県から来ている人は家族の伴侶であって昔からの人がそのままに暮らしている。
私の家もこの中の一角にある。
帰り役場の方をまわってみると新しい役場、木津川市になったので木津川市役所になる。
外回りはまだ充分にできていなかったが高い建物が建っていた。新しい町づくりの始まる新しい建物が建っていた。
時代はどんどん変わっていく。
不況の波が押し寄せるとは思っても見なかった。
昨日の新聞の記事に書いていた。
かつて昔の経営者は役員幹部の給料をカットしてもよほどのことがないかぎり大量の解雇などしなかった。苦しい時は経営者も役員も社員も給料カットしてのりこえてきた。
こんな記事に私は今そんなことができないのは役員も社長もサラリーマンで経営者の創業の底力がないのだろうか。
自分さえよければよいという世相の風潮が非正社員の解雇をしていくことにつながっているのだろうかと考えてしまった。

さて今朝は寒かった。起きると寒かった。
ちょっと体がだるい。昨日は1日、動き回っていた。
いつも31日にしていたが31日は地元で買物してゆっくり過ごしたいので昨日に済ませた。
そんなことでもう今日はこれから休憩をしよう。
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