鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

男子誕生にわき立つ日本、私の子どもの頃を思い出していた。

2006-09-07 08:28:06 | 直言!
私は1944年生まれ、晋陽鄭氏の本家筋の第1子が女の子だった。3年後も女の子だった。まわりはそれはがっかりしたことだろう。それから母はずっと子どもができなかった。今、思い出した。母は子どもができなかったのは妹が生まれて1・2年したころ、はしかにかかり熱で声が出なくなった。これには母は驚いて病院をまわりいいということはした。かなりのストレスになっていたのだろう。
やがて妹が小学校に上がる前に私の家では大変な大騒動になった。
親戚が集まってきた。
ウサギをつぶして麦わらと一緒に煎じる。大きい蚊まで煎じていた。この煎じた汁を飲ました。これで妹は声が出るようになった。このことを私は覚えている。
日本の敗戦で軍需工場に勤めていた父の仕事はなくなった。失業者になった。
母はこんなことなど心配事が多くなって子どもができなかったのだろう。また妹はたえずひきつけをおこす虚弱体質だった。母の悩みは膨大なものだったのだろう。

男子がいないことで1番気を揉んだのは祖父だった。
本家に男子がいない。
祖先の「祭祀」は誰がするのか。
祖父は日夜、あれこれ考えていたのだろう。
祖父は私の父に妾を作って男子誕生を迫った。
しかし父はこの話にのらなかった。
このときだったのだろうか。祖父は膳をひっくり返しすごい剣幕で怒っていたことがが思い出される。生前父に祖父の怒りを聞いたが「何もない」と言って黙ってしまった。
それから祖父は次の方法が父のすぐ下の弟の子どもに男子がいたのでその弟の子どもを私の家の籍をいれて祖先の「祭祀」をさせることだった。
これには父はしぶしぶ承諾したのだろう。
そして母はまた病院に行き子どもができることなら何でもしていたのだろう。
そして私が小学校5年のときやっとできた子どもは女の子だったが死産だった。
生まれるその日まで山に木々を取りにいき子どもの首にへその緒がまきついていた。
3年後やっと男子ができた。
もしこの子が女児だったら弟の子どもが我が家に来ていた。
母に見えない神さんが助けてくれた。
そして私も妹も助けてくれた。
こんなころのことをまた思い出してしまった。
こんな話は私が高校生になったときに父が子どもたちに話した。
「女の子は-----」と邪魔者扱いにされた子どものころがよみがえってくる。
こんなことが高校生のころになると私の心の中で「なんで女はあかんの。女も人間、1人の人間、心も持っている。話せる口もある。考えることもできる。これが父に対する反発だった。心の中の悶々としたものを大学ノートに書きとめることで私の心をやすらかにした。女も1人の人間であると言う思いを書き続けた。これが私の心の消しごむになった。

こんなことを思い出していると長男の子息の気持ち、嫁の気持ちが痛いほど伝わってくる。

夫は結婚した当時はどちらかというと皇室の長男の嫁より次男の嫁に好感を持ってテレビを見ていたのに今度は産み月が迫ってきたときに長男夫婦のことに同情して好感を持ち始めていた。
多少は長男夫婦の辛さを理解してのことだろうか。
私の体験談を話すと夫は黙っている。
そして私の弟夫婦のところには女子ばかりだが何も言わなくなった。
私は女の子でもそれでいいと言ってきた。
女の子が結婚して祖先の「祭祀」をすればいいと言っている。
間違っていると1世から批判は受けるだろうが生活など諸事情を考えると仕方がないと考えている。
在日同胞家庭にもこの2昔前ごろまでなにがなんでも男児出産を強要した。
だから父の中にも男子が生まれるまで生んだので大勢の子持ちになっているところもある。
こんなときにまた祖母の言葉を思い出した。
私が結婚する年頃になると祖母は自分の息子の1人を例にだして「男の子2人を生んでそれで終わりにして子どもをきれいに育てている。それでいいじゃないか」と話したことがあった。
祖母の言いたかった本当の理由は分からないが私は思うのには何が何でもと男子ができるまだ産まないで子どもは何人と決めて社会できちんと生きていける子どもに育てることを私に教えてくれたように思う。
幸い私は第1子が男子だったが夫の兄のところは3人目で男子ができた。2昔前までの在日同胞の家庭は男子誕生だった。
これが今も韓国では息づいている。
今は産み分けできるということで韓国は男子が女子より多いのが現状である。
昨日、皇室の次男のところに男子誕生で日本は明るいニユースで喜びにわいていた。
また父の言葉を思い出した。
現天皇が生まれたときやっと男子誕生に日本の国は喜びにわいていたという。
父はそのとき京都の公立小学校の高学年だったという。
喜びにわく京都の町はちょうちん行列をして盛大なお祝いをしたと話していた。
そのとき父はみんなと一緒に御所までちょうちん行列に参加したと話していた。たしか現天皇が結婚されたころで日本中が喜びにわいているときに父は夕食のときそんな話をしてくれたことを思い出した。

男子誕生、子孫を残すことに大切な役目があるとしても女子がいないとこれもできない。同じ人格をもった人間である。
皇室のことは詳細には分からないし私の子どもの頃と比較するのもいけないと思っているが私の子どもの頃がよみがえってくる家族構成に心がさざなみになっている。



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