鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

8月20日(土)昨日から気温が少し下ったようだ

2011-08-20 08:17:39 | 直言!
やはりお盆が過ぎると少しは暑さから解放されそうだ。
子どもの頃、お盆が過ぎると川に泳ぎに行くことはとめられた。
自然と対峙してきた人間の智恵で川の水も冷たくなるからだっただろう。
近年、異常気象で暑さは昔と違っている。
とにかく暑い。盆が過ぎても川に入りたい暑さが続く。
しかし今年は昨日の大雨で気温がぐっと下り始めたようだ。
テレビのニュースでは秋の訪れが早いともいっていたが----。
そうなると長袖のジャケットをまた出さないといけない。
以前は真夏の暑さでも仕事ではいつも半袖のジャケット着ていたが近年の異常気象で上のジャケットはベストになった。袖がないだけでも大分違う。
ベストもポケットのついているものを買って仕事に着ていっている。
左のポケットに名刺を入れて右のポケットには取材ノートとボールペンを入れている。カメラは首にかけて会場を走りまわることができるのでポケットが両方についているのが必要、貼り付けポケットが1番仕事がしやすい。
中のインナーも木綿のTシャツか木綿と化繊の入っているTシャツを買って暑さしのぎをしている。

今日は小学校の同級生たち10人ほどで奈良県の曽爾高原に1泊旅行で出かける。あれほど行きたかった曽爾高原、そんな時代があった。
かつて昔、「月刊奈良」編集局で雑誌記者と編集者をしているときに表紙の次のページが季節のグラビア写真を飾った。下の段、7センチの空白に写真にあった絵解きをした。その時、その時の気分に応じて季節の詩を私がつけていた。
5年間ここで勤務した間は私が担当していたがその後はプロの詩人がつけていたと聞いている。
30代の後半から40代の前半、若かった。そしてまだまだときめきもいっぱいあった。そのときときめをそのまま絵解きにしたこともあった。あれも若かったからできた。今はそんな大胆なことはできなくなったがその大胆な詩も好評だったとも巷から聞こえてきていた。
そんな私の人生の一部分が「月刊奈良」編集局であった。
現在は運営する財政も変わった。
私を育てて下さった編集局長、雑誌の総責任者はすでに他界された。
現在は奈良新聞を定年退職した人が編集局長になって雑誌編集に奮闘されている。町の本屋で雑誌を見ると編集者の奮闘ぶりが見えてくる。
1ヶ月に1回の発刊だが編集者や雑誌記者は毎日、毎日忙しくしている。

そんな絵解きをするグラビアの写真に9月か10月の写真となると寄稿して下さっていたカメラマンは曽爾高原が好きだったのかススキが草原一面に撮影されている写真を持ってこられた。このページは私が担当していたので私がカメラマンの家まで頂きに行っていた。
私から見ると上手いカメラマンだったのに編集局長はかつて若いときは東京で週刊誌や月刊雑誌のカメラマン、しかも当時活躍をする大スターの写真ばかり撮影していたのでその技術に自信があったのだろう。
どの写真も誉めたことは1度もなかった。
私は曽爾高原のススキの写真にすこぶる興味をそそられた。
曽爾高原というと秋のススキが一面に写る写真に魅せられたものだった。
この写真を頂くたびに1度、秋の曽爾高原に行ってみたいと思ったものだった。

そして3・4年前、夏の曽爾高原に仕事で訪れた。
1泊2日の泊りがけの仕事だった。
学生の交流会の取材だった。学生の宿泊するところはたいていが青少年の家です。ここはどの建物に行くのにも階段、階段を利用しないといけない。
さすが夜は風呂に行くことができなかった。
夜、灯りの少ない道、坂道を下って行って風呂に入るという。
1度、行きかけたがやはり危険と思った。引き返してきた。
これには参った。怪我でもすれば取り返しがつかない。
風呂に入らないで寝たので私の体は汗の匂いが充満していた。
体を水で拭こうと思ったがそれをするのも面倒くさいほど疲れていた。

私のような高齢者は青少年の家の宿泊はもうこりごりである。
今回はきちんとしたホテルに泊まるので階段の心配はないので安心している。
10時にはパソコンを閉めて家事をして身支度をしないといけない。
近鉄線西大寺駅北口3時集合です。
これからライフワークに入れる写真を縮小して原稿を見直します。
今日のブログはこれで終わります。
また明日。

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