鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

5月28日(月)晴れ。暑くなっている。

2012-05-28 12:04:55 | 直言!
夕方になるとまた寒くなるので半袖のTシャツを重ねて着ている。
今朝は仕事が気になる。
昨日、現場取材したコメント、13人をパソコン入力した。
コメントをとっても使えるものと使えないものがあるのでできるだけたくさんとってくる。この仕事も無差別に人の中に入っていって感想を聞いてまわる。
感想を聞いて住んでいるところに名前に年齢、肩書きがあれば肩書きも聞いていく。楽なようで案外疲れる仕事です。
集中力と知らない人に話しかけていかにいい話を聞くことができるのかに持っていく。この仕事はある程度、慣れないと無差別に人の中に入って聞くことは大変である。名前をいう人もいればいわない人もいる。
そんなときは会えて無理に聞かない。名前をいわなくてもコメントがよかったら編集局は使用する。年齢もいわない人もいれば無理に聞かない。そんなときは年を書かない。いわなかったら無理に聞くことがない。
長年、仕事してきた経験です。
無差別にコメントを取る。
こんなコメントが本音をとることができる。ありのままに応えてくれる。

昨日のイベントのコメントで心に残っているのは小学生6年生の女の子だった。
今は塾の曜日と重なって民族学級で学ぶことができないが民族学級で学んだので韓国のイベントに関心があったからお父さんに連れてもらってきた。
韓国では有名な舞台劇、「ナンタ」の舞台演技、迫力ある演技に言葉がわからなくても面白くて楽しく見ることができた。日本公立学校に通う在日韓国人4世、民族学級で学ぶ成果がこんなところにでている。
何気ないところで自分のルーツを確認している。
在日4世のこんな女の子に出会っているとやはり在日韓国人の民族性はなくならない。皆、子どもも一生懸命に生きていることを実感する。
この子たちを守らないといけないと老体になる私は心に熱いものがこみ上げてくる。

私は小さな片田舎で育ったので民族は父親の兄弟という親戚だった。
親は家では夫婦で韓国語を話していたので私は聞くことはできるほど民族とかかわって暮らしてきた。しかし外にでると周りは日本社会、日本の学校で学んだそのままの民族性になっていた。
そんな中で過ごした私は民族学級で学び、名前を書いてといったら通名とハングルで書いてくれた。その子の心が2文字から出ている。
民族教育とはこんなことなのだ。だから幼いときからハングルに触れる教育の大切さをまた実感した。しかしハングルを教える教育の中では自国の政治教育はいらない。素直にハングルを教えて自国の文化を教えればいい。
分断国家は話として教えるがこの中で政治は教えることはないと思っている。
政治を教えると子どももそうだが保護者も嫌になる。
日本公立学校の中にある民族学級、先輩たちが苦労して苦労して民族学級を維持してこられた。試行錯誤の末、現在の民族学級である。
私自身、民族教育はただ家庭の中にあったようなものだった。ただハングルを教えようとする父親に私は「ここは日本、日本語でいい」というと父親は「ほんまにそう思うか」といって私の顔をじっと見ていた。
それから何もいわなかったが父親は何を思って私の顔をじっと見ていたのだろうか。ハングルを教えて政治活動されても困る。その心境は複雑だったと今なら理解できる。

片田舎で育った在日コリアンのほとんどが私と同じような環境である。
大阪市生野区・東成区は日本公立学校の中に民族学級・クラブが100を越えるほどにある。これは先輩たちが苦労して積み重ねてきた上にある。

ブログを書いていると時計はもう12時前です。
このへんで。
写真は今朝(2012年5月28日)6時45分、我が家のベランダのテラスで鳴いているいつも来る鳩、隣の鳩防止の置物、横をすり抜けて行く。
足で押しているのかだんだん歩きやすいようにしている。今朝、私が撮影した。


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