私はいよいよこれから少しずつ家のことをしなければならない。エンジンをかけなければならない。そんなこと思っているうちに20日になってくるとそんなことを言っていられない。1日1日のことを頭の中にいれてしなければならない。
そんな年末なのに今年は何かと国会は騒がしい。
なんか1レース独走していて一般の人の顔が見えないレースになっている。
来年はどんなことになるのだろうか。
あれこれ考えてもどうしょうもないのだろうか。
今日、喫茶店で高齢者の会話がなにげなく聞こえてきた。
「なるようになるだけや。考えてもしょうがない。もう揉め事も嫌いやから黙っている。なるようにしかならへん」と言う。
自分の家族のことだろうか。
しかし、これが国のことになるとなるようにかならないと言ってられないだろう。
復党したことで郵政民営はぜったいにすると叫んでいる国会議員がテレビに出ていた。
その人の顔をみて私は心の中で「あんたなんか誰も信用してへん」と呟いている。
この間に10日に続いて今日16日も在日同胞の子どもたち小学生の元気な顔に大人は励まされる。
たとえ日本人に「帰化」しても祖父母のルーツを忘れない。重国籍の家族も韓国文化にふれることに積極的である。
まよわない両親の両方の文化をイキイキと習う4世や5世の子どもたち。クリスマスパーテイーで見せる笑顔がはちきれている。
心置きなく話せる同胞の友だちのつながりに目覚めている子どもたち。
カメラを向けるととびきり上等な笑顔をしてくれる。
この子たちの未来は笑顔が消えない日になってほしい。
しかし日本人の男性で韓国と北朝鮮が分断している歴史を知らない人がいた。
今朝、京都国際学校に行くのに京都駅からタクシーに乗った。
そして私は「京都国際学校に行って下さい」と言うと黙っている。それで私は「日吉が丘高校の上です」と言った。
そしたら運転手は「あー・あの朝鮮学校---」と言ったので私は「朝鮮学校ではありません。韓国系の民族学校で1条校になりましたから国際学校になりました」と言った。
そしたらその日本人「そんなどっちでもいっしよやんか」と言ったので私は「さんなこといったら困ります。在日は分断国家という国にふりまわされてきたので一緒じやありませんよ」と言った。
そして運転手は「そんな皆平等で公平やんか」と言った。
そして私は「だったら選挙権下さい」と言ったら「えっ。選挙権ないの。それは知らんかった。それはあかんわ。それはやらなんあかん」と言った。
本当に知らないようだった。
そしてタクシーの運転手は大人だった。団塊の世代というその人は私の韓国と北朝鮮という国名を出すと「ほんまやな。分かれている」と言った。
韓国が経済発展したことも話していた。
そして京都国際学校の正門にきちんと国際学校の看板がかかっていた。
「ほんまや。国際学校やった。初めて知ったわ」と言って後は低姿勢になられた。別に低姿勢にならなくてもいいのにと思った。
私が「歴史を勉強して下さい」と言ったらその人は「わしは集団就職で京都にきた。中学生まで朝早くでて漁師の仕事をしてきた。そんな勉強なんかできなかった。せやから今でも鉛筆持つのは嫌いや。鉛筆みたいなもったことない」と言われたときに私は「そうですか。それでも一生懸命生きてこられたからこうして仕事をしておられる。仕事はどんな仕事でも大変です」と言った。
そして子どもの頃の漁師をした苦労話を少しされた。
そして私は皆、人生様々な生き方をしている人が世の中にたくさんおられることにまた気がついた。私の浅学非才が恥ずかしくなった。
そして正門から坂道をタクシーが登って行った。私が乗ったタクシーの運転手と私に下校して行く京都国際学校の生徒たちが頭を下げた。
運転手さん。びっくりしていた。そして喜んでおられた。その生徒だけではなかった。下校する他の生徒たちも頭を下げるので運転手はまた驚いていた。
そして運転手さんが言う。
「こらあかん。わしも頭さげなあかん。ええ学校や。ほんまにええ学校や」と言って自分の近所の子どもも挨拶しない子がいてこの間、わしから挨拶するようにと言ったらやっと頭さげるようになった。これはこの学校はええ学校や」としきりに感心しておられた。
そして降りるとき「今日は気持ちがいい。ええ日や」と言った。50円のおつりだったが今日は「おつりはいいです」と言ったら「チップか」と笑っておられたので「少ないですけれど」と言って降りた。
京都国際学校の生徒たちの今日の挨拶に私はほのぼのとうれしくなった。
そして団塊の世代、苦労した人であろう運転手さんを喜ばせたことで私がうれしくなっていた。
本当です。苦労人のタクシーの運転手がほめていましたよ。
ちょっと誇らしい気分になりました。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
また今度訪問したときは今日の小学生のようなとびきりいい笑顔を見せて下さい。
たぶんタクシーの運転手さん、職場に帰っても家に帰っても京都国際学校の生徒たちの礼儀のよさを話しているだろう。
運転手さんも人のよさそうな人でしたから。
そんな年末なのに今年は何かと国会は騒がしい。
なんか1レース独走していて一般の人の顔が見えないレースになっている。
来年はどんなことになるのだろうか。
あれこれ考えてもどうしょうもないのだろうか。
今日、喫茶店で高齢者の会話がなにげなく聞こえてきた。
「なるようになるだけや。考えてもしょうがない。もう揉め事も嫌いやから黙っている。なるようにしかならへん」と言う。
自分の家族のことだろうか。
しかし、これが国のことになるとなるようにかならないと言ってられないだろう。
復党したことで郵政民営はぜったいにすると叫んでいる国会議員がテレビに出ていた。
その人の顔をみて私は心の中で「あんたなんか誰も信用してへん」と呟いている。
この間に10日に続いて今日16日も在日同胞の子どもたち小学生の元気な顔に大人は励まされる。
たとえ日本人に「帰化」しても祖父母のルーツを忘れない。重国籍の家族も韓国文化にふれることに積極的である。
まよわない両親の両方の文化をイキイキと習う4世や5世の子どもたち。クリスマスパーテイーで見せる笑顔がはちきれている。
心置きなく話せる同胞の友だちのつながりに目覚めている子どもたち。
カメラを向けるととびきり上等な笑顔をしてくれる。
この子たちの未来は笑顔が消えない日になってほしい。
しかし日本人の男性で韓国と北朝鮮が分断している歴史を知らない人がいた。
今朝、京都国際学校に行くのに京都駅からタクシーに乗った。
そして私は「京都国際学校に行って下さい」と言うと黙っている。それで私は「日吉が丘高校の上です」と言った。
そしたら運転手は「あー・あの朝鮮学校---」と言ったので私は「朝鮮学校ではありません。韓国系の民族学校で1条校になりましたから国際学校になりました」と言った。
そしたらその日本人「そんなどっちでもいっしよやんか」と言ったので私は「さんなこといったら困ります。在日は分断国家という国にふりまわされてきたので一緒じやありませんよ」と言った。
そして運転手は「そんな皆平等で公平やんか」と言った。
そして私は「だったら選挙権下さい」と言ったら「えっ。選挙権ないの。それは知らんかった。それはあかんわ。それはやらなんあかん」と言った。
本当に知らないようだった。
そしてタクシーの運転手は大人だった。団塊の世代というその人は私の韓国と北朝鮮という国名を出すと「ほんまやな。分かれている」と言った。
韓国が経済発展したことも話していた。
そして京都国際学校の正門にきちんと国際学校の看板がかかっていた。
「ほんまや。国際学校やった。初めて知ったわ」と言って後は低姿勢になられた。別に低姿勢にならなくてもいいのにと思った。
私が「歴史を勉強して下さい」と言ったらその人は「わしは集団就職で京都にきた。中学生まで朝早くでて漁師の仕事をしてきた。そんな勉強なんかできなかった。せやから今でも鉛筆持つのは嫌いや。鉛筆みたいなもったことない」と言われたときに私は「そうですか。それでも一生懸命生きてこられたからこうして仕事をしておられる。仕事はどんな仕事でも大変です」と言った。
そして子どもの頃の漁師をした苦労話を少しされた。
そして私は皆、人生様々な生き方をしている人が世の中にたくさんおられることにまた気がついた。私の浅学非才が恥ずかしくなった。
そして正門から坂道をタクシーが登って行った。私が乗ったタクシーの運転手と私に下校して行く京都国際学校の生徒たちが頭を下げた。
運転手さん。びっくりしていた。そして喜んでおられた。その生徒だけではなかった。下校する他の生徒たちも頭を下げるので運転手はまた驚いていた。
そして運転手さんが言う。
「こらあかん。わしも頭さげなあかん。ええ学校や。ほんまにええ学校や」と言って自分の近所の子どもも挨拶しない子がいてこの間、わしから挨拶するようにと言ったらやっと頭さげるようになった。これはこの学校はええ学校や」としきりに感心しておられた。
そして降りるとき「今日は気持ちがいい。ええ日や」と言った。50円のおつりだったが今日は「おつりはいいです」と言ったら「チップか」と笑っておられたので「少ないですけれど」と言って降りた。
京都国際学校の生徒たちの今日の挨拶に私はほのぼのとうれしくなった。
そして団塊の世代、苦労した人であろう運転手さんを喜ばせたことで私がうれしくなっていた。
本当です。苦労人のタクシーの運転手がほめていましたよ。
ちょっと誇らしい気分になりました。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
また今度訪問したときは今日の小学生のようなとびきりいい笑顔を見せて下さい。
たぶんタクシーの運転手さん、職場に帰っても家に帰っても京都国際学校の生徒たちの礼儀のよさを話しているだろう。
運転手さんも人のよさそうな人でしたから。
京都ホテル・オークラで今年の仕事が終わります。
新年は民団京都府本部60周年記念新春年賀交歓会
1月12日(金)京都全日空ホテルに招かれています。
その時お会い出来れば嬉しいです。
・・・・・いろいろと裏話や情報を交換しましょう。・・・・・
京都国際学校の生徒たち、本当に礼儀がいいのです。高校野球で1番くじをひいた李君、京都大会で韓国語で宣誓をして有名になりました。現在同志社大学に行っていますが卒業してもどこかであってもいつもニコニコしていて元気で礼儀がよくて京都国際学校の生徒に誇らしく思います。日本の学校で失われたものがちゃんと韓国系の民族学校ではまだ残り育まれています。そんな光景を見ると韓国学校の大切さを思います。大阪にも2校ありますが皆、年輩者を見るとちゃんと挨拶をします。日本の学校が見習う事がたくさんあります。教師たちもその指導は違います。気持ちよく読んでいただきありがとうございます。