通路を挟んだ向こう側の席に40代と30代の女性が2人先に乗っていた。
23番の席に私が座りかけるともうすでに話し声の大きいのが耳についてくる。
鶴橋を過ぎたので乗車客がいっぱいになったのでもう声が小さくなると思うとまたさらに声を大きくして40代の女性は立て続けに話している。
さすが30代の女性は周りの目が気になったのか声のトーンを落として話し始めているのに40代の女性はまたもっと声を大きくして「ダイエット」の話に「沖縄の真夏で日焼けして大変なことになった」ことなどやたら大きい声で話している。
この人たち生駒駅で降りると思ったらまだ降りない。
次の学園前駅も次の大和西大寺駅になっても降りない。
ずっと大きい声でしゃべりぱなっしで奈良駅まできた。さすが奈良駅に近くなって私は2人の顔を見た。なんども40代の女性の顔をみるがいっこうに話しはとまらない。
ようやく私は座席すら立ちあがった、立ち上がってドアに行くときに聞こえるか聞こえないかぐらいの声で「ずっと大きい声でしゃへりぱなしや」と言ったがさすがこれでようやく自分たちのことに気がついたが悪びれることもなく乗車口のドアのところで立っている私を顔を見ている。けれどなんとも思っていないようだ。
私は電車から降りてエスカレーターに乗ったが下で歩きながらもその40代の女性が大声で話している。
本当に行儀の悪い奈良市民に私はうんざりしていた。
40代、30代の家族たちの教育はどうなっているのだろうかとふと思った。
余計なお世話だ。ほっておいてと聞こえてきそうだ。
はた迷惑な人たちだった。500円の特急券の料金を払っているので好き勝手にしてもいいと思っているのだろうか。
こんな人たちに限って他の人が大きい声で話したら「うるさい」というタイプである。
私はこんな奈良市民に会ってもううんざりした。
遅くなったので近鉄奈良駅近くでお寿司を買った。おもわず特急電車の中でのべつなくしゃべり通した40代と30代の女性の行儀の悪さを話すと彼女はまだ20代なのに「わあ。そんな嫌い。もうそんな腹たつわ。大きな声で話されるといややわ」と同調してくれた。これで私のもやもやがすこし取れたような気がした。
奈良市民の若い女性もちゃんと一般常識を心得ている人もいる。
なのにあの人たち、どこでたがねが外れているのだろうか。
もう、ずっと大きい声で自慢話をしやべりまくっていた。
嫌な人だった。
奈良の人は閉鎖的でよそ者を入れないと昔から言われて国籍の違う私はこれまで見えない差別やいじめにさんざんな目にあってきた。
私は木津で旧家が多い日本人の多い地域で育った。親は体験したかもしれない。日本人のよそ者を入れない風潮、しかし私はそう露骨に体験することはなかったと思っている。結婚して奈良に住んでよそ者をいれない閉鎖的な町の一端を私は子育ての時期、サークル活動でのなかで体験した。これは露骨な大人のいじめである。昔もずっと大人のいじめがあった。その大人がいじめをする子どもが大人になっている。日本の見えないいじめ体質は昔も今もある。
だから奈良の町で期待することをこれまで浮かんでこなかったがさすが今日は参った。道徳のなさが目についた。
自分さえよければいいという今日の2人の女性たち、こんな人たちのお陰でさらに奈良の町の評判を悪くしてしまう。そんな気がした今日の不愉快な出来事だった。
23番の席に私が座りかけるともうすでに話し声の大きいのが耳についてくる。
鶴橋を過ぎたので乗車客がいっぱいになったのでもう声が小さくなると思うとまたさらに声を大きくして40代の女性は立て続けに話している。
さすが30代の女性は周りの目が気になったのか声のトーンを落として話し始めているのに40代の女性はまたもっと声を大きくして「ダイエット」の話に「沖縄の真夏で日焼けして大変なことになった」ことなどやたら大きい声で話している。
この人たち生駒駅で降りると思ったらまだ降りない。
次の学園前駅も次の大和西大寺駅になっても降りない。
ずっと大きい声でしゃべりぱなっしで奈良駅まできた。さすが奈良駅に近くなって私は2人の顔を見た。なんども40代の女性の顔をみるがいっこうに話しはとまらない。
ようやく私は座席すら立ちあがった、立ち上がってドアに行くときに聞こえるか聞こえないかぐらいの声で「ずっと大きい声でしゃへりぱなしや」と言ったがさすがこれでようやく自分たちのことに気がついたが悪びれることもなく乗車口のドアのところで立っている私を顔を見ている。けれどなんとも思っていないようだ。
私は電車から降りてエスカレーターに乗ったが下で歩きながらもその40代の女性が大声で話している。
本当に行儀の悪い奈良市民に私はうんざりしていた。
40代、30代の家族たちの教育はどうなっているのだろうかとふと思った。
余計なお世話だ。ほっておいてと聞こえてきそうだ。
はた迷惑な人たちだった。500円の特急券の料金を払っているので好き勝手にしてもいいと思っているのだろうか。
こんな人たちに限って他の人が大きい声で話したら「うるさい」というタイプである。
私はこんな奈良市民に会ってもううんざりした。
遅くなったので近鉄奈良駅近くでお寿司を買った。おもわず特急電車の中でのべつなくしゃべり通した40代と30代の女性の行儀の悪さを話すと彼女はまだ20代なのに「わあ。そんな嫌い。もうそんな腹たつわ。大きな声で話されるといややわ」と同調してくれた。これで私のもやもやがすこし取れたような気がした。
奈良市民の若い女性もちゃんと一般常識を心得ている人もいる。
なのにあの人たち、どこでたがねが外れているのだろうか。
もう、ずっと大きい声で自慢話をしやべりまくっていた。
嫌な人だった。
奈良の人は閉鎖的でよそ者を入れないと昔から言われて国籍の違う私はこれまで見えない差別やいじめにさんざんな目にあってきた。
私は木津で旧家が多い日本人の多い地域で育った。親は体験したかもしれない。日本人のよそ者を入れない風潮、しかし私はそう露骨に体験することはなかったと思っている。結婚して奈良に住んでよそ者をいれない閉鎖的な町の一端を私は子育ての時期、サークル活動でのなかで体験した。これは露骨な大人のいじめである。昔もずっと大人のいじめがあった。その大人がいじめをする子どもが大人になっている。日本の見えないいじめ体質は昔も今もある。
だから奈良の町で期待することをこれまで浮かんでこなかったがさすが今日は参った。道徳のなさが目についた。
自分さえよければいいという今日の2人の女性たち、こんな人たちのお陰でさらに奈良の町の評判を悪くしてしまう。そんな気がした今日の不愉快な出来事だった。
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