鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

11月10日、火曜日、午後から雨になるという。

2009-11-10 09:39:50 | 直言!
10月27日の予約が現場の仕事が入って予約を変更、火曜日が担当医師の診察と治療、3日は祭日だった。それで今日は予約が多い。12時の予約となった。
昨日は遅くまでテレビを見ていた。
BS11チャンネルで「歌伝説」の番組をしていた。
昨日の「歌伝説」はフランク永井。若いときこの人の歌は辛気臭くてそんなに好きではなかったのに年を重ねてきてフランク永井の歌の上手さが分かり胸に染みる歌もたくさんあるのに気がついた。
普段、歌番組を見ていても好みの歌でない時は台所に入って何かしているのに昨日は何もしないでトイレに行くことさえも惜しんで見ていた。
いいですね。「夜霧の第二国道」今の時世、国道はどこも整備されて高速道路がまたその上にのっかかるようにして作られている。
今は高速道路も国道も何も珍しくなくなった。
しかし当時はようやく一部だけだったが車が走り出した。
そして国道は整備されていった。
一般市民たちは戦後の日本、復興にかける思いで皆働いていた。
そんなときに出来た歌、「夜霧の第二国道」歌に出てくる言葉も当時としては新しい言葉も入って大衆の人々の心に入っていた。
そして大ヒットしたのが「有楽町であいましょう」だ。
私が住んでいた田舎には喫茶店なんかなかった。喫茶店は奈良市内にいかないとお目にかかれなかった。
大人になるまで当時の国鉄で1駅向こうだけの町だったがなかなか行くことができなかった。そんなときに歌にでてきたのが「テイールーム」、この歌は若者たちの心に入った。メロデイーもよかった。
そしてこの歌を聞いていて気がついた。
「濡れてこぬかと気にかかる」。こんな言葉がすんなりと歌にされた時代だった。
誰もが相手のことを思って生活をしていた。
傘もそうふんだんになかった。折りたたみの傘もなかった。傘は高級品の品物の1つだった。1度、こうもり傘を買うと大切大切に使った。
だから傘を持たないでトレンチコートで歩いている男性が町の中では絵になった。今は違う
雨が降ればどこにでもたいてい傘が売っている。
傘がなければタクシーにもすぐ乗れる。昔はタクシーなんてのれるゆとりはなかった。タクシーを乗る人は一般の中でも経済人だった。
しかたく濡れて歩いたものだ。
私も濡れて歩いた体験がある。
会社は野田阪神にあった。まだ地下鉄の工事中で野田阪神の駅はなかった。
この近くに勤務していた会計事務所があった。
天神橋筋商店街を歩いて天満にあった法務局によく行った。
司法関係の書類を取りに法務局によく行った。
そして行きしなは雨が降っていなかったのに法務局を出ると雨が降っていた。
誰かに傘を貸して下さいといえる時世でもなかった。
私は法務局からずっと事務所まで濡れて歩いて帰ったことがある。
タクシーに乗るという考えもなかった。
そして通る道で傘を貸して下さいともいえなかった。
傘も売っていたとしても通る道端には売っていなかった。
商店街に来ても傘を買うという智恵まで浮かんでこなかった。
半袖を着ていたので夏の雨でよかった。風邪をひかなかった。
今だったらタクシーに乗るだろう。
今は交通至便になった。今だったら地下鉄谷町線の天満駅から谷町9丁目に出てここで千日前線に乗換えて野田阪神まででることができる。
事務所は野田阪神からすぐ側にあるビルの2階にあった。
この頃は建設ラッシュだった。私がいた会計事務所が入っていたビルも新しい最新式のビルに建てかえられることになりここにいた時に仮設事務所に移った。
完成するまでに結婚のために退職している。
そのビルが今も電車の中から見えるニュー野田阪神ビルである。
あのビルを見ると私の青春が詰まっている。なつかしく電車の中から見ているときがある。

昨日「有楽町であいましょう」の歌を聞いていていろんなことを思い出していた。この言葉を変えて○○で会いましょうとよく言ったものだった。
「おまえに」という歌も若い時は辛気臭い歌でそんなに好きになれなかったのに年を取ってこの歌を聞くとなるほどいい歌である。
まあこの歌のように以心伝心の夫婦やカップルが本当にいるのだろうか----。
そんなことも思いながらもいい歌に聞きほれていた。
本当はもっと長く年を重ねてでも歌って欲しかったのに残念なことにある日突然、テレビで見られなくなった。
「大阪暮らし」ももう1度聞きたいのに。
残念ですね。
今夜の「歌伝説」はテレサテンです。明日はちあきなやみです。
今夜はそう見たいとは思わないが---明日はまた明日になったら考えよう。
「歌伝説」、これからもっとしてほしい。
昭和30年代に活躍された歌手をしてほしい。
春日八郎、小畑実、三橋美智也に三波春夫にもっといたはず、往年歌手、昭和30年代は皆、希望に燃えていた時代だった。
しかし韓国では動乱の後で困窮な経済状態だった。日本は韓国の動乱の軍儒景気で復興の兆しを見せていた。
この時在日の1世たちは働くところもなくて苦しい時代を送っている。
そして出てきた話が生活保護者らを北朝鮮に送ることだった。
北送といってもおかしくない。日本では帰国というが脱北者などの現況に日本が口減らしのために送ったとしか思えない。それに渡りに船だったのが北朝鮮だった。今も北朝鮮で苦しんでいる人が多くいるだろう。
日本に流されてくるニュースや映像に誰もがそう思う。

さてこの辺にして病院にいく準備をしないといけないがその前に新聞1紙を読んでおこう。
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