鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

春の嵐

2006-04-12 08:15:15 | 直言!
厚い黒い雲が空を覆っていた。京終から天理に向かって青みかがった雲がながれていた。
その上は墨を落として一筋に筆が走ったような雲が流れていた。
夫は「真上をみたら」という。
ベランダから真上を見ると雲が流れている。
夫は「雲が二重になって流れている。上の雲は左に行く。下の雲は右に流れている。あんなふうに交差して流れる雲は嵐の来る前兆か地震が来る」と言った。
ほんとうにそうなのかなと半信半疑だった。
6時が過ぎると風が吹き出した。
風は強く風が鳴り出した。
強い風にベランダの戸ががたがたと音を立てていた。
雨も強く降り出した。
夫の予測は当たった。
なぜこんなことを夫はしっているのだろうか。
京都市南区で生まれて育った人がどうしてこんな自然のことがわかるのだろうか。
そういえばほんの少しの間、自然と対峙して仕事をしてきた。
親が仕事の関係で三重県の山奥に住んでいた。
ここで少し山の仕事、間伐の仕事をしていた。
このとき自然と向き合い雲の流れを見てきた。
よく知っている。森のこと、川のこと、植物のこと。少しの間だったが厳しい自然の中で仕事をした体験は体で覚えたようだった。
普段は私は夫に文句ばかり言っている。
「ビールは飲みすぎで、体に悪いものばかり食べている」「爪きりもリモコンも元のところに直さない。こんなこと子ども時代にしつけてしているものなのに」「携帯の発信、着信の削除は自分でして」「もう、長い食事につきあってられない。自分の食べたものは自分で片付けて」と言ってお風呂に入ってしまう。
そしたら夫は言う。「お前がおらへんときは俺は料理もする。ご飯も炊く。洗濯もしてたたんでいる。お前が韓国に言っているときは俺、ちゃんとしている。もう、お前、うるさい。韓国に行って来い」と悪たれをついている。
夫は雲の流れを見て早々と布団の中に入って寝てしまった。
夫の言ったとおり春の嵐になった。
私は思った。夫は5歳年上である。伊達に年はとらない。それに少しの間だったが厳しい自然の中で仕事をしたことは体がずっと覚えているのだな。
私は夫より5歳下、日本の敗戦後日本が少し復興したころに育った。物のない時代から少し脱皮していた。ようやく電化製品が日本で作られるようになっていた。庶民にはまだまだ高値の花で手が届かなかったが日本の文明開化に入っていくときだった。
この違いは夫と差がある。
それでも私はえらそうに夫に文句言っている。
時には「誰も言う人はいない。私だから体の心配をして言っている」と私も悪たれをついている。
いつのまにか夫は寝入りばなになっていた。
ゆっくりコーヒーを飲みながらテレビを見るとニユースでは春の嵐が通り過ぎた高知県の被害状況が放映され雨足と春の嵐は関東に進んでいると伝えていた。
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