鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

もう寝ないといけない。

2007-05-08 22:10:53 | 直言!
NHKの歌謡コンサートは「母に捧げる歌」をテーマにしたものである。
このごろの歌は何を聞いても覚えられない。聞いたと思ったら消えていく。しかし心に染みる歌はいつまでも残っている。
今日は二葉百合子が「岸壁の母」を歌った。
いい歌ですが心の中でポロリと涙がこぼれている。
舞鶴の岸壁で息子を待ちわびた母の姿を歌にしたものだ。
一時は最近、息子さんが中国で生きていたともいわれたがいつのまにかそれもかき消された。何が本当か知らないが私たちの古い世代は舞鶴の岸壁に立っている母の姿が歌のイメージに重なる。
これは実話である。
東京から京都府の舞鶴の港に通いつめて息子を探したといわれている。
こんなことがついこの間のように思う。そういえば子どものころのラジオには訪ね人のコーナーもあった。いつのまにかそれもなくなって世の中は島倉千代子の「からたちの花」がラジオから聞こえ少しずつ戦争の傷あとから離れていったように思った。
それでも実話として舞鶴に立つ母のことが新聞などでよく紹介された。
日本が戦争で敗戦した負い目は働いて働いて日本の国をよくすることだった。そして自分たちも豊かになることだった。
しかし在日同胞は祖国の分断、朝鮮戦争の傷跡そして分断された祖国は在日同胞のなかにも影響を受けて若き在日韓国人の青年たちは新潟行きの列車を止めて北の帰国を反対した。それでも在日同胞は兄弟で南北に分かれて政治闘争していく民族の刹那的な悲劇が各地で繰り返された。
けれど1世たちは2世のために働いた。
教育はする時期にしないといけない。就学の時期をはずすといけないと言って親は寝ずに働いて子息たちを学校に行かせた。

戦争の傷を抱え込みながら日本で外国籍と排除されながらも生き続けた。
そんなころを思い出して「岸壁の母」の歌はいつ聞いてもこころにしみて心の中で涙が流れていく。
この歌を聞くと舞鶴の港に立つ母の姿が新聞記事の写真を思い出し戦争はしてはいけないとあらためてそう思ってしまう。
女子の子どもの私には戦時中、軍需工場でどんな仕事をしていたのか一言も語らなかったが、弟には話していたようだ。
広島の呉にも父はよく行ったという。
呉と戦艦大和の最後のことなど聞いたと言うが私は戦艦大和という大それた戦争の戦いはよくしらないからよくわからないが-------。なぜか女の子の私には一切話しをしなかった。
戦争はいらん。日本植民地支配の悲劇もいらん。
いらん。いらん。祖国の分断もいらん。
言葉に出せないで心中で「いらん」と言って死んでいった父親のことを「岸壁の母」の歌を聞いて思い出した。
嫌いだった父親の影響を私が1番受けたかもしれない。
父にいつも出来損ないの娘といわれたが性格や神経質なところは父親に似ている。
「岸壁の母」の歌はいつも父親を思い出す。政治に翻弄された父親を思い出して心の中に涙が落ちる。
母親は豪放で太っ腹な人だった。父とは正反対の性格だった。商い上手だったので男だったら成功していたと思う。
13日は母の日という。
母の日を前にしてなぜか父親のことを思い出した。そして戦争はいらん。と心の中で叫んでいた。


明日から韓国、しばらくブログがかけない。
何日間か休みます。
ではお休み。もう休みます。
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