鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

12月30日も暮れていく。

2008-12-30 17:46:47 | 直言!
夕食の支度をしないといけない。
朝、木曜日、新年1月1日の原稿、昨日を作った原稿を見直してセットアップの予告をしておこうと思ったがやめた。やはり12月31日の夜中にしょう。
7時からは紅白歌合戦を見るためにテレビの前に座っている。
そして行く年来る年を見ながらベランダから外を見る。
町の喧騒が聞こえてきそうである。
東大寺や春日大社には多くの初詣客がきているだろうと想像している。
カメラマンたちは東大寺に駆けつける。
東大寺の大仏さんが真正面から大仏さんの顔を拝むことができる。
この真正面の顔を撮るために他府県から多くのカメラマンがやってくる。
地方紙の今は亡き報道デスクだったMさんが12月31日の東大寺の大仏さんの顔を拝むための参拝を2度ばかり誘ってくれたが私は断っていた。
当時まだ夫の母親が健在だったので12月31日から夫の兄の家に行って「茶礼」の支度を手伝っていたので「12月31日は奈良にいません」と言って断っていた。
が、夫の母親が亡くなってからは正月に朝早く起きて行くようになったのでやっと紅白歌合戦がゆっくりと見られるようになった。
この頃になるとMさんも結婚して一緒にいくのは連れ合いだったので誘われることはなくなった。
そんなことで行く年来る年を少しみてから1月1日の原稿のセットアップをしよう。もういつでもできるように原稿は仕上げている。
明日は夫と一緒に今度は私のための買物である。
2人だけなので作るほどのこともない。
少しあれば私は満足なので簡単にお節料理の食材を購入してくる。買ってきた食材を少し大きい密閉容器に区分けしていれてお正月、餅と一緒に少しずつ食べていく。雑煮よりトック(韓国の雑煮)が美味しいのでトックを作って一緒に食べる。
私は子育てをしていたころはまだ夫の母親が健在だったので夫の家がする韓国料理を準備していたが夫の母親が亡くなって正月は自分の家で過ごすことになったので今は私が子どものころに両方の食材が並んでいた正月の食卓になった。
父親は1世なのに和食好みだった。
1月1日は親戚が大勢くるのでトックで韓国の食材で過ごしたが2日から来る人が少なくなると母親が作った牛蒡の炊いたものや豆の煮込んだものにコンニャクの炊いた物を食卓に並べた。そして市販のお節料理がでまわるようになって母親も年をとってきたのか自分で作らなくなって市販のものを買って来て重箱に入れていた。
重箱のお節の食材を見ながら豆はまめに働けるように。数の子は子宝にめぐまれるように。レンコンは見通しが明るくなるように。海老は背中がまがるまで長生きできるようにと、1つ1つの食材の意味を教えてくれた。私は子どもの頃から父親にそうして話しを聞いて育ちまた私の息子にもそうして教えていた。
そして私は年を重ねてきて辛い料理が食べられなくなってきたことでやっと嫌いだった父親の体質に自分が似ていると気がついた。
子どもの頃に食べた食材に体質は戻っているのである。
明日は私のための食材購入でまた半日ほど外でバタバタしている。
夕方はテレビの前に座っている。
そんなことで今日セットアップしようと思ったがまだ年の暮れ、1月1日の正月の原稿は明日夜遅くにセットアップをしよう。

12月30日も暮れていく。これから夕食の支度をしにければならない。
今日は掃除機を普段と違って丁寧にかけた。
トイレはその都度気がついたときにしているが今日も気になるところは少し磨いた。これで今年の掃除は終わり。
昨日にベランダのガラスも拭いたがそんなに汚れていない。普段気になると拭いている。しかし鳩がよくとんでくるので何かしら目立たないが汚れがある。
思わず「鳩はもう、かなんな」と独り言を言いながら拭いていた。
玄関の横にある部屋の窓のアルミサッシのサンは春先になったら拭こう。寒いので風邪を引く。ここも汚れが気になると拭いているのでそんなに汚れていないので春先に拭くことにしよう。
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