私の家は夫が5歳年上で社会体験は私より上で苦労も私よりたくさんしている。社会に対する人間関係の仕組みはまだまだ私は足元に及ばなくていつも怒られている。
しかし生活の中は女性がしきっている。男性に家庭の中の雑感はできない。中には出来る人もいるでしょうがごく少ない。夫の世代はそんな訓練ができていないので大方である。妻の感覚でしているので妻はけっこう口やかましく言ってしまう。ビールの飲みすぎやら、その他もろもろ細かいこと、男が気がつかないことを言っている。食事のバランスなども言っている。
しかし子育ては夫と2人たでしてきた。小学校の間は私が大方かかわったが、思春期の中学生に入ると多少は夫にバトンタッチした。男同士で性に関する話は女親より話しやすいだろうと考えた。進路の方も社会の仕組みを知っている夫が人生の先輩、夫にこれも任せた。大学に入っても大事な事は夫に任せてきた。
男同士、居酒屋に行って話をしても女親はやきもちをやかないこと。父親にしか話せないことも大人になる息子から感じ取っていく。これは母親が理解しないといけない。しかし社会人になってからは私も介入した。女性と付き合いだすと女性の気持で付き合いのモラルを話さなければならないので、沖縄から奈良に戻ってきたとき時間を作って息子に話をした。
結婚するともう息子の家庭とは距離を置きながらの生活になった。
その分、夫は加齢になるにつれて我儘は剥き出しになる。自己中心になる。このところを健康等を考えて夫にうるさくいうのは妻しかいない。
私がうるさく言うときいつも言う。
「子どもにとってはたった1人の父親、1日でも健康で長生きすること」と言う。
夫は頭の中では分かっているが息子もそれなりに自立している。社会的な責任を果たしたからもう、我儘で自分の気分で動いている。
誰が注意するとしたら妻しかいない。
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これは現在60歳過ぎた夫婦の大方の暮らし。中には夫が家長で実権を握って妻が離婚を言い出すとも言われているようだが、若い世代はそうと違うと言いたい。
たとえ共働きであれ、男女共同参画であれ、夫婦とも高学歴者であれ、女性がキャリアウーマンであれ、技術にたけた専門職であれそこに子どもの教育過程の中だったら一家の柱は父そして母、そして子どもであるということを明確にしなければ子どもは感覚でものいう自己中心的になって社会にでていくことになる。
家庭も小さな社会、父親が家族をまとめ母親はその優秀な参謀でおこなう。
リーダーと参謀にまもられて子どもは育っていくということを若い人たちは知ってほしい。ジェンダーフリーとかいわれているがこれがそもそも現代社会のモラルの欠如の一因にもなっていると私は考えていてあまり賛成できるものではない。
古代昔から男性がまとめ女性がそのまわりを助けてきた。だから家庭社会そして地域があった。現在はとかく女性の口が多くなった。多くなったにしても筋がとおることであればいいが女性本来の本能、感覚で判断していることも多い。これが子育てのなかにはいるとこともも感覚でしか判断ができない子どもにややもするとなる。やはり論理的に冷静に構築する思考を父親から学んでいく。
男女共同参画というが、本来男と女、体の構造が違う。子どもを生む部屋をもっている女性、男性は子どもを作り出して放出してしまう体の仕組みである。宇宙が仕組くだもの。人間そして男と女を作った。両方合わせて1対ということも神代の昔から仕組まれたものである。
これは人間の考えでかえることはできない。よくこのことを考えて女のうるささは私個人としてはたかが知れていると思っている。男性の思考には決して女性は及ばない。そして女性の感性に男性も近づくことはできない。男と女、無いものを助け合っていくことが男女共同参画である。うるさいのも関心があるからいう。何もいわなくなったら黙って離婚することを考えているだろう。
しかし生活の中は女性がしきっている。男性に家庭の中の雑感はできない。中には出来る人もいるでしょうがごく少ない。夫の世代はそんな訓練ができていないので大方である。妻の感覚でしているので妻はけっこう口やかましく言ってしまう。ビールの飲みすぎやら、その他もろもろ細かいこと、男が気がつかないことを言っている。食事のバランスなども言っている。
しかし子育ては夫と2人たでしてきた。小学校の間は私が大方かかわったが、思春期の中学生に入ると多少は夫にバトンタッチした。男同士で性に関する話は女親より話しやすいだろうと考えた。進路の方も社会の仕組みを知っている夫が人生の先輩、夫にこれも任せた。大学に入っても大事な事は夫に任せてきた。
男同士、居酒屋に行って話をしても女親はやきもちをやかないこと。父親にしか話せないことも大人になる息子から感じ取っていく。これは母親が理解しないといけない。しかし社会人になってからは私も介入した。女性と付き合いだすと女性の気持で付き合いのモラルを話さなければならないので、沖縄から奈良に戻ってきたとき時間を作って息子に話をした。
結婚するともう息子の家庭とは距離を置きながらの生活になった。
その分、夫は加齢になるにつれて我儘は剥き出しになる。自己中心になる。このところを健康等を考えて夫にうるさくいうのは妻しかいない。
私がうるさく言うときいつも言う。
「子どもにとってはたった1人の父親、1日でも健康で長生きすること」と言う。
夫は頭の中では分かっているが息子もそれなりに自立している。社会的な責任を果たしたからもう、我儘で自分の気分で動いている。
誰が注意するとしたら妻しかいない。
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これは現在60歳過ぎた夫婦の大方の暮らし。中には夫が家長で実権を握って妻が離婚を言い出すとも言われているようだが、若い世代はそうと違うと言いたい。
たとえ共働きであれ、男女共同参画であれ、夫婦とも高学歴者であれ、女性がキャリアウーマンであれ、技術にたけた専門職であれそこに子どもの教育過程の中だったら一家の柱は父そして母、そして子どもであるということを明確にしなければ子どもは感覚でものいう自己中心的になって社会にでていくことになる。
家庭も小さな社会、父親が家族をまとめ母親はその優秀な参謀でおこなう。
リーダーと参謀にまもられて子どもは育っていくということを若い人たちは知ってほしい。ジェンダーフリーとかいわれているがこれがそもそも現代社会のモラルの欠如の一因にもなっていると私は考えていてあまり賛成できるものではない。
古代昔から男性がまとめ女性がそのまわりを助けてきた。だから家庭社会そして地域があった。現在はとかく女性の口が多くなった。多くなったにしても筋がとおることであればいいが女性本来の本能、感覚で判断していることも多い。これが子育てのなかにはいるとこともも感覚でしか判断ができない子どもにややもするとなる。やはり論理的に冷静に構築する思考を父親から学んでいく。
男女共同参画というが、本来男と女、体の構造が違う。子どもを生む部屋をもっている女性、男性は子どもを作り出して放出してしまう体の仕組みである。宇宙が仕組くだもの。人間そして男と女を作った。両方合わせて1対ということも神代の昔から仕組まれたものである。
これは人間の考えでかえることはできない。よくこのことを考えて女のうるささは私個人としてはたかが知れていると思っている。男性の思考には決して女性は及ばない。そして女性の感性に男性も近づくことはできない。男と女、無いものを助け合っていくことが男女共同参画である。うるさいのも関心があるからいう。何もいわなくなったら黙って離婚することを考えているだろう。
それが元で夫婦喧嘩をすることもたびたび・・・
言っていることは分かるんですが、なかなかねー