太陽が見えていない。今にも雨が降りそうだが降らない。
今日は日曜日、バタバタしていた。
朝8時10分に起きて朝食をして夫に近所のスーパーに買物を行ってもらって買ってきた三輪素麺の詰め合わせと一緒にレトロカレーの箱詰め(夫の頂き物)と一緒に荷造りをしてクール宅急便で送るようにした。
私は顔だけ洗って身支度をしてやすらぎの道にある宅急便屋に寄って沖縄の息子に宅急便を送った。
この後、今度は木津川市の私の実家に行くために夫の車を走らせた。
途中でスーパーマーケットに立寄ってお酒を1本買ってドリームランドがあった道を走らせて国道24号線に出た。
市坂の町を通る。24号線から左に入る道は州見台(くにみだい)の新興住宅に入る。このへん一帯は山だったがこのへんの付近の人たちは山を売って新興住宅開発に協力してこられた。私の同級生の間では山を売ってそれなりの多額な金額が入ってきたと言われている同級生にもいる。
京都府相楽郡から2年前に木津川市になって町の様子がどんどん変わってきている。
市坂から5丁目の町中を抜けて本町に入った。ここを右に曲がって少し行くと私の実家がある。
ここに立寄った。8月15日、盆が来る。また祭祀の買出しをして膳にのせる物を作って支度をしないといけない。母親が生きている時は母親が準備していたが母親が亡くなって母親と同じことはできないがそれなりのものが支度できるようにと何がしとお酒1本を渡してすぐに車に乗り込んだ。
車を運転している夫、座るとビールを飲むので車で待たせて渡してすぐに失礼をした。
そしてそれから奈良の自宅に戻るのに車を発進させて昔の北大路町の四つ角に出て右に曲がって木津駅の方に向かうが昨日、新しく完成した木津川市庁の前を通った。昔の役場は影も形もなくなっていた。昨日、完成式があったことを今日の奈良新聞の記事にでていたのでちょっと気になったので夫が市庁の建物の横を通ってくれた。
大きい建物に木津の町が変わっていく予感がした。
私が小学校6年の時に木津町で1番新しい最新式の役場庁舎が完成して木津の町はそれなりに賑わっていた。そしてこの年の冬、木津町立木津小学校の新校舎が完成した。この校舎に入ったのは2週間だけだった。
工事現場の石ころ拾いをしていた記憶が残っている。
あれから50年と少し、2年前に木津川市になった。今日、町の中を見ていると私の実家から斜め向かいの息子さんの市議会議員の後援会の看板があちらこちらに立てられていた。弟は私と13歳離れている。弟が小学校時代に私は結婚して実家をでている。
この市議会議員さんとも長馴染みで仲がいいと聞いている。
長い間、実家からでているので地域の詳しいことは分からないがそんな看板に自分が年を重ねたことを実感していた。
木津川市庁の前を通って163号線から国道24号線を出て奈良バイバスに入った。夫が州見台に大きいスーパーがあるからちょっと見て行こうというのでそちらに回った。州見台の新興住宅は広い。小学校も出来ている。マンションも出来ている。奈良交通バスも走っている。
新しい町が出来ている。ここは木津川市になる。奈良市からはもう目と鼻の先である。私の知らない新しい街が広がっていた。
私はもう古い時代の木津町出身になるのかと思うとなにかしら寂しくも思った。
不便だった市坂の町もどんどん便利になって行きそうだ。
しかしまだ車がないと生活は不便なところである。
とにかくまた10年もするともっと変わっているのだろう。
私が暮らしていた京都府相楽郡木津町はなくなっていく。
けれど私の実家周辺は何も変わっていない。昔のままの町の風景である。
スーパーで牛飯と食材を少し買って自宅に戻ってくると1時前、急いでシャワーを浴びて牛飯を温めて昼食にした。
1時半かにら始まった「たかじんのそこまで言うの」と言う番組を見た。
また今日はいろんな意見が出て面白かった。
その後にバソコンの前に座った。
朝、少しバソコンの前に座って月曜日連載の原稿を見直した。
それをセットアップしてほっとした。
日曜日なのに慌しく過ぎて行く。
夕食はもう簡単に素麺ですませることにします。
それにしても暑い、今日は暑いです。
今日は日曜日、バタバタしていた。
朝8時10分に起きて朝食をして夫に近所のスーパーに買物を行ってもらって買ってきた三輪素麺の詰め合わせと一緒にレトロカレーの箱詰め(夫の頂き物)と一緒に荷造りをしてクール宅急便で送るようにした。
私は顔だけ洗って身支度をしてやすらぎの道にある宅急便屋に寄って沖縄の息子に宅急便を送った。
この後、今度は木津川市の私の実家に行くために夫の車を走らせた。
途中でスーパーマーケットに立寄ってお酒を1本買ってドリームランドがあった道を走らせて国道24号線に出た。
市坂の町を通る。24号線から左に入る道は州見台(くにみだい)の新興住宅に入る。このへん一帯は山だったがこのへんの付近の人たちは山を売って新興住宅開発に協力してこられた。私の同級生の間では山を売ってそれなりの多額な金額が入ってきたと言われている同級生にもいる。
京都府相楽郡から2年前に木津川市になって町の様子がどんどん変わってきている。
市坂から5丁目の町中を抜けて本町に入った。ここを右に曲がって少し行くと私の実家がある。
ここに立寄った。8月15日、盆が来る。また祭祀の買出しをして膳にのせる物を作って支度をしないといけない。母親が生きている時は母親が準備していたが母親が亡くなって母親と同じことはできないがそれなりのものが支度できるようにと何がしとお酒1本を渡してすぐに車に乗り込んだ。
車を運転している夫、座るとビールを飲むので車で待たせて渡してすぐに失礼をした。
そしてそれから奈良の自宅に戻るのに車を発進させて昔の北大路町の四つ角に出て右に曲がって木津駅の方に向かうが昨日、新しく完成した木津川市庁の前を通った。昔の役場は影も形もなくなっていた。昨日、完成式があったことを今日の奈良新聞の記事にでていたのでちょっと気になったので夫が市庁の建物の横を通ってくれた。
大きい建物に木津の町が変わっていく予感がした。
私が小学校6年の時に木津町で1番新しい最新式の役場庁舎が完成して木津の町はそれなりに賑わっていた。そしてこの年の冬、木津町立木津小学校の新校舎が完成した。この校舎に入ったのは2週間だけだった。
工事現場の石ころ拾いをしていた記憶が残っている。
あれから50年と少し、2年前に木津川市になった。今日、町の中を見ていると私の実家から斜め向かいの息子さんの市議会議員の後援会の看板があちらこちらに立てられていた。弟は私と13歳離れている。弟が小学校時代に私は結婚して実家をでている。
この市議会議員さんとも長馴染みで仲がいいと聞いている。
長い間、実家からでているので地域の詳しいことは分からないがそんな看板に自分が年を重ねたことを実感していた。
木津川市庁の前を通って163号線から国道24号線を出て奈良バイバスに入った。夫が州見台に大きいスーパーがあるからちょっと見て行こうというのでそちらに回った。州見台の新興住宅は広い。小学校も出来ている。マンションも出来ている。奈良交通バスも走っている。
新しい町が出来ている。ここは木津川市になる。奈良市からはもう目と鼻の先である。私の知らない新しい街が広がっていた。
私はもう古い時代の木津町出身になるのかと思うとなにかしら寂しくも思った。
不便だった市坂の町もどんどん便利になって行きそうだ。
しかしまだ車がないと生活は不便なところである。
とにかくまた10年もするともっと変わっているのだろう。
私が暮らしていた京都府相楽郡木津町はなくなっていく。
けれど私の実家周辺は何も変わっていない。昔のままの町の風景である。
スーパーで牛飯と食材を少し買って自宅に戻ってくると1時前、急いでシャワーを浴びて牛飯を温めて昼食にした。
1時半かにら始まった「たかじんのそこまで言うの」と言う番組を見た。
また今日はいろんな意見が出て面白かった。
その後にバソコンの前に座った。
朝、少しバソコンの前に座って月曜日連載の原稿を見直した。
それをセットアップしてほっとした。
日曜日なのに慌しく過ぎて行く。
夕食はもう簡単に素麺ですませることにします。
それにしても暑い、今日は暑いです。
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