10時17分受け付け、今日は1時間5分ほど待った。会計の計算も遅くなった。病院を出たのは12時半、自宅前のバス停に戻ってきてバスに乗った。
同じマンションの奥さんと一緒になった。
ご主人が退職されて家におられる。
もう70歳近い。季節のいい時は外に散歩にでられるという。
それがこの暑さで毎日、自宅にいてテレビを見ているという。
「私が息抜きしたいから外にでてきたわ」と言う。
なるほど。どこの家も同じ。
ご主人は家の中ではやっかいなお荷物と話す。
こんな話を聞いていて思った。猫は家にいても邪魔にならない。
愛嬌振りまいてくれるからご主人より可愛いのかな。
しかし猫は話してくれない。
やっぱり会話をしたい。喧嘩していても夫といるほうがいい。
たまには留守がいい。亭主元気でお外さんのほうがいい。
世の奥さんはみんなこうなのだろうか。
その奥さんは話す。
「昔は飲む、打つ、買うという好き放題の人生だったので今はそれみたかと思っている」と。
本当にそうなのだろうか。
うちの夫も私の30代はマージャンばかりしていて毎晩遅い帰宅だった。
私のことなんかほったらかしだった。
話し相手にもしなかったし好き勝手のことをしていた。
そのとき夫の帰ってこない時間の夜更け、せっせっと本を読んでせっせと手紙書いたり投稿原稿書いたりしていた。当時は原稿も手紙も手書きだった。
心の中を書いた。
夫はそうして遊んでいる間私は趣味を楽しんでいた。
今から考えると物を書き本を読んだ時間になった。こんな嫁さんには夫は関心がなかったのだと気がついた。それでも私は我が道をコツコツとひたすら地道に書き続けた。
趣味が仕事につながっても夫の遊びはとまらなかった。いろんなことがあった。
これではあかん。と、私は自宅で仕事をすることに切り替えた。
と、しらずしらずに夫の友人関係も見え出してきた。
人のいい夫の懐をあてにする友人たち、私は夫に悪いが「厄病神」と文句をタラタラ言って夜の出歩きを少しずつ止めていった。
そのうち交通安全の規則が変った。
飲酒して車の運転はできなくなった。このへん夫はへんに真面目、ピタッと夜の出歩きをやめた。
何ヶ月に1度の出歩きもやめてしまった。
たまに若い厄病神から夜電話が入ると怒っている。
「なんで今頃電話してくるんや。アホ。もう家でビール飲んでいるのに車の運転もでけへん。今頃電話してくるな」と言って電話を切っている。
たぶん、私が40代から50代、猛烈に仕事で走り回っているころは電話がかかってくると出かけていっては懐をたかられていたのだろう。
あんなに稼いでいたのになぜお金がなかったのずいぶん後からになってわかった。やっぱり男の人はどこかで監視の目を光らせていないと凧の糸が切れたみたいに飛んでいく。まあどこかでひっかかってとまっているが鉄砲玉というようなことはなかった。必ず夜、何時になっても帰ってきた。
飲酒運転の取り締まりが厳しくなって自宅でちびりちびりと飲む夫、話し相手は私かテレビしかない。
若いときは私にちっとも話しをしなかったのに今はもううるさいほどよく話す。
テレビの画面を見ながらまたよく話す。しまいに夫の講釈にうるさくなって「黙ってテレビ見て」と怒ったらすねている。
私がバソコンで作業をやりだすとテレビに不満を言っている。
意外な夫の側面を見たのは最近、老いてきた夫からである。
けれど喧嘩をしていても夫が1番気楽である。
鼻をほじくっていると「お前は汚いな」とバカにしているが他所様では絶対にできない。
夫婦、わがままきままをしている。だから喧嘩ばかりしている。
それこそ私が怒ると、もうとうにいなくなった猫の名前を呼んでいる。
これこそアホか。と思うが、そしてはたと気がつく。
猛烈に働いていた頃の私は毎晩9時、10時、寂しかった心を猫でまぎらわし厄病神の友人と飲み歩いて寂しさをまぎらわしていたのかと気がつく。
そうまでして好きな仕事をしてきた私のほうが頑固だったと気がつく。
いろんなことがあった。
語るのも涙、話すも涙、でも続けて仕事できたことに夫の助けもあったと年を重ねてきて気がついている。
老いは1日1日と来ている。
同じマンションの奥さんの嘆いておられた気持もわかる。
双方、干渉しないでもどこかで気配りしていくそんな老後であればと願う。
夫は若いときは決してスーパーに買物などしなかったのに今は買って来てくれる。これだけでも進歩したと思っている。
在日コリアンの世代、夫の世代は1世の気質が染み付いた生き方を受けて育った。2世の夫だが男尊女卑という儒教は2世の女性にとって不都合なことばかりだった。しかし今日本社会の秩序の乱れにかつて日本にもあった儒教も時には必要かもしれないと思うときがある。
しかしこんなことを話すとフェミニストの女性からブーイングが来そうだ。
このへんで夕食の支度をしよう。
同じマンションの奥さんと一緒になった。
ご主人が退職されて家におられる。
もう70歳近い。季節のいい時は外に散歩にでられるという。
それがこの暑さで毎日、自宅にいてテレビを見ているという。
「私が息抜きしたいから外にでてきたわ」と言う。
なるほど。どこの家も同じ。
ご主人は家の中ではやっかいなお荷物と話す。
こんな話を聞いていて思った。猫は家にいても邪魔にならない。
愛嬌振りまいてくれるからご主人より可愛いのかな。
しかし猫は話してくれない。
やっぱり会話をしたい。喧嘩していても夫といるほうがいい。
たまには留守がいい。亭主元気でお外さんのほうがいい。
世の奥さんはみんなこうなのだろうか。
その奥さんは話す。
「昔は飲む、打つ、買うという好き放題の人生だったので今はそれみたかと思っている」と。
本当にそうなのだろうか。
うちの夫も私の30代はマージャンばかりしていて毎晩遅い帰宅だった。
私のことなんかほったらかしだった。
話し相手にもしなかったし好き勝手のことをしていた。
そのとき夫の帰ってこない時間の夜更け、せっせっと本を読んでせっせと手紙書いたり投稿原稿書いたりしていた。当時は原稿も手紙も手書きだった。
心の中を書いた。
夫はそうして遊んでいる間私は趣味を楽しんでいた。
今から考えると物を書き本を読んだ時間になった。こんな嫁さんには夫は関心がなかったのだと気がついた。それでも私は我が道をコツコツとひたすら地道に書き続けた。
趣味が仕事につながっても夫の遊びはとまらなかった。いろんなことがあった。
これではあかん。と、私は自宅で仕事をすることに切り替えた。
と、しらずしらずに夫の友人関係も見え出してきた。
人のいい夫の懐をあてにする友人たち、私は夫に悪いが「厄病神」と文句をタラタラ言って夜の出歩きを少しずつ止めていった。
そのうち交通安全の規則が変った。
飲酒して車の運転はできなくなった。このへん夫はへんに真面目、ピタッと夜の出歩きをやめた。
何ヶ月に1度の出歩きもやめてしまった。
たまに若い厄病神から夜電話が入ると怒っている。
「なんで今頃電話してくるんや。アホ。もう家でビール飲んでいるのに車の運転もでけへん。今頃電話してくるな」と言って電話を切っている。
たぶん、私が40代から50代、猛烈に仕事で走り回っているころは電話がかかってくると出かけていっては懐をたかられていたのだろう。
あんなに稼いでいたのになぜお金がなかったのずいぶん後からになってわかった。やっぱり男の人はどこかで監視の目を光らせていないと凧の糸が切れたみたいに飛んでいく。まあどこかでひっかかってとまっているが鉄砲玉というようなことはなかった。必ず夜、何時になっても帰ってきた。
飲酒運転の取り締まりが厳しくなって自宅でちびりちびりと飲む夫、話し相手は私かテレビしかない。
若いときは私にちっとも話しをしなかったのに今はもううるさいほどよく話す。
テレビの画面を見ながらまたよく話す。しまいに夫の講釈にうるさくなって「黙ってテレビ見て」と怒ったらすねている。
私がバソコンで作業をやりだすとテレビに不満を言っている。
意外な夫の側面を見たのは最近、老いてきた夫からである。
けれど喧嘩をしていても夫が1番気楽である。
鼻をほじくっていると「お前は汚いな」とバカにしているが他所様では絶対にできない。
夫婦、わがままきままをしている。だから喧嘩ばかりしている。
それこそ私が怒ると、もうとうにいなくなった猫の名前を呼んでいる。
これこそアホか。と思うが、そしてはたと気がつく。
猛烈に働いていた頃の私は毎晩9時、10時、寂しかった心を猫でまぎらわし厄病神の友人と飲み歩いて寂しさをまぎらわしていたのかと気がつく。
そうまでして好きな仕事をしてきた私のほうが頑固だったと気がつく。
いろんなことがあった。
語るのも涙、話すも涙、でも続けて仕事できたことに夫の助けもあったと年を重ねてきて気がついている。
老いは1日1日と来ている。
同じマンションの奥さんの嘆いておられた気持もわかる。
双方、干渉しないでもどこかで気配りしていくそんな老後であればと願う。
夫は若いときは決してスーパーに買物などしなかったのに今は買って来てくれる。これだけでも進歩したと思っている。
在日コリアンの世代、夫の世代は1世の気質が染み付いた生き方を受けて育った。2世の夫だが男尊女卑という儒教は2世の女性にとって不都合なことばかりだった。しかし今日本社会の秩序の乱れにかつて日本にもあった儒教も時には必要かもしれないと思うときがある。
しかしこんなことを話すとフェミニストの女性からブーイングが来そうだ。
このへんで夕食の支度をしよう。
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