しつこくTIFF上映作品をネタにしています(笑)。
10月28日の記事で王小帥(ワン・シャオシュアイ)監督の中国=フランス合作映画『僕は11歳』 (我十一/11 Flowers)を取り上げ、”わからなかったのが字幕に出てきた「保皇派」と「411」という言葉。文革の文脈で出てくる「保皇派」って一体....。どなたかご存じでしたらご教示下さい”と書いたところ、早速、字幕を担当なさったマダム・チャンから、次のようなコメントをいただきました。(改行箇所等は変えてあります)
”「保皇派」というのは、いわゆる親が党の幹部だったり、軍人幹部だったりという、赤い貴族の子弟たちのことです。これが文革では最初実験を握っていて、その後、庶民出身の造反派と激しく争い、打倒されました。
なので、411派というのは造反派のことなのかなと思ったのですが、原文は造反派となっていなかったので、何か意味があるのだと思い、そのままにしました。確信が持てれば造反派にしたんですが。
文革末期なのに保皇派が出てくるのは、たぶん巻き返しを図ったのだろうなとも思います。
ワン・ハン君、私も王小帥というより、ジャ・ジャンクーと思いました。 ”
で、まずは、主人公の11歳の少年ワン・ハンを演じた劉文卿(リウ・ウェンチン)君がいかに賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督に似ているか、という証拠(?)になる彼のアップを発見、ここに付けておきます。以前の記事に貼り付けた『僕は11歳』のプレスからです。この英語版プレス、表紙をよく見たら「tiff」という文字が入っていたので、お、東京国際映画祭のためにわざわざ作成か!?と思ったら、トロント国際映画祭の略でした。トロントで先に上映されたのね~。
今、英語のWikiのサイト「Jia Zhangke」を見たら、ちょうどいいジャ・ジャンクー監督の画像があったので並べてみました。
似てませんか~? 似てるでしょ~(と、同意を強要)。
それで、「保皇派」と「411」に関してですが、実は映画祭終了後、中国語(普通話)や広東語の通訳として活躍しておられるサミュエル周先生からもメールをいただきました。以下がご教示下さったメールの文面です。
”私が知っている限りでは、「保皇派」とは、文革初期(1968年~)に「造反派」内部で派閥闘争(中国語では「武闘」という)がおこり、過激派の行動にわりと慎重な姿勢をとる「穏健派」のことをいう、時には「保守派」とも呼ばれていました。この派閥闘争のことを分かりやすく解説してくれる文献があり、「専修大学社会科学研究所月報」(No.550,2010年1月20日)の論文「中国における文革研究と文革の記憶」(著者=印紅標、鈴木健郎訳)10ページ辺りの記述をご参照ください。ネット上でもPDFを入手することができます。一方の「411」は、「武闘」がますます激しくなる1968年4月11日に、四川省広元県での過激派による出来事の一つを指しているのではないでしょうか。中国のネットを検索したら、たまたま「広元県文化大革命運動綜述」がヒットし、念のためサイトを添付しておきます。1968年辺りの「武闘」に関する記述をご参照ください。”
ここで言及されている元の論文2つは、該当箇所をクリックしていただくとご覧いただけます。四川省の広元は、成都の東北、陝西省と甘粛省に近い所にある町です。同じ時に『僕は11歳』を見ていた他の中国現代史に詳しい方からも教えていただいたのですが、「重慶の文革期の武闘はあんなもんじゃなかった」そうで、武器を持ちだしての撃ち合いなど日常茶飯事、戦争のような状態だったそうです。「広元県文化大革命運動綜述」にも、すごい数の武器が登場したりしています。
そんな武闘が頂点に達してある形を取ったのが、1968年の4月11日に剣閣という町で成立した「綿陽(町の名)南充(町の名)八県連防指揮部」という組織らしく、剣閣、旺蒼、広元という3つの町の造反派リーダーが正・副指揮官となり、「穏成都、乱重慶、打南充、奪全川」という戦略方針が出された、と「広元県文化大革命運動綜述」は述べています。「四川省全土を奪え」なんて、本当に戦争みたいなスローガンですね。この組織の影響を、あの映画の時代である1975年まで受け継いでいたのが「411」派というわけなのでしょう。映画の舞台は貴州省の山の中ですが、重慶に近く、四川省の運動の影響があったということでしょうか。
文革期のことは陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『さらば、わが愛~覇王別姫』 (1993)を始め、たくさんの劇映画で扱われていますが、こんなドキュメンタリー映像も市販されていたりします。
文革の全貌を教えてくれる映画がいつかできないかなー、と思っているのですが、どの人もごく一部に関わっていただけなので、いつまでたっても「個人的記憶の中の文革」としてしか捉えられないのかも知れませんね。今の中国では、まだまだハッキリ描けないことも多いと思いますし。というわけで、思いがけず文革期の勉強になった『僕は11歳』でした。マダム・チャン、周先生、ありがとうごさいました!